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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『愛せない息子』

2017-07-21 00:58:27 | goo映画レビュー

原題:『Hjertestart』 英題:『Handle with Care』
監督:アーリル・アンドレ―セン
脚本:アーリル・アンドレ―セン/ヒルデ・スサン・ヤークトネス/ホルヘ・カマチョ
撮影:ダーヴィッド・カッツネルソン
出演:クリストッフェル・ヨーネル/クリストッフェル・ベック/マーロン・モレノ
2017年/ノルウェー
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017 最優秀作品賞)

タイトルから推測できる「アイデンティティ」の迷走について

 ノルウェーに住む主人公のヒェーティルと妻のカミラはコロンビアから6歳になるダニエルを養子として迎えて育てていたのだが、カミラが交通事故で亡くなった後に、ヒェーティルとダニエルの関係がギクシャクするようになり、ダニエルを実母の元に戻した方がいいのではないかと考え、ダニエルの母親であるジュリ・ガリードを探しに2人はコロンビアへ向かう。
 ダニエルを養子にする際にも世話になったタクシー運転手のタボ(グスタフ)を再び雇って養護院やジュリが働いていそうな職場などを訪れるのだが手掛かりはつかめず、だんだんとヒェーティルとダニエルの現状を知るようになったタボは一緒に住んでいる妹のヴィクトリアと彼女の娘のチェルシアと相談してダニエルを養子に迎えてもいいとヒェーティルに提案するのだが、チェルシアのおもちゃの車をダニエルが直す様子を見たヒェーティルは、タボのタクシーを修理した自分自身と重ねて見ることでようやく親子の絆を感じ始めるようになる。
 ラストシーンにおいて更生して小学校の清掃員として働いていたジュリを見つけたヒェーティルがダニエルの写真を渡して教室を後にし、廊下を走って来る多くの児童たちと交錯した後に彼らが住むであろう街並みが映し出され美しいイメージで閉じられるのではあるが、そこには別の「ダニエル」がいるのであろう。最優秀作品賞は極めて妥当だと思う。
 ちなみに原題の意味は「自動体外式除細動器(AED)」らしい。英題の邦題も意味が違い、タイトルに迷いが感じられる。


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『ジャン=ピエールとナタリー』

2017-07-20 00:00:20 | goo映画レビュー

原題:『Médecin de Campagne』 英題:『Irreplaceable』
監督:トマ・リルディ
脚本:トマ・リルディ/バヤ・カスミ
撮影:二コラ・ゴラン
出演:フランソワ・グリュゼ/マリアンヌ・ドニクール/イザベル・サドヤン
2016年/フランス
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

医療行為という「主人公」について

 主人公のジャン=ピエール・ヴェルナーはとある田舎の唯一の医師として働いていたのであるが、ある日彼は自身が脳腫瘍であることを告げられたのは確か2015年2月の頃だろう。そこへ若い新人研修医のナタリー・デレジアが派遣されてきて、地域医療に対する2人の葛藤が描かれることになるのだが、詳細は書かないがラストの呆気なさに驚かされる。
 しかし例えば、まだ健康診断を受けていないナタリーを健診するジャン=ピエールの様子や、仕事の作業中に大怪我をした友人に雨が降る野外で救急車が到着するまでの応急治療を施すジャン=ピエールとナタリーの様子や、発達障害と診断された子供を診たナタリーが別の病気の可能性を子供の母親に告げる様子などが具体的に描かれており、これはジャン=ピエールとナタリーの微妙な関係よりも、もともと医師である監督らしく、様々な医療行為そのものに焦点が当てられているように感じる。


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『ホワイト・サン』

2017-07-19 00:06:21 | goo映画レビュー

原題:『Seto Surya』 英題:『White Sun』
監督:ディーパック・ラウニヤール
脚本:ディーパック・ラウニヤール/デイヴィッド・バーカー
撮影:マーク・オフィアガイ
出演:ダヤハン・ライ/アシャ・マグラティ/ラビンドラ・シン・バニヤ/スミ・マッラ
2016年/ネパール・アメリカ・カタール
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

「レッド・サン」が知らない「ホワイト・サン」について

 『喪が明ける日に』(アサフ・ポロンスキー監督 2016年)が息子を亡くした父親の物語だったのに対して、本作は父親を亡くした息子たちの物語である。主人公でネパール共産党毛沢東主義派、いわゆるマオイストの人民解放軍のゲリラだったチャンドラが亡くなった父親のチトラの葬儀のために故郷に帰って来るのだが、異母兄弟のスルジュとは政治的に敵対していた。チトラは村の主権者だった人物で余計に対立は深まっていたのである。
 ストーリーはチトラの死体を家から出して、川辺まで運んで埋葬するまでの間に起こる出来事が描かれ、2人の兄弟の諍いの中においても一緒に彼らに付いてきた2人の子供たちが遺体を傷つけないように保護する様子が未来の希望と共に感動をもたらすのであるが、ストーリー自体はいたって単純なものではある。
 しかしネパールという国でいまだにマオイスト(=毛沢東主義派)が政権を握っているという事実に驚かされる。まさかこんな場所で毛沢東が「生きて」いるとは。ちなみに原題も含めてタイトルの「ホワイト・サン」とはネパールの国旗に描かれた太陽を指す。


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『喪が明ける日に』

2017-07-18 20:33:43 | goo映画レビュー

原題:『Shavua Ve Yom』 英題:『One Week and a Day』
監督:アサフ・ポロンスキー
脚本:アサフ・ポロンスキー
撮影:モシュ・ミシャリ
出演:シャイ・アヴィヴィ/エヴゲニア・ドディナ/トメル・カポン/アロナ・シャウロフ
2016年/イスラエル
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

 亡くなった息子の弔い方について

 2015年、25歳の若さでロニーはホスピスで亡くなる。彼の父親であるエヤル、母親のヴィッキーのスピヴァック夫妻はユダヤ教の習慣に従い7日間の「シヴァ」と呼ばれる喪に服し、本作はその最後の一日が描かれることになる。
 教師をしているヴィッキーは仕事を始めているのだが、エヤルは完全に意気消沈したままで隣人との関係も悪化させているのであるが、ロニーの幼なじみのズーラーはエヤルのことを気にかけて家を訪れてきて、エヤルに医療用大麻の吸い方を手ほどきする。
 ロニーのための墓地を予約することを忘れたエヤルは急いで予定地に向かったのであるが、そこには既に「ミラヴ」という別の名前の立て札が立っており、怒ったエヤルはそれを引き抜いて放り投げてしまう。ところがたまたまミラヴの葬儀に出くわし、彼女の兄のラファエルの弔辞を聞いてミラヴも癌を患いホスピスで最期を迎えたことを知り、墓地を諦めるのである。
 一日を通じて、不機嫌だったエヤルが回復していくまでの過程がユーモラスに描かれているのだが、個人的にはズーラーがエアギターで演奏した、タマル・アフェク(Tamar Aphek)とガイ・シクター(Guy Shechter)の2人組のイスラエルのロックバンド「カルセラ(Carusella)」の「スター・クオリティー(Star Quality)」が素晴らしい曲だと思った。以下、和訳。

「Star Quality」 Carusella 日本語訳

雨が降ってきた
私の後を追うかのように
私の痛みを取って欲しい
洗い流すように

私は愛を与えた
私はあなたに愛を与えた
私の心を奪って欲しい
難局を切り抜けるられるように

星に優劣などない
星に優劣などない
星に優劣などない
私を見るあなたの見方があるだけだ

あなたが銃を持ってくる
私の後を追ってきている
私の心を奪って欲しい
ただ私を撃ち抜いて欲しい

苦悩などない
悲嘆もない
もはや自分自身が分からない
星に優劣などない

星に優劣などない
星に優劣などない
星に優劣などない
私を見るあなたの見方があるだけだ

雨が降ってきた
私の後を追うかのように
私の痛みを取って欲しい
洗い流すように

私は愛を与えた
私はあなたに愛を与えた
私の心を奪って欲しい
難局を切り抜けるられるように

星に優劣などない
星に優劣などない
星に優劣などない
私を見るあなたの見方があるだけだ

Carusella - Star Quality


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『殺し屋狂騒曲』

2017-07-17 23:45:44 | goo映画レビュー

原題:『Bravo, Virtuoso!』
監督:レヴォン・ミナスィアン
脚本:レヴォン・ミナスィアン/ステファニー・カルフォン
撮影:ムコ・マルハスィアン
出演:サンヴェル・タテヴォスィアン/マリア・アフメトジャノワ/ヴレジュ・ハコビアン
2016年/フランス・アルメニア・ベルギー
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

 「名演奏家」と「射撃の名手」の相性の悪さについて

 主人公でクラリネット奏者のアリク・ダリアンが所属するオーケストラのパトロンに会いにいき、丁度電話をしていたパトロンに「5分後に来て」と言われたアリクがトイレに立ち寄り、再び戻ってくると殺されているパトロンの死体を発見し、その場を離れるまでのワンシークエンスショットを見て、かなり期待値は上がる。
 ところがクラリネット奏者の「名演奏家(Virtuoso)」だったアリクが「名手(Virtuoso)」と呼ばれる男の携帯電話を手にしたことから殺し屋に間違われるのだが、同時に手に入る大金がコンサートホールの賃貸料に使えることから殺しはしないまでも拳銃も手にするようになり、さらにララという娘を持つ会長が率いる「退役軍人協会」に狙われる目まぐるしい展開のストーリーはあちらこちらに飛んでなかなか追いついていけない。上映後の監督自身の説明によると、本来はもっと長いらしいのだがインターナショナル版はだいぶ短縮したようで、スタイリッシュな映像表現は評価するが、アリクに苦悩が感じられずストーリーに深みがあるのかどうかは怪しい。


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『リトル・ハーバー』

2017-07-16 23:39:19 | goo映画レビュー

原題:『Piata Lod'』 英題:『Little Harbour』
監督:イヴェタ・グローフォヴァー
脚本:イヴェタ・グローフォヴァー/マレク・レシチャーク
撮影:デニサ・ブラノヴァ―
出演:バァネッサ・サムへロヴァー/マトゥーシュ・バチシン/カタリーナ・カメンツォヴァー
2017年/スロヴァキア・チェコ
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

「現実逃避」としてのファンタジーについて

 主人公で10歳の少女のヤルカはそもそも母親のルシアに愛されていなかったのであるが、祖母が亡くなった後にその態度があからさまになり、「私も母親に愛されていなかった」とヤルカに言い残してプラハからブダペストへと旅立ってしまう。アデラとヤクプという双子をベビーカーに乗せた二人の母親がトイレに行くから見ていてくれとヤルカは頼まれるのだが、その母親も二度と戻ってくることはなかった。
 ヤルカはたまたま逆さづりにされていた友人のクリスティアンに遭遇し、過保護であるが故に携帯電話など持たされていた彼のお小遣いでミルクや紙おむつを購入し、空き家になっていた漁師の家に入り込んで、我が子を愛せないという「負の連鎖」を断って理想の家族を作ろうと試みる。
 ところが病気になったアデラを連れてヤルカがルシアの住み家を訪れ、眠っているルシアのそばにアデラを置いてきた後に、捜索願が出ていたクリスティアンを探していた大人たちから逃れると、ヤルカはクリスティアンとヤクプと共に家を船のように動かして航海を始めてしまい、ファンタジーになってしまうのである。しかし家が動き出す前にヤルカが数を数えるのであるが、それはヤルカが眠る時にする「おまじない」のようなもので、実際は悲劇なのである。子供の観賞用としてならば申し分のないエンディングではあろうが、「現実逃避」の感は否めない。


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『初恋・地獄篇』

2017-07-15 00:09:25 | goo映画レビュー

原題:『初恋・地獄篇』
監督:羽仁進
脚本:羽仁進/寺山修司
撮影:奥村祐治
出演:高橋章夫/石井くに子/満井幸治/福田和子/湯浅実/額村貴美子/木村一郎/浅野春男
1968年/日本

「実践」不可能な「初恋」について

 主人公の俊一は七歳の時に父親を亡くし、母親が拳闘家と再婚して養護院に入れられた後、彫金師の家に引き取られ彫金を教えてもらいながら青年になる。俊一はヌードモデルをしているナナミと安旅館で休憩してセックスをするつもりだったのだが、童貞だった俊一は上手くできなかった。
 俊一には友達がいなくて、唯一の友だちだった女の子と公園で遊んでいた時に、女の子が草葉の陰でおしっこをするのを手伝っていたのだが、それを男に見られて変態扱いを受けて精神病院に入れられ、催眠術により義父に性的虐待を受けていたことを思い出す。一方、ナナミの方はヌードモデルと同時に女格闘家としても活動していたが、浮気相手が妻と子供と一緒にいるところを目撃して落ち込んだりしている。
 街では孤独な人のために相槌を収録したレコードが売られているのであるが、そんな時、俊一とナナミは高校生の代数が撮った8ミリ映画『初恋の記録』を観に文化祭を訪れる。代数はモデルになった女子高生が観にくることを期待していたのだが、彼女が来ることはなく作品の評判も良くはなかった。しかし俊一とナナミには感動的だったと思われるのは、このモノトーンの作品において8ミリ映画だけカラーで映されるからである。
 ラストで最初に入った安旅館で再会しようとした2人は、ナナミが先に来て待っていたのであるが、俊一はヤクザたちに絡まれ、安旅館の手前で車に轢かれて死ぬのである。
 ヌードモデルのもとへ配達していたラーメン屋が街中で裸になり、通報を受けたであろう警察官たちが彼を連行するシーンなどもあるように、本作のテーマは「覗く」ことで生まれる「恋」の問題であろう。「恋」とはレコードやフィルムによって記録される「メディア」によってのみ成り立つもので、実際にナナミと代数と一緒に高校の文化祭に向かう電車の中で俊一が踏切に立っている女の子を目撃した時に、本作自体がストップモーションになることで逆に「メディア」を意識させるのだが、自慰で再現できても「実践」できるものではないために俊一は童貞のまま死に追いやられるのである。女の子が俊一に出題した「キャベツをむいたら芯が出るけど、タマネギをむいたら何が出る?」
の答えは「涙」なのではあるが、ここで忘れてならないのは「涙」は出てもタマネギに「心」はないという事実で、ここでタマネギはメディアのメタファーとなっているのである。
 しかし上映後のトークショーにおける羽仁進監督の「寺山修司は名義貸しだけで脚本に全く関わっていない」という発言はにわかには信じがたく、そうなると本作においてもいかんなく発揮されている「寺山修司的演出」のあり方を今一度見直しせざるを得ないだろう。


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『ブワナ・トシの歌』

2017-07-14 00:09:51 | goo映画レビュー

原題:『ブワナ・トシの歌』
監督:羽仁進
脚本:羽仁進/清水邦夫
撮影:金宇満司
出演:渥美清/下元勉/ハミシ・サレヘ/ハイディ・ギダボスタ/サミエル・K・アンドリウ
1965年/日本

素人を相手に物語を紡ぎあげるプロの俳優の力量について

 主人公の片岡俊男は日本の学術調査隊の研究場所となるプレハブ小屋を建てるために東アフリカの国に一人でやって来たのだが、サポートしてくれるはずの日本人は病気で入院してしまい、『ホワイト・ナイルに沿って』という著書の作者で10年間現地でマウンテンゴリラの生態を研究している大西教授にもそで無くされて一人で小屋を立てなければならなくなる。
 片岡はハミシを初めとする現地の住人を雇って小屋を建て始めるのであるが、仕事の遅さにイライラした片岡はハミシを殴ってしまい、彼らは仕事を放棄してしまうのであるが、簡単な裁判を経てハミシと和解した片岡の仕事を手伝おうと再び集結すると小屋が完成する。当初、このストーリーの流れは片岡を演じたのが渥美清ということで、『男はつらいよ』(山田洋次監督)において「暴力」を振るって家を離れて放浪を強いられる主人公の車寅次郎に対するアイロニーかと思ったのだが、『男はつらいよ』の映画版の一作目の公開は1969年で本作の方が先に制作されているのである。そうなると車寅次郎は「確信犯」ということになろう。
 ラストでハミシが海水をコーラの瓶に入れて持ち帰るシーンがある。アフリカ人が本物の「コーラ」を発見するまでには『ミラクル・ワールド ブッシュマン』(ジャミー・ユイス監督 1980年)まで待たなくてはならない。


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『彼女と彼(1963年)』

2017-07-13 00:11:44 | goo映画レビュー

原題:『彼女と彼』
監督:羽仁進
脚本:羽仁進/清水邦夫
撮影:長野重一
出演:左幸子/岡田英次/山下菊二/長谷川明男/五十嵐まりこ/市田ひろみ/穂積隆信/蜷川幸雄
1963年/日本

 思わず壁を叩く人間の心情について

 主人公の石川直子は百合ヶ丘駅に近い団地に夫の英一と2人で暮らしている。ある晩、隣接するバタヤで火災が起こり、それ以来直子はバタヤで暮す住民が気になり始める。そこで偶然出会ったのが盲目の少女である花子と彼女の世話をしており、かつて英一と大学時代に同級生だった伊古奈と彼が飼っている「クマ」という名前の黒い犬である。
 戦後の引揚げ者だった直子は洗練された団地に住む住民とバラック小屋に住むバタヤの住民に挟まれたような存在で、実際に直子は団地に住んでいながらも団地に住む他の住人たちに必ずしも好かれてはいないのである。
 黒い犬に「クマ」と名付けられているのも気になるし、花子が団地に住む子供たちやバタヤ住人たちを操っているような雰囲気や、伊古奈という男が「最高学府」を卒業しながらばた屋に甘んじているのも気になるのだが、ここには柳田国男の民俗学の影響を感じるという感想に留めておきたい。
 本作の要となるのは、が火災に見舞われた後に、ゴルフの練習場を建設するという名目でフェンスが作られの住人たちが移住を強いられ、その頃に花子が体調を崩すのであるが、直子が入院先の病院に見舞いに行くと花子は入院していないと言われ、病人も沢山おり担当している看護婦も不在で昨日までは入院していたが今はどこにいるのか分からないと、今では考えられない弁解で花子の行方が分からなくなる。さらに団地の子供たちに「クマ」を殺された後に、死体を見つけた伊古奈も行方が分からなくなってしまうのであるが、団地はますます「洗練」されていくのである。
 印象深いシーンとして、ベッドに寝ていた直子が思わず壁を叩いて、英一に怒られるのであるが、これと同じシーンが『不良少年』(1961年)の主人公の浅井が少年院に収容された日に、ベッドに寝ながら思わず壁を叩く場面として描かれており、「自由」を奪われた人間が取る行動として壁が叩かれているのである。


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『不良少年(1961年)』

2017-07-12 00:35:19 | goo映画レビュー

原題:『不良少年』
監督:羽仁進
脚本:羽仁進
撮影:金宇満司
出演:山田幸男/吉武広和/山崎耕一郎/黒川靖男/伊藤正幸/瀬川克弘/佐藤章/中野一夫
1961年/日本

「リアル」な映画の存在意義について

 昭和35年4月30日に起こした宝石店の強盗の容疑で主人公の浅井弘がもう一人の仲間と捕まる。昭和17年5月生まれの浅井は18歳になったばかりで、昭和20年に父親は戦死していた。
 少年院では当初、クリーニング科に配属されたが、班長たちとの折り合いが悪く、教官たちの会議の末に木工科に転属され、良い班長に恵まれようやく仕事に身を入れるようになる。
 素人によって演じられた不良少年たちの喧嘩腰の言葉を聞いているうちに、これは北野武監督が撮る「アウトレイジ」シリーズではないかと思わせるのだが、例えば、大量のコッペパンを床に並べて口に含んだ水を満遍なく吹きかけた後に、上から蒲団を敷いて寝た翌日に潰れたコッペパンを集めて仲間に配るシーンがあるのだが、これは善意なのか悪意なのか微妙で、当時の公衆衛生の感度の低さが推し量れる。あるいはタバコの吸い殻を吸うために、綿に何かを混ぜて自家製の「フィルター」をつくるのであるが、その何かが説明がないともはや分からないとしても、要するに本物の不良少年たちをキャスティングした、当時の風俗の記録として残るドキュメンタリータッチの映画の良さなのであろう。


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