J・エドガー
2011年/アメリカ
権力の根拠の曖昧さ
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
アメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官であるジョン・エドガー・フーヴァーという特異なキャラクターを取り上げながら、監督であるクリント・イーストウッドは、まるで実は主人公には興味が無いような大雑把な演出を試みている。イーストウッドの関心はフーヴァーにではなく、アメリカ連邦捜査局の方に向いているように見える。この強力なアメリカの法執行機関が、マザコンの男によって確立されたという事実こそがイーストウッドに本作を撮らせたのだと思う。
自分に自信を持てないジョン・エドガー・フーヴァーが頼みにしていたものは気の強い母親であるのだが、理想の父親を欠いていたフーヴァーはそれを補うために科学的な捜査手法の導入などの実務の他に、『民衆の敵』(ウィリアム・A・ウェルマン監督 1931年)や『G Men』(ウィリアム・キースリー監督 1935年)のジェームズ・キャグニーなどの映画やコミックのイメージを利用してFBIの存在を世間に認知させようとする。アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンの名前が入った大学に通っていたことも‘理想の父親像’によって自分自身を鼓舞するためであろう。このように強い男を演じていたフーヴァーにとって母親の死は衝撃的で、まるで心の支えを失わないようにとフーヴァー自身が母親の衣服を身にまとうという倒錯をもたらすのであるが、絶対に他人に弱さを見せたくなかっただけのフーヴァーが同性愛者であったかどうかは描かれている通りに微妙である。
ただ母親の期待通りに男として格好良く生きていきたかったフーヴァーであったが、彼の最期は中年太りした裸を晒した醜悪なものであった。事に触れて歴史を学ぶ重要性を説いていたフーヴァーなのであるが、回顧録には虚実が入り交じり、不思議なことに自分の死後に、秘書のヘレン・ギャンディに機密ファイルを処分するように頼んでおり、‘起源’を消すことでFBIの存在をフィクションのまま宙吊りにし、権力の根拠の曖昧さを明るみにするのである。
「国会で、もうコーヒー飲みません」田中防衛相(読売新聞) - goo ニュース
6日午前の参院予算委員会で、1月31日の参院予算委を約15分間中座した際、国会内
の食堂でコーヒーを飲んでいた問題について自民党の礒崎陽輔への田中直紀防衛相の
答弁は、「日頃の癖で座るだけでなく、コーヒーを頼む(のが当然という)精神だった。飲んだ
かどうか分からないが、今後は(国会審議中に)国会内でコーヒーを飲むことはしない決意で
臨みたい」というものであるが、既に新たな問題が発生している。何と田中は一週間前に
起こしてしまった、国会審議中に国会内でコーヒーを飲んだことをはっきりと憶えていない
のである。この記憶力の著しい低さは事務秘書官を変えたところで改善されるわけがない。