原題:『FADING GIGOLO』
監督:ジョン・タトゥーロ
脚本:ジョン・タトゥーロ
撮影:マルコ・ボテコルヴォ
出演:ジョン・タトゥーロ/ウディ・アレン/シャロン・ストーン/ヴァネッサ・パラディ
2013年/アメリカ
ジゴロの悲しく笑える性(さが)について
『ジゴロ・イン・ニューヨーク』という邦題の原題は『薄れゆく女たらし』という意味になると思うが、要するに生きづらくなったジゴロの物語である。それは例えば、家業の本屋を廃業することになった主人公のフィオラヴァンテが友人のマレーに乞われて、彼のかかりつけの女医でレズビアンのパーカーと彼女のパートナーと3Pをすることになったのであるが、その直前に出会った未亡人のアヴィガルに本気で恋をしてしまい、出来なくなったことを2人に告げる。
あるいはアヴィガルが信心する厳格なユダヤ教宗派によってアヴィガルとフィオラヴァンテの関係が問題となり、お膳立てをしたマレーが「裁きの家」で審議されようとしたところにアヴィガルが現れ、フィオラヴァンテと二度と会わないことで解決を見る。
このように現代のジゴロは高度な「性戯」と厳格化する「法律」でますます窮地に立たされることになり、そのような環境に耐えられないフィオラヴァンテはニューヨークを去る決心をするのであるが、マレーと話し合っていたカフェで美しい女性と出会ったことで簡単に翻意するところが、「薄れ」ながらも生き残ってしまうジゴロの悲しく笑える性なのである。