MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『初恋・地獄篇』

2017-07-15 00:09:25 | goo映画レビュー

原題:『初恋・地獄篇』
監督:羽仁進
脚本:羽仁進/寺山修司
撮影:奥村祐治
出演:高橋章夫/石井くに子/満井幸治/福田和子/湯浅実/額村貴美子/木村一郎/浅野春男
1968年/日本

「実践」不可能な「初恋」について

 主人公の俊一は七歳の時に父親を亡くし、母親が拳闘家と再婚して養護院に入れられた後、彫金師の家に引き取られ彫金を教えてもらいながら青年になる。俊一はヌードモデルをしているナナミと安旅館で休憩してセックスをするつもりだったのだが、童貞だった俊一は上手くできなかった。
 俊一には友達がいなくて、唯一の友だちだった女の子と公園で遊んでいた時に、女の子が草葉の陰でおしっこをするのを手伝っていたのだが、それを男に見られて変態扱いを受けて精神病院に入れられ、催眠術により義父に性的虐待を受けていたことを思い出す。一方、ナナミの方はヌードモデルと同時に女格闘家としても活動していたが、浮気相手が妻と子供と一緒にいるところを目撃して落ち込んだりしている。
 街では孤独な人のために相槌を収録したレコードが売られているのであるが、そんな時、俊一とナナミは高校生の代数が撮った8ミリ映画『初恋の記録』を観に文化祭を訪れる。代数はモデルになった女子高生が観にくることを期待していたのだが、彼女が来ることはなく作品の評判も良くはなかった。しかし俊一とナナミには感動的だったと思われるのは、このモノトーンの作品において8ミリ映画だけカラーで映されるからである。
 ラストで最初に入った安旅館で再会しようとした2人は、ナナミが先に来て待っていたのであるが、俊一はヤクザたちに絡まれ、安旅館の手前で車に轢かれて死ぬのである。
 ヌードモデルのもとへ配達していたラーメン屋が街中で裸になり、通報を受けたであろう警察官たちが彼を連行するシーンなどもあるように、本作のテーマは「覗く」ことで生まれる「恋」の問題であろう。「恋」とはレコードやフィルムによって記録される「メディア」によってのみ成り立つもので、実際にナナミと代数と一緒に高校の文化祭に向かう電車の中で俊一が踏切に立っている女の子を目撃した時に、本作自体がストップモーションになることで逆に「メディア」を意識させるのだが、自慰で再現できても「実践」できるものではないために俊一は童貞のまま死に追いやられるのである。女の子が俊一に出題した「キャベツをむいたら芯が出るけど、タマネギをむいたら何が出る?」
の答えは「涙」なのではあるが、ここで忘れてならないのは「涙」は出てもタマネギに「心」はないという事実で、ここでタマネギはメディアのメタファーとなっているのである。
 しかし上映後のトークショーにおける羽仁進監督の「寺山修司は名義貸しだけで脚本に全く関わっていない」という発言はにわかには信じがたく、そうなると本作においてもいかんなく発揮されている「寺山修司的演出」のあり方を今一度見直しせざるを得ないだろう。


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