寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

旧福山港(内港)跡を巡る(その3)

2013年05月28日 | 郷土史
金毘羅大権現灯籠前から一方通行の道路を南東へ進むと大きな水路(旧福山港の名残)が見える。潮が引いた時には写真のようにコンクリートの土台が出現する。

旧福山港跡(川と海との合流点)

右から順に川口新四国八十八カ所・第五番石仏、地神、第六番・第七番石仏

ここがまさに川と海との合流点で福山藩の干拓事業推進の歴史を振り返る上では重要な場所と言えよう。川口新四国八十八カ所の石仏が並ぶ間に古い建物がある(福山市松浜町3丁目1‐43)

松浜町3丁目1‐43の建物

鍵のかかった入り口右側の銘板はひどく緑青がふいて判読しにくい状況だが、書かれている文字は「四ツ樋々門」であろう。旧福山市街には今でも数多くの「樋門」が残り交差点の名称としても使用されている。

建物の銘版に書かれた四ツ樋々門

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旧福山港(内港)跡を巡る(その2)

2013年05月28日 | 郷土史
現在金毘羅大権現灯籠は元あった場所から約10m北西の歩道沿いに移動している。昔は見上げていたのが同じ目線になってしまった。

金毘羅大権現灯籠

石灯籠には「明治十三年庚辰八月吉日建之」と刻まれており新町遊廓誕生の5年前に造られたことがわかる。香川の金毘羅さんへ向かう船がこの近くから出ていたと思うと感慨深い。朱の鳥居の愛宮神社そばには川口新四国八十八カ所の札所が2つある。

川口新四国八十八カ所第三番札所

第三番の石仏

寝泊りができる大きなお堂が第三番札所、小さい方が第四番札所だが、お婆さんと話しているうちにこれらも移設されたことを思い出した。幼い頃の記憶では広島県道22号福山鞆線沿い(現リーデンローズ駐車場西ゲート付近)にあった。

川口新四国八十八カ所第四番札所

別の第四番の石仏

彼女は自分の家の隣に「四番の石仏(※ブロック組の祠の中に祀られている)が別にある」ことを教えてくれた。確かに番号がダブるが理由は不明とのこと。こちらの位置は昔のままだ。

参考までに第一番・第二番札所の場所を書いておこう。松浜町1丁目1‐36の共立ビル南側にあり(そこから西側が旧赤線地帯)札所は旧入江南岸から東へと配置されている。

川口新四国八十八カ所・第一番

川口新四国八十八カ所・第二番

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