原題:『The Last Samurai』
監督:エドワード・ズウィック
脚本:ジョン・ローガン/エドワード・ズウィック/マーシャル・ハースコビッツ
撮影:ジョン・トール
出演:トム・クルーズ/渡辺謙/真田広之/小雪/ティモシー・スポール/ビリー・コノリー
2003年/アメリカ
コンプレックスと武士道の親和性について
『47RONIN』(カール・リンシュ監督 2013年)を観た後に、改めて見直してみると『ラストサムライ』は良く出来ている方だと思うが、主人公のアメリカ人であるネイサン・オールグレンが、勝元盛次が率いる侍の反乱軍に同情する理由が、武士道を理解しての上だったかどうかはよく分からない。
南北戦争後、北軍の士官として参軍したネイサン・オールグレンは銃の販売促進のプロモーションを生業にしていたのであるが、シャイアン族やスー族などのインディアンたちに、仲間たちが頭の皮を剥がされて虐殺された光景を目撃したことがトラウマとなって、アルコール依存症のような状態に陥っていた。
日本政府軍に西洋式の戦術を教授するために来日したオールグレンは、やがて勝元らに捕えられ、人里離れた村でひと冬過ごすことになる。侍たちと生活を共にする間に、武士道を理解するようになったように見えるのであるが、決定的な場面は春になって東京に戻った後に、断髪令に背いて髷をしていた信忠が、信忠の剣を奪った軍人たちによって髷を切り落とされたところをオールグレンが目の当たりにしたところで、それはオールグレンに、かつて南北戦争においてインディアンたちに頭の皮を剥がされて惨殺された仲間たちを思い出させたはずである。
つまりオールグレンが反乱軍に味方した理由は、政府軍をインディアンと見なして戦闘に加わることで南北戦争の恨みを晴らそうとしたのである。本来、インディアンと見なされる立場にいるのは政府軍ではなく反乱軍の方であるはずで、ここにオールグレンのコンプレックスが垣間見えるのであるが、このコンプレックスが武士道と親和性があるようには見えないのである。