MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ピーターラビット』

2018-05-21 00:36:11 | goo映画レビュー

原題:『Peter Rabitt』
監督:ウィル・グラック
脚本:ウィル・グラック/ロブ・リーバー
撮影:ピーター・メンジース・ジュニア
出演:ローズ・バーン/ドーナル・グリーソン/サム・ニール/ジェームズ・コーデン
2018年/オーストラリア・アメリカ

販売員の「エキセントリックさ」の有効性について

 マクレガー家の人間たちとピーターを筆頭とするラビットたちのダイナマイトや金網電流フェンスまで駆使した「仁義なき戦い」はアニメーションの限りでは笑って見ていられるのだろうが、「実写映画」として観るとブラックユーモアがなかなかきつい感じがする。それでもラビットたちの縦横無尽の躍動感は「実写映画」ならではの醍醐味ではあるだろう。
 結局、主人公のビアはシュールで抽象主義の画家を目指しており、ラビットたちのイラストは小遣い稼ぎ程度のものだったのだが、ラストを見ると恋人のトーマス・マグレガーと共にそのイラストや絵本を売りにおもちゃ屋を開いて繁盛している。そして本当はピーターの言葉を解するトーマスこそがシュールな人間だったというオチが面白い。制作者が常識人で販売員がエキセントリックであるからこそ意外とモノが売れるのかもしれない。
 本作で使用されていたザ・プロクレイマーズ(The Proclaimers)の「アイム・ゴナ・ビー(I'm Gonna Be (500 Miles))」は傑作と言ってもいい名曲だと思うのだが、どうも2人のヴィジュアルに難がある。しかしそういうヴィジュアルだからこそその歌詞に説得力があるのである。以下、和訳。

「I'm Gonna Be (500 Miles)」The Proclaimers 日本語訳

目覚めた時は
君の隣で目覚める男でいたいし
出かけるならば
君と一緒に並んで出かける男でいたい

酔っぱらう時には
君の隣で酔っぱらう男でいたいし
冗談を言うならば
君に冗談を言うつもりだ

でも僕は500マイル歩いて
さらに500マイル歩くことで
ちょうど1000マイル歩いた男になりたい
君の家のドアの前にたどり着くためにね

働くならば
君のために懸命の働く男でいたいし
それでお金が入れば
君に全てをつぎ込むよ

帰宅する時には
君がいる家に帰る男でいたいし
年をとるならば
君と共に年をとる男でいたいんだ

でも僕は500マイル歩いて
さらに500マイル歩くことで
ちょうど1000マイル歩いた男になりたい
君の家のドアの前にたどり着くためにね

孤独な時には
君がいないから孤独な男でありたいし
夢を見ている時には
君と一緒に過ごしている時の夢を見るつもりだ

出かけるならば
君と一緒に並んで出かける男でいたいし
帰宅する時には
君と一緒に帰宅する男でいたい
君と一緒に帰宅する男になりたいんだ

でも僕は500マイル歩いて
さらに500マイル歩くことで
ちょうど1000マイル歩いた男になりたい
君の家のドアの前にたどり着くためにね

でも僕は500マイル歩いて
さらに500マイル歩くことで
ちょうど1000マイル歩いた男になりたい
君の家のドアの前にたどり着くためにね

The Proclaimers - I'm Gonna Be (500 Miles)

 しかしザ・プロクレイマーズの地元のスコットランドではかなり盛り上がるらしい。

Imagine Dragons - I'm Gonna Be (500 Miles) live at T in the Park 2014


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『GODZILLA 決戦機動増殖都市』

2018-05-20 00:54:15 | goo映画レビュー

原題:『GODZILLA 決戦機動増殖都市』
監督:静野孔文/瀬下寛之
脚本:虚淵玄
出演:宮野真守/櫻井孝宏/花澤香菜/杉田智和/梶裕貴/諏訪部順一/中井和哉/山路和弘
2018年/日本

ソクラテスとしてのゴジラについて

 『ランペイジ 巨獣大乱闘』(ブラッド・ペイトン監督 2018年)の怪獣の派手な暴れっぷりを観た後に本作を観るならば、日本のゴジラの「動かなさ」に却って驚くのだが、アメリカのゴジラの「エンタメ性」と日本のゴジラの「哲学的」な傾向がここに表れていると思う。
 動かないゴジラをよそに、主人公のハルオはゴジラを倒すためにナノメタルに同化することを提案される。つまり分かりやすく言い換えるならばトニー・スタークがアイアンマンに変身、より正確を期すならばブルース・バナーがハルクに変身したまま戻らないといったところか。ゴジラに対する人間としての「矜恃」を問うという意外な展開の結末を観客はもうしばらく待たなければならない。


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『ランペイジ 巨獣大乱闘』

2018-05-19 01:08:39 | goo映画レビュー

原題:『Rampage』
監督:ブラッド・ペイトン
脚本:ライアン・イングル/カールトン・キューズ/ライアン・J・コンダル/アダム・スティキエル
撮影:ジャロン・プレサント
出演:ドウェイン・ジョンソン/ナオミ・ハリス/マリン・アッカーマン/ジェイク・レイシー
2018年/アメリカ

「オマージュ」に加える「パロディー」について

 元々はヴィデオ・ゲームである。法律が及ばない宇宙で遺伝子実験をしている最中に事故が起こり、脱出ポットとともに地球に落ちてきた病原体に感染したオオカミやワニが巨大化するのであるが、主人公のディヴィス・オコエが飼育しており手話で会話もできるジョージという名前の白いゴリラも巨大化してしまう(壮大な実験のわりには関わっている人が少ないのだが)。
 ここで面白いのは、かつてアン・ダロウを片手にエンパイア・ステート・ビルに登って行った『キングコング』(メリアン・C・クーパー/アーネスト・B・シェードザック監督 1933年)を真似るかのようにジョージはウィリス・タワーの屋上で今回のプロジェクトのCEОであるクレア・ワイデンを掴むのであるが、ジョージはあっけなくクレアを飲み込んでしまうところが笑える「パロディー」である。
 加えて『三大怪獣 地球最大の決戦』(本多猪四郎監督 1964年)という作品があったが、現代においてCGを駆使するならば本作のようになるのであろう。やはり日本のゴジラなどに比べれば怪獣たちの動きが速いと思う。だからと言って特別に違和感はないのだけれど。


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『ラスト・シャンハイ』

2018-05-18 01:21:10 | goo映画レビュー

原題:『The Last Tycoon』
監督:ウォン・チン
脚本:ウォン・チン/マンフレッド・ウォン/フィリップ・ルイ
撮影:ジェイソン・クワン
出演:チョウ・ユンファ/ホアン・シャオミン/サモ・ハン・キンポ―/フランシス・ン
2012年/香港

 過去の名作の教養を必要とする香港映画について

 物語は1913年の江蘇州川沙から1937年の第二次上海事変までの主人公のチェン・ダーチーと幼なじみのイエ・ジーチウの関係を中心に描いたドラマである。
 クライマックスのダーチーたちの日本軍の秘密拘留所の火薬庫への襲撃はあまりにも用意周到過ぎるとしても、既に結婚していたジーチウと夫のチェン・チャイメイを飛行機で逃がすところは『カサブランカ』(マイケル・カーティス監督 1942年)を、火薬庫を爆発させた後、楽屋に戻っていたジーチウを助けようとしてアーバオが撃たれる鏡のシーンは『上海から来た女』(オーソン・ウェルズ監督 1947年)のクライマックスを、その直後のラストで日本軍に囲まれて車の中でダージーが妻のアーバオと共に一斉射撃を受けるシーンは『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督 1967年)を彷彿とさせ、とても上手い「オマージュ」だと思う。


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「Feelings」 Morris Albert 和訳

2018-05-17 00:56:41 | 洋楽歌詞和訳

Morris Albert - Feelings

 ハイ・ファイ・セットが1977年にヒットさせた代表曲である「フィーリング」は

モーリス・アルバート(Morris Albert)が1975年にヒットさせた「愛のフィーリング

(Feelings)」のカヴァーである。まずは「Feelings」を和訳してみる。

「Feelings」 Morris Albert 日本語訳

感情以上のものはない
愛する気持ちを忘れようと努めている
涙が僕の頬を伝って落ちていく
愛する気持ちを忘れようと努めている

僕は生涯それを感じるだろう
君に会わなければよかったのに
君が再び現れることはないだろうから

さまざまな感情
僕はまた両腕に君を感じたいよ

さまざまは感情
君を決して失わないような感情と
二度と君を両腕で抱きしめられないような感情と

僕は生涯それを感じるだろう
君に会わなければよかったのに
君が再び現れることはないだろうから

さまざまは感情
君を決して失わないような感情と
二度と君を両腕で抱きしめられないような感情と

さまざまな感情
僕はまた両腕に君を感じたいよ

 ところが1981年になってフランスの作曲家であるルールー・ガステ(Loulou Gasté)が

彼が1957年に発表した「Pour Toi」に似ているために著作権侵害で裁判所に訴えて

勝訴し、今では共作となっている。以下は、「Pour Toi」の和訳である。

「Pour Toi」 Roch Voisine 日本語訳

君のために
僕は愛していたものたちと別れた
僕は僕を愛してくれたものたちを失った
今夜僕には君しかいないんだ

君がいなければ
昼は夜に似てくるだろうし
生は死に似てくるだろう
今夜僕には君しかいないんだ

君の瞳は炎のように輝き
君の唇は色づき
君の体は熱を帯びる
君の指は僕の肌をはい回り
君の声はため息として消える
僕は喜びで震えるんだ

僕は僕の全ての過去を葬り
捨て去って忘れたのだ
君のためにそうしたんだ

僕が夜に見る夢は君のことだし
僕が生きる希望は君なんだ
今夜僕の話を聞いて欲しい

君の瞳は炎のように輝き
君の唇は色づき
君の体は熱を帯びる
君の指は僕の肌をはい回り
君の声はため息として消える
僕は喜びで震えるんだ
君のために

Hi-Fi SETさん『フィーリング』の歌詞
フィーリング
words by ナカニシレイ
music by モーリスアルバート
Performed by ハイファイセット


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上村莉菜でも通える学校

2018-05-16 00:32:45 | Weblog

 毎週日曜日にフジテレビで放送されている「欅坂46のあっぷっプリ」という番組は欅坂46のメンバーがインスタ映えする写真を撮ることに挑戦するという5分間の番組なのだが、2018年5月13日の放送では上村莉菜が出演しており、雑誌で見たということで東京の御茶ノ水にある「アテネフランセ」という語学学校を選んでいた。建物の壁がピンク色でピンク色が好きだということで壁を背景に写真を撮っていたのである。
 上村は最初学校ではなく洋服屋だと思っていたらしく、こういう学校に通ってみたかったと言っていたのであるが、「アテネフランセ」は中学校を卒業していれば誰でも通える学校で、誰でも通えるようにするために老舗の語学学校ではあるが他の語学学校のように大学にはならなかったのである。フランス語のみならず英語やラテン語や古典ギリシア語でも学ぶ気があるならば「アテネフランセ」ならばいつでも通えると上村莉菜には言っておきたい。

 この番組を見たからかどうかは定かではないのだが、2018年6月27日放送の「AKBINGO!」の「フォロワー10万人 込山榛香に密着」という、込山榛香が福岡聖菜にインスタ用の写真を撮る秘訣を教えるという企画の中で再びアテネフランセの壁が使われていた。


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『サバービコン 仮面を被った街』

2018-05-15 00:56:40 | goo映画レビュー

原題:『Suburbicon』
監督:ジョージ・クルーニー
脚本:ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン/ジョージ・クルーニー/グラント・ヘスロヴ
撮影:ロバート・エルスウィット
出演:マット・デイモン/ジュリアン・ムーア/ジョシュ・ブローリン/オスカー・アイザック
2017年/アメリカ

映画を観賞するまでの複雑な「手続き」について

 コーエン兄弟が脚本を担っているのだからつまらなくはないだろうと思って観に行ったのだが、本当につまらないものになってしまっていた。それがジョージ・クルーニーが監督を務めたことによるのか、あるいはそもそも1986年には仕上がっていた脚本が上手くいっていないとコーエン兄弟が判断したから今日まで撮らずにいて、それをクルーニーが無理して映像化したのかはよく分からない。
 クルーニーの演出は決して悪いとは思わない。例えば、マーガレットが暴漢に襲われるシーンを壁に映る影で現すところなど明らかにヒッチコックを意識したものであろうが、脚本に問題があるとするならばローズとマーガレットを双子に設定したことが上手く活かされていないような気がする。誰かが勘違いするシーンがなければ意味がない。
 しかし不幸なことは続き、実は本作を観る前に同じマット・デイモン主演の『ダウンサイズ』(アレクサンダー・ペイン監督 2017年)を観てしまっており、最後に物語の設定自体に大どんでん返しがあると勘繰ってしまっていたのであるが、予想に反して普通に終わってしまった次第である。つまり「サバ―ビコン」とは「レジャーランド(Leisureland)」のような特別(Special)な街ではなくありふれた(One of them)街だったのである。ありふれた街にありふれた演出では盛り上がりに欠けると思う。


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『モリーズ・ゲーム』

2018-05-14 00:49:43 | goo映画レビュー

原題:『Molly's Game』
監督:アーロン・ソーキン
脚本:アーロン・ソーキン
撮影:シャルロッテ・ブルース・クリステンセン
出演:ジェシカ・チャステイン/ケヴィン・コスナー/イドリス・エルバ/マイケル・セラ
2017年/アメリカ

深刻な「人生ゲーム」が始まる原因について

 鍛錬を重ねて実力をつけた女性アスリートが親の教育が原因で身を持ち崩してしまうというストーリーは『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(クレイグ・ガレスピー監督 2017年)の主人公で元フィギュアスケート選手のトーニャ・ハーディングの物語とそっくりで、なおかつ本作の主人公で女子モーグル選手だったモリー・ブルームの父親のラリー・ブルームは心理学を専攻している大学教授・心理療法士で、自分の娘が博打に手を染めた原因は男性を支配したいという欲望から来ており、それは娘に厳しく接した父親である自分自身に対するコンプレックスが由来であるという的確な分析ができるにも関わらず、娘の違法賭博を止めることができないのだから始末が悪い。
 モリーが改心する瞬間があったとするならば、それはクライマックスにおいて判決が言い渡される直前になってフォックスマン判事がモリーに与えた「温情判決」によってであろう。その時、ようやくモリーは「男性」を赦せる気持ちが持てたような気がする。
 ラストでモリーは「成功とは一つの失敗から、熱意を保ち続けてもう一つの失敗に移れる才能に他ならない(Success is the ability to move from one failure to another without loss of enthusiasm.)」というウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)の言葉を引用している。やはりチャーチルは偉大なのである。


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『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』

2018-05-13 00:20:59 | goo映画レビュー

原題:『Darkest Hour』
監督:ジョー・ライト
脚本:アンソニー・マクカーテン
撮影:ブリュノ・デルボネル
出演:ゲイリー・オールドマン/クリスティン・スコット・トーマス/リリー・ジェームズ
2017年/イギリス

「ソフィスト」としてのチャーチルについて

 ウィンストン・チャーチルは名前は聞いたことがあるくらいの認識なのだが、イギリスの首相に就任した当時は65歳で、キケロなどを引用する教養はあり、もちろんノーベル文学賞を受賞しているのだから頭は悪くはないのであろうが、酒豪でエキセントリックな性格で、よくこのような人が首相になれたというのが正直な感想である。「狂人には狂人を」といったところだろうか。
 作品後半になって国王ジョージ6世から支持を得た後に、初めて地下鉄に乗ったチャーチルは乗客たちと懇談してから議会に入り議員たちからも支持を得て、組閣メンバーたちを自分の意見に従わせるような流れを作る。どことなくすっ呆けた可愛げもあるチャーチルは要するにポピュリズムで自分の意志を貫いたように見えるのだが、イギリスが第二次世界大戦を乗り切れたのはあくまでも偶然であり、本来ならばハリファックス子爵が言うように平和交渉で打開策を図るべきだったと思う。
 字幕は悪くはないが、ところどころチャーチルの「ギャグ」を上手く伝えられていないと思ったが、これは仕方がないのかもしれない。


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『ダンガル きっと、つよくなる』

2018-05-12 18:59:09 | goo映画レビュー

原題:『Dangal』 英題:『Wrestling Competition
監督:ニテーシュ・ティワーリー
脚本:ニテーシュ・ティワーリー/ピユス・グプタ/シュレヤース・ジャイン/ニキール・メハロトラ
撮影:サタジット・パンデ
出演:アーミル・カーン/サークシー・タンワル/ファーティマー・サナー/サニヤー・マルホートラ
2016年/インド

良質のインド映画の特徴について

 国内ではレスリングのチャンピオンになれても生活できなかったために引退した主人公のマハヴィル・シン・フォーガットは息子に夢を託そうとしたのだが、生まれてくる子供は4人とも女の子だった。しかしある時、喧嘩で男の子を負かしたことから才能を見出したマハヴィルは長女のギータ・フォーガットと次女のバビータ・クマリを鍛えだしたのである。
 最初は女の子というだけで試合にも参加させてもらえなかった2人だが順調に結果を残したことで、やがて「ナショナル・スポーツ・アカデミー」に入学することになる。ここで父親とアカデミーのコーチとの間のレスリングスタイルに関する齟齬によって長女のギータは悩むようになり、物語はコーチ側につくギータと父親側につくバビータとの争いになるかと思いきや、さすがにインド映画はそこまでストーリーは複雑にはならない。
 しかしどうしても分からないのは、当初は選手の育成費の不足のためにインドでレスリングはメジャーになれないという考えのもと、育成費の捻出のためにマハヴィルは役所に交渉に行っていたはずなのだが、「ナショナル・スポーツ・アカデミー」が存在するということは育成費不足ということではなく、むしろコーチの教え方に問題があったように見える。しかしそこも詳細なことは描かれていない、インド映画なので。


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