青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

謹賀新年

2020年01月01日 09時00分00秒 | 日常

(銚子半島の日の出@飯岡・刑部岬展望台)

明けましておめでとうございます。
旧年中はこのブログをご覧の皆様をはじめ、ひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
本年も相変わらず、変わらぬお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸、そして趣味活動の健やかならんことをお祈り申し上げます。

令和二年 元旦

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鉄道の日

2019年10月14日 23時00分00秒 | 日常

(新幹線E7系@長野駅)

本日10月14日は鉄道の日、という事で、この三連休は全国各地で様々な鉄道のイベントが開催を予定されていました。しかしながら、関東甲信越から東北を襲った台風19号の襲来によって、とてもお祝いムードでは迎える事は出来なくなってしまいました。前回の15号が風台風だったので、どちらかといえば自分も暴風の被害を脅威と捉えていたフシもあったのですが、土曜日未明から我が家でも屋根を叩きつけるような雨。それでも、陸地に接近すれば勢力の衰えと偏西風によって台風の速度が上がり遠ざかって行くのが今までのパターンだったのですが、八丈島付近からダラダラと時速30km程度で接近し上陸後も全くそのスピードが上がらず、伊豆半島から箱根丹沢関東山地、そして日光那須福島方面の山塊に暖かく湿った空気がぶつかり続けました。その結果、土曜日から日曜日のまる一日以上をかけて非常に強い雨が降り続いたという猛烈な雨台風でした。

関東甲信越一円の豪雨災害はいずれも多数の人的被害を出していますが、長野県の千曲川流域における堤防の決壊と広範囲の浸水が特に被害が大きいようです。とりわけ浸水地域にあった北陸新幹線の長野新幹線車両所が、最新の新幹線であるE7/W7系10編成120両もろとも水没してしまったという映像は、台風一過の秋晴れだった日曜日の朝に衝撃的な映像として網膜に突き刺さって来ました。近年の自然災害の被害の甚大なことが、本来であれば台風被害とは無縁だったはずの信州も飲み込んでしまった事、個人的にも長野近郊の訪れた場所や見覚えある風景が泥水で変わり果ててしまった姿には、何とも言えない気持ちがあります。


長野市内に限らず、東信では千曲川の赤い鉄橋が落橋してしまった上田電鉄の別所線も大きな被害を出しました。こういった地方ローカル線は、大規模な災害による設備損壊が命取りとなりかねない事情があります。それでも、別所線は地元の足として沿線の住民が存続の運動に強い意欲を持って取り組んでいるイメージがありますし、何といっても分社化されたとはいえ東急グループの一員。地方自治体からの支援と併せ、迅速な復旧作業を願いたいと思います。春まで通った飯山線も、飯山市街や津南方面で洪水被害が出ているようで、もともとそう地盤の強いところを走っていないだけに、被害状況が案じられますが・・・

そして、ふと自分の地元を見れば、小田急は渋沢~新松田間の四十八瀬川による道床洗堀、そして箱根登山鉄道の湯本から上は、複数の土砂崩れや沢水による土砂の流れ込みによってズタズタにやられていた。どうやら小涌谷の蛇骨(じゃこつ)川の鉄橋が土砂とともに押し流されているようだ。台風の通過と並行して箱根の雨量を追っ掛けてたんだけど、時間70ミリくらいの雨量が一日中続いていて、これはヤバいなと思っていたのだが案の定であった。箱根の48時間雨量が1000ミリ超えとか信じられない数字だ。小田急はともかく、登山線の復旧は被害の規模が大き過ぎて現状見通しが全く立っておらず、かなりの長期戦を覚悟しなければならないだろう。登山線の途絶は箱根の観光に甚大な影響を与える事が必至で、沿線のホテルや旅館(特に宮ノ下・強羅周辺)はこの秋の観光需要をかなり逸失したに等しいのではないか。

個人的には、登山線の旧型を最後の紅葉シーズンで撮る事がおそらく叶わないであろう事が残念でならない。自然災害の前に趣味の話などするべきではないのかもしれないが・・・。被災された方々と被災された鉄道会社にお見舞いを申し上げるとともに、まだ被害の状況も錯綜する段階ではありますので、ご自愛くださいますよう。

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次は自分

2018年09月08日 07時00分00秒 | 日常

(旧客とSL@横川駅)

天災は忘れた頃にやって来る、なんて言いますけど、流石にどんなアホウでもここまで月単位で災害が起こると忘れないのではないかというねえ。いくらなんでも一週間でドデカい台風と大地震が連発とかないわな…と思って日本の近代の災害史みたいなものをひもといてみたんだけど、太平洋戦争末期から戦後まもなくにかけて(1940年代)日本はそういう時代があったんだよね。今恐れられている「南海トラフ」を震源とする、昭和東南海地震や南海地震のあった時期ですが、その他にも三河地震や鳥取地震、戦後の福井地震とかとにかくこの時期は地震が頻発し、台風も枕崎台風やカスリーン・アイオン台風などが物凄い被害を出している。戦時中から戦後の混乱期の話なんで、お国に都合の悪い話はあまりされなかったのと、戦後は戦後で混乱していてそれどころじゃなかった、という事であまり文献など見聞きしたことがない。カスリーン台風の話とか今度本屋で見付けたら買ってみようかな。洞爺丸台風の本は読んだことあるんだけど。

全道停電という北海道の機能停止を見るにつけ、自然災害はその直接的な人的被害もさることながら、高度化した社会においてはインフラ破壊の方に恐怖の比重が移りつつあるなあと思う。ともあれ、こうなると「次はどこか」という事にセンセーショナルになりがちですけど、常に「次は自分」と言い聞かせて、いつ何時何があるかはわからない不確実性の強い時代を生き抜いていくしかないのでしょう。
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20年前の夏

2018年08月17日 11時01分23秒 | 日常

(面影微かに@三条競馬場跡地)

そう言えば、先日越後線沿線に行った際に、東三条まで115の青髭を追っ掛けてったんだけど、その帰り道に何となーく見覚えのある景色を見たような気がして、よくよく思い返してみたらそれが三条競馬場の跡地でした。これはバックストレッチの向こう側から競馬場の跡地を見た風景。ポプラ並木のあるあたりが3コーナーだったと思う。信濃川と五十嵐川の合流点の河川敷にあった競馬場で、ザ・草競馬という雰囲気が日本一感じられる競馬場であった。三条競馬が廃止されたのは2001年(平成13年)だからもう17年の歳月が流れているのですが、新潟交通の全線廃止が1999年だからほぼ同時期か。2000年前後辺りは地方私鉄も地方競馬もバンバン廃止されていて、それはバブル崩壊後の世の中のリストラクチャリングが一斉に始まった時期でもあります。


かく言う私も開催中の三条競馬に行ったのは1回きり。平成10年7月20日らしい。新潟県競馬でも三条開催はとにかく開催日数が少なくて予定を合わせづらかった。兵庫県競馬の姫路開催みたいなもんか。行った日はアラブの重賞が組まれていたようです。「アラブの4歳5歳抽選馬限定重賞」って言われても今の若い競馬ファンには何言ってるんだかよく分からないんだろうなあ。アラブの補助馬とか抽選馬とか、ようはサラより売れないアラブ馬を「畜産振興のため」という名目で各地の馬主会が一括購入して、零細馬主に安く割り当てていたという制度ですよね。三条競馬で撮影した写真もあったと思うんだけど、度重なる引っ越しで資料が散逸してしまったのか実家にあるのか見当たらず…ジョッキーで言えば今でも笠松で頑張ってる向山牧を筆頭に榎、山田、大枝、長谷川。ベテランでは渡辺正治なんかも巧かったねえ。


遥か五頭連峰を望む競馬場の跡地(そーいやゴズレンポウなんて名前のアラブ馬もいましたな)。平成23年の福島・新潟豪雨(只見線が流されたヤツですね)によって大水害に見舞われた三条市街ですが、ここ三条競馬の跡地は「防災ステーション」として水防設備などの整備が進んでいるようです。競馬廃止後もスタンドは大井の場外として使ってたんだけど、老朽化で耐震の問題もあり解体されたそうな。三条のスタンドはなぜかコースに対して斜めに立っていて見づらかったし、穴場は地下で薄暗いし、でも真夏はクーラー利いてるのそこしかないから越後の馬券ジジイたちとダンゴムシのように地下の穴場に潜っていた記憶がある。スタンドが壊されているのと、走路も潰されているのであんまり痕跡がないんだけど、元パドックがあったと思しき場所には乗馬クラブがあって、辛うじてここが競馬場だった名残をとどめていました。

三条の思い出と言えば馬券とかよりも売店で売ってる「越後もち豚の串焼き(塩)」がめちゃんこ美味かったことよね。あれは競馬場グルメの中でもかなり上位に行く逸品であった。炭火でジュウジュウ焼いた豚バラ肉のカタマリを塩コショウで食うだけでなんであんなに美味かったのか、クソ暑かった三条の夏とともにあの味を思い出します。
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果てしない喪失感

2018年05月17日 19時53分41秒 | 日常
ヒデキが逝ってしまった。

正直、色んな著名人の方とか、スポーツ選手とか、芸能人の方とかの訃報に触れて来たんだけども、今までで一番ショックかもしれないねえ。脳梗塞に倒れてから、色々大変なのは伝わって来てはいたんだけど、それでもあのエンターテインメント感あふれるパワフルなステージと、あの歌声がもう二度と聞けなくなると思うと…果てしない喪失感があります。病に倒れてからもう十数年が過ぎていたとは言え、63歳でしょ。若過ぎるよね。

彼の歌唱とそのパフォーマンスについては、5年前のこのブログに書き記した通り。「不謹慎だけどこのままヒデキが復活する事なく老いさらばえて亡くなってしまう前に、ヒデキの素晴らしさはもう一回くらいは語っておいたほうがいい」なんてその時は書いてますけど、まさかこんなに早くその時が来るなんて思いもしませんでしたね。今日の昼に訃報に触れたその時から、何となくぽっかりと心に穴が開いたような気がしていて、帰り道にiPhoneで全盛期のヒデキの歌唱を聞いていたら、ダメでしたねえ。もうこんなに色っぽくて存在感のあるシンガーは、こんなにもカッコいいボーカリストは出てこないんだろうなあという思いに、いよいよもって昭和が遠くなった気がしました。

青空よ心を伝えてよ
悲しみはあまりにも大きい
青空よ遠い人に伝えて
さよならと

阿久さん、安井さん、三木さん、ヒデキがそっちに行ったよ。
ありったけ書き溜めたであろう彼らの新譜で、これからも天国に響く歌声を聞かせて欲しいと思います。
どうか安らかにお休みくださいますよう。
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