MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『怪物はささやく』

2017-07-09 00:31:45 | goo映画レビュー

原題:『A Monster Calls』
監督:フアン・アントニオ・バヨナ
脚本:パトリック・ネス
撮影:オスカル・ファウラ
出演:ルイス・マクドゥーガル/フェリシティ・ジョーンズ/シガニー・ウィーヴァー/リーアム・ニーソン
2016年/スペイン・アメリカ

色っぽい不条理について

 主人公のコナーを襲う怪物の「モデル」としてコナーの内面に刻み込まれたイメージとして、コナーの祖父が残したフィルムに映っていた『キングコング』(メリアン・C・クーパー/アーネスト・B・シェードザック共同監督 1933年)であったことは間違いない。『キングコング』の物語を思い出してみるならば、見世物として髑髏島からニューヨークに勝手に連れてこられたコングが暴れ出したということで銃撃されたためにエンパイア・ステート・ビルディングから転落死してしまうという不条理なもので、当然12歳のコナーには人間の行動は理解できないものだった。
 怪物はコナーに国王と彼の孫と国王の後妻の物語や、薬剤師と牧師と彼の2人の娘の物語や、可視化された「透明人間」の物語を語るのだが、どれも不条理なものである。4番目の物語を怪物に強要されたコナーは、地面が崩壊して底に落ちようとする母親のリジーの手を離さないようにしているのであるが、リジーの体を支えるコナーは手の痛みに苦しむ。痛みから逃れるには手を離さなければならず、リジーから手を離した時、コナーは不条理の意味を知り母親の死を受け入れ大人になるのである。
 しかしコナーが怪物から教えられた物語は、本人は忘れていたのであるが、昔母親から教えてもらっていたもので、まるでキングコングに捕らえられていたアン・ダロウが実はコングを「操作」していたという色っぽい不条理でもあったのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする