青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

朝ぼらけ 車窓うつつか 幻か。

2021年11月30日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(払暁の松山市街@大手町駅)

道後温泉の湯に浸かり、ビジホの部屋でハイボールを飲んで早めに寝てしまった松山の夜。旅に出てしまうと必然的に朝が早くなるのだが、ご多分に漏れず午前5時のアラームでぱっちりと目を覚ます。とは言え、都会の電車の様に朝4時台から電車が動いてるという事もないので、部屋でニュースを見ながら昨日買っておいたパンと缶コーヒーで朝食を取り、ゆっくり着替えて外に出たのは午前6時前。西の国の夜明けは、東人(あずまびと)の感覚からして30分は遅い。まだ明け切らぬ街を、古町車庫から出た回送電車が市駅に向かって行きます。

宿から歩いて大手町駅前にやって来ました。昼間の喧騒が嘘のような人もクルマもない街で、ダイヤモンドも静かに眠ったまま、煌々と街路灯に照らされていました。市内電車も郊外線もおおよそ始発は6時前後なので、この時間は石畳の軌道線とアスファルト敷きの鉄道線の美しいコントラストを静かに眺める事が出来ます。おそらくこの日の大手町駅の乗客一番乗りをキメてホームに入ると、ホームの掃除をしていた駅員さんから「おはようございますぅ」とのご挨拶を頂き、この日の伊予鉄行脚がスタート。ひとまず横河原方面に向かってみる事に。

大手町駅から横河原行きの始発電車に乗って松山市駅へ。伊予鉄の郊外電車は、松山市駅を中心にして高浜・横河原・郡中港と三方向に伸びておりますが、基本的に高浜線と横河原線は一体として通し運転しており、郡中線が線内折り返しの運用をしています。市駅のホームは2面3線、相対式の高浜・横河原線ホームの外側で郡中線が単式で折り返す構図ですが、この列車はそのまま高浜線から横河原線方面へ。

この日は、前日とは打って変わって低い雲が垂れ込め、気温は高くて少し蒸し暑く湿っぽい朝でした。夜明けがハッキリしない、何とももっそりした晩秋の朝を走る横河原線の始発電車。これでお日様でもピッカリ出ていたら、ロケハンしながら途中下車しても良かったのだけど、高浜線と違って横河原線は松山市の郊外を延々と走る路線。県道沿いには住宅地と量販店が並ぶような、ありていに言ってどこの地方にもありそうな風景でそう何かがあるって感じもなく・・・

3000系のパノラミックウインドウに、あまり写欲をそそる事のない景色が淡々と流れて行きます。小さな駅に割と忙しなく停車する列車、平井辺りから若干遠くの方に山並みが見えたりして来ましたが、早起きが祟ったのか思わずシートでウトウト。終点に向かって降りるタイミングを見付けられないまま、列車は横河原の駅に滑り込みました。

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ナイトラム 道後湯の街 逍遥し。

2021年11月28日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(街灯りに冴えて@JR松山駅前)

高浜から松山市街に戻り、JR松山駅前のビジネスホテルに荷物を放り込みました。ひとしきり夕方の地元のニュースを眺めながら一服した後、改めて身軽になって街へ出ます。祝日の夜7時前、観光客もあらかた引いた街を路面電車で巡って行くナイトラム・タイム。電停で待っていると、石畳の軌道に乗って現れたのは午後の西堀端で見たモハ51号。最古参のエスコートで、夜の松山を徘徊する事にしましょうか。

それにしてもこのモハ51号、昭和26年の製造との事で実にクラシカルな車内である。アルナ車両の前身会社であるナニワ工機製造、外側が鋼板で車内が木造の半鋼製車。木造の古い車両にありがちな機械油の香りとニスの香りが混ざったような独特の香りが漂う車内は、新型のLRVでは決して出せない風格があります。ブルーのモケットも渋いですね。JR松山駅前から、宮田町、古町方面へ向かう環状線外回りの1系統。走り出せば重々しいツリカケの音が喧がしく、路面電車の情緒を存分に堪能するのであります。

古町から松山城の北側を通って上一万へ抜けて行く環状線外回り。官庁街・繁華街の広がる松山城の南側に比べ、城北地区は閑静な住宅街。この時間は市駅や松山駅方面から帰宅する乗客の下車が多く、生活に密着した路線という雰囲気。どこかでワンカット調達したく、清水町の電停で51号を降りてみる。電停の奥にある正林寺と言う大きなお寺さん。この電停は松山大学のキャンパスに近いようなのだけど、学生の利用はどれくらいあるのだろうか。

城北の裏路地をゴロゴロとツリカケ車が転がって来る清水町界隈。乗ったり降りたりでも、10分ごとに電車が回って来るので探索は楽である。路面電車ってのは、ちょっとの距離を気軽に均一料金でサクッと乗れるところに良さがあるんで、ある程度のフリークエンシーが確保されていないとどうにも使いづらい。個人的には20分に一本は欲しい。コロナ禍の中で、路面電車でも減便を余儀なくされているところも多いと聞きますけど、同じ四国のとさでん交通とか末端区間は40分間隔とか。

環状線を乗り進めて平和町一丁目。平和通りの中央分離帯にある銀杏並木が黄葉していました。この平和通りを西にまっすぐ行くと古町駅。宮田町からほぼ専用軌道を通っていた環状線は、ここで再び併用軌道に出て上一万で道後温泉方面からやって来た線路と合流します。

上一万で市駅からの3系統に乗り換えて、終点の道後温泉へ。道後温泉の駅はいわゆる大正ロマン的なモダンな駅舎に建て替えられていて、歴史ある温泉街の玄関口としての雰囲気を維持しています。アンカーを務めてくれたのは伊予鉄路面電車唯一の移籍組である2000形、廃止された京都市電からの譲渡車になります。同じ京都市電からの譲渡車でも広電1900形は京都出身であることが結構メジャーなような気はしますが、伊予鉄にもいたんですねえ。そんな雅な経歴を持つ2000形と、道後温泉の駅舎を絡めてパチリ。

1888年の伊予鉄道開業に続く事7年、1895年に道後鉄道によって開業した道後温泉駅。日本三古湯(道後・有馬・いわき湯本)に名を連ね、長い歴史と数々の故事や文学に登場する温泉地の玄関口です。国内でも超メジャーな温泉地ですから、温泉好きとしては一回くらいは浸かってみたかったのはあります。駅舎にはスタバが展開し、駅前には伊予鉄名物の「坊ちゃん列車」が留置され、浴衣姿の女性客がそぞろ歩く風景がバリバリの観光地って感じですね・・・

飲食店や土産物屋の並ぶアーケードを抜けて、道後温泉の本館にやって来ましたが・・・現在、道後温泉は約一年間に亘る大改修工事の真っ最中。国の重要文化財である道後温泉本館は、1894年に当時の道後町長が建設した木造3階建ての豪勢な湯殿建築ですが、本館南側は物々しい鉄骨のドームで覆われ、中の姿を見る事は出来ません。

道後温泉の大改修工事は休館の形を取らず、工期ごとに場所を分けて行われているため、北側の一部を使って営業は続けられています。但し、入場できるスペースが狭くなっているのと、いわゆるコロナ対策で人員制限が行われており、利用には整理券が必要との由。この日は祝日で、既に整理券の配布は終了しておりました・・・という事で折角の訪問なのに道後温泉の本館での入浴は叶わず、戦後に建てられた外湯のうちの一つである「椿の湯」で道後温泉の湯を楽しんだのでありました。こっちもでっかい湯釜から滔々とかけ流しになっているいい温泉でしたけどね。

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猫耳が 港見つめる 古駅舎。

2021年11月26日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(港町の終着駅@高浜駅)

風格ある立派な木造駅舎に歴史を感じる高浜駅。高浜線の終着駅です。ここから、広島や芸予諸島方面にフェリーが発着する松山観光港までは、電車に接続するバスがフェリー乗り場へ連絡しています。昔は高浜港がその役割を担っていたそうなのですが、現在は近くの小さな離島との間のフェリーが発着する小港があるだけ。木造二階建ての本社屋は、屋根裏の部分に付いた猫耳的なドーマー窓がお洒落。明治・大正の時代の建物にはよくあるデザイン。

瀬戸内海に日が暮れて、そろそろ夜の帳が降りつつある高浜の駅。駅から続く緩いスロープは、そのまま駅前通りに続いていて、信号を渡ればすぐそこがフェリーの出る高浜港になっています。スロープの途中にはなんとも鄙びたよろず屋的な売店があって、これは島に渡る人とか島から来た人がちょっとした食べ物や雑誌、タバコか何かを買い求めたりするための補給基地なのだろうか。

暫く待っていると、四十島(しじゅうしま)瀬戸を挟んだ対岸の興居(ごご)島からフェリーが戻って来ました。祝日の一日を島で過ごした人たちや釣り人達が、三々五々に高浜駅やフェリー乗り場の駐車場に向かって行きます。この高浜港から出るフェリーは、興居島の泊と由良という集落をそれぞれ結んでいて、日中は一時間に一本くらいの間隔で運行されているようです。

高浜の駅は、高く吹き抜けになった格子天井の下に待合室と改札口があって、スペースに食券のようなペナペナな紙が出てくるきっぷの自動券売機が置かれています。見ていると、ほとんどの利用者はICカードを利用しているみたいでしたが・・・ホームに滑り込んで来た折り返しの横河原行き。「DAIWA」の釣り竿バッグを担いで興居島から帰って来たお父さん、釣れましたか?

ブルーモーメントに沈む高浜のホーム。蛍光オレンジの伊予鉄電車は、このくらいの空の色味によく合いますね。終着駅らしく、ホームの片隅には前窓洗浄用のバケツとブラシが置かれていました。折り返しの時間を使って窓を掃除するシーン、京急の三崎口なんかではよく見た風景ですけど。

松山の中心街から20分ほどで、やけにローカルな港町の風景に出会える高浜界隈。時間があればフェリーに乗って、興居島にでも渡ってみようかななんて思ってたのだけど、今日は日没コールド。発車の時間が迫った横河原行きに乗り込んで、松山の街へ戻ることに致しましょう。

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茜空 瀬戸は日暮れて 梅津寺。

2021年11月24日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(バブルの残り香@梅津寺駅)

古町から電車に乗り高浜方面へ。三津の駅を出ると、車窓には瀬戸内の海が広がり、やがて電車は梅津寺の駅に着きます。「月9」という言葉を一般的な口語たらしめた感のあるドラマ「東京ラブストーリー」の最終回の舞台の一つ。瀬戸内の青空の下で、カンチを待つリカの姿が目に浮かびますわね。ってか、普通にカンチとリカとか言っても、40代以上のナイスミドルしか分からんさね。本放送が1991年、カンチ織田裕二23歳・リカ鈴木保奈美25歳の頃のトレンディドラマって事なんですが・・・あれから30年、鈴木保奈美は川井ちゃんと結婚して別れ、石橋貴明と再婚してつい先日二度目の離婚。織田裕二はなんかあったっけ?世界陸上とマキシ・プリーストくらい?(織田裕二情報に疎い40代男性)。

海を背にした梅津寺の駅。以前は、この駅に隣接して「梅津寺パーク」という伊予鉄直営の遊園地があったそうなんですが、今は取り壊されて影も形もありません。地方私鉄による遊園地経営というのは、富山地方鉄道の大川寺遊園、静岡鉄道の狐ヶ崎ヤングランドなんかが思い出されますが、そもそも地方鉄道を資本とする遊園地で現存してるもの自体があまりないですよね。唯一富士急ハイランドくらいじゃないのかな。あと遠鉄系列の浜名湖パルパルとかもそうか。

梅津寺の駅は、西に開けた海沿いの駅。そうなると、普通に考えれば夕焼けがきれいなのではないか・・・という見立てで、しばらくこの駅で日没までカメラを出してみようと思いまして。ただ、松山に到着した午後2時ごろはキレイに晴れていたんだけど、どうも夕方の松山沖の瀬戸内海上空は雲量多めでイマイチスッキリしません。それでもまあ、水平線と上空の雲の間には十分に隙間があるので、そこに太陽が飛び込んで来れば充分に勝負になるはずです。

それまでは、秋空の移ろい行く様を眺めつつ、駅のホームやその周りを宛もなく彷徨いながら、カシャリカシャリととりとめもなく散文的にシャッターを切って行く。夕陽の浜辺に降りて行く女子大生のグループを、暫しオレンジ色の電車が通せんぼ。太陽の高度が下がって来たのか、空を覆う雲の赤味がほんのり増してきたような・・・かそけき夕暮れのプロローグでしょうか。

そして予想通り、今日のこの日の最後の光が、低い雲を抜けて水平線の向こうから差し込んで来ました。瀬戸内の島並みの影を映して、キラキラと輝く光の波。赤い夕陽に染まる梅津寺の駅のホーム。やにわに構内踏切がカンカンカン・・・と電車の接近を告げて、みかん色のボディをより一層と熟した色に輝かせながら、高浜行きの電車がやって来ました。

纏っていた都会の香りは、潮の匂いにかき消され。吉祥寺の喧騒は、梅津寺の波音に変わり。あの頃のヒールの高さも、街を華やぐ若者の姿も、身動きの取れぬようなスーツだらけの混雑も、夜更けの車内を埋めた盛り場の酔客も・・・今は遠く離れてしまったけれど、それでもこの伊予の街を走って早や10年。虹色に輝いていた帝都の時代をちょっとだけ懐かしみながら、自らの務めに倦むことなく淡々と走る3000系です。

梅津寺のホームから、梅津寺海岸と暮れて行く瀬戸内の海をただ静かに眺めます。30年前、あのドラマの最終回で、鈴木保奈美演ずる赤名リカが、織田裕二演ずる永尾完治を待っていたのがこのホームのこの辺り。あの日あの時あの場所で君に会わなかったら・・・という主題歌のフレーズを口ずさみながら、たしかなことは、この日の梅津寺の夕焼けとキラキラした瀬戸内の海は、言葉に出来ないほどキレイだった・・・という事でしょうか。

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浮浪雲 秋の古町や 照り翳り。

2021年11月22日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(松山の街の遅い午後@古町駅)

大手町からたった一駅ですが、古町駅にて下車します。新潟っぽく「ふるまち」と読んでしまいそうですが、「こまち」です。この駅には伊予鉄の古町車庫が併設されていて、乗降客の中心である松山市駅とはまた違ったテクニカル的な心臓部を担っています。現在の伊予鉄の主力車両である3000系は、関東モノには馴染みの深い京王井の頭線の3000系。昭和の時代はご多分に漏れず自社発注車や雑多な他社流れの車両で運用を賄っていた伊予鉄ですが、「グリーン車」なんて言われていた湘南窓の京王2000系の導入から、長い事車両に関してはずーっと京王帝都流れの車両が中心のラインナップを組んでいます。

ホームから眺める古町の車庫。伊予鉄の面白いところは、路面電車も鉄道線車両も一緒くたに車庫に並べられている事にあります。高浜線は路面電車に合わせて600Vで敷かれていますので、同じ架線が張ってある構内に並べ置いても問題はないのでしょうね。横河原線・郡中線は750Vなので、郊外線の車両が複電圧対応の装置を持っているのかと思いきやそんな事はなく、単純に750V対応の車両を高浜線では600Vで動かしているだけのようです。150V程度は機器的にもバッファーの範囲内で、かつ高浜線が平坦で低電圧がさほど問題にならない、というのもあるのかもしれませんが。

古町駅は、隣の大手町駅と同様市内線(環状線)との接続駅ですが、環状線北部と市駅・JR線方面への双方の乗り換え需要がそれなりにあるようです。大手町でJRの松山駅方面へ高浜線を跨ぎ越した市内線は、再び駅の南側で高浜線を豪快に横切り、古町駅のホームに入ります。新製能車両5000形同士の交換シーン。路面電車の国内トップメーカー、アルナ車両の「リトルダンサー」シリーズの最新鋭車両です。リトルダンサーってのは、キビキビと街中で小回りの利くダンサーを想起しますけど、超低床型バリアフリー車で「段差が小さい(リトル段差)」という意味のダブルミーニングなんだって。流石は大阪・摂津のアルナ、ナニワのセンスが効いてますなw

改札を出て、古町の車庫の裏に回ってみると、井の頭線の3000系に主力を奪われたかつての京王本線のクイーン・5000系が静かに秋の鱗雲の空の下でお休みになられておりました。こうしてみると、古町の車庫はほぼ京王中古車センターという雰囲気もあり、長年京王の車両を改造してはこの会社に供給している京王重機整備サマサマってとこでしょうか。特に5000系は本線の1372mmの軌間の車両ですからねえ。勿論18mの3扉車というサイズ感は地方鉄道向きだったのでしょうが、この名車を廃車にする事なく、他の会社の車両から発生した台車を履かせて再整備し、全国の地方私鉄に納入した事は特筆すべきでしょう。富士急・ことでん・一畑・伊予・客車でわたらせ、そして富士急・伊予を経て岳南・銚電・・・

古町の駅の西側は郊外線車両のたまり場で、東側は市内線電車のたまり場。小さなピットにキュウキュウに単車たちが押し込まれています。伊予鉄の市内線は、全車が単車で連接車も2両編成もありません。市内循環が中心で、富山や広島のように郊外に伸びている訳でもないので、単車で回収出来る程度の流動という事なんでしょう。到着した横河原行きの3000系の向こうに市内線電車を見る。駅前の銀杏並木がきれいに色付いていました。

この日の松山、浮浪雲が空を覆って晴れたり陰ったり。古町の駅で小一時間滞在してあれやこれやと撮影してみましたが、郊外線の車両はほぼ井の頭線(3000系)なんですね。導入されてもう10年、3両×10編成の大所帯だから当然か。導入時に再整備を受け、3M2Tから1M2Tにユニットを変更し、制御装置も省エネを狙ってVVVFインバータに換装していて、伊予鉄全体の体質改善に寄与した車両とも言えます。まあそれにしても、現行の伊予鉄塗装は車体が蛍光オレンジ一色で目がチカチカしますね。非常に強い色味なので、車両の細かいところのディテールを出すのが難しい。

この単一色になる前は前面のFRPがオレンジ系のベージュ、そしてステンレスボディの部分は無塗装に二線のオレンジラインという割と控えめでスタイリッシュなカラーリングだったので、そっちの方も撮りたかったでなあ。井の頭線の時代を知る世代としては、やっぱりFRP部分は独立したデザインにして欲しかったかな・・・、とやっぱりここでも「昔は良かったのに」系のお話を炸裂させてしまうのでありました。

 

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