(山の彼方の空遠く@下仁田駅遠景)
昼下がりの下仁田駅の構内を、千平寄りの四種踏切から。妙義荒船の前山に阻まれるような形で、ここ下仁田に終わっている上信電鉄のレール。もとより「上信」という名前を冠し、明治30年に敷設されたこの鉄道は、下仁田から先、内山峠を越えて遠く信州は佐久の街を目指す構想がありました。しかしながら、その高い志は実行に移される事はなく、下仁田から先の工事はほとんど進捗しないまま今に至ります。もとより、標高250mの下仁田から、約15kmで標高1150mの内山峠を越えて信州の扉を開くには、相当な難工事と急勾配のルートになったろうな・・・と。勾配を緩和するために長大なトンネルを掘る事が出来なかった当時としては、計画の時点でなかなか無理があった話なのではないかと思うのです。
信州への夢半ばにした下仁田の駅を出て、街をそぞろ歩いてみる。真夏の日差しに白く煙ったような西上州の街は、入り組んだ小さな路地に、これまた小さな昔ながらの商店が軒を連ねていて、イイ感じにワビサビが効いている。そんなレトロな商店の間に、時折昔ながらの立派な商家が混じっていたりして、何とも日本人的な「ふるさと」の光景が広がっている。
時刻は午後1時半少し前。下仁田の街、昼下がりの路地裏。朝早く出て来て、コンビニのパンを齧っただけの道中。小腹も空いた。目の前の「餃子・タンメン」の看板に誘われて・・・と言うか、下仁田に来たら、この店に来てみたかった。殆どテレビドラマなんぞ見ない自分が、毎シーズン欠かさず見ているTXの「孤独のグルメ」でも登場した「一番」さんへ。隣の「コロムビア」もすき焼きの名店としてドラマに出て来たのだが、また下仁田に行く機会があれば行ってみたいところ。
劇中、松重豊演じる井之頭五郎が座った席で、看板メニューでもあるタンメンとギョーザ。カポカポとお兄さんが中華鍋で野菜を炒め、白湯のスープと煮込み、しっかり茹でたヤワ目の太麺と合わせたたっぷり野菜のタンメン。そして皮から手作り、その場で包み、長年使われているであろう鉄鍋でしっかり焼かれた手作りギョーザ。うん、塩味スープの旨味が野菜に染み込んだタンメンも美味かったけど、特にギョーザが美味かったね。ニンニクの効いた柔らかめの餡にモチっとした口触りの皮。鉄鍋に当たって焼けた部分はカリっと羽根付きで香ばしいし、もう一皿食べたかったわ。さすがに看板メニューなだけあります。看板メニューという言葉は、看板に書いてあるから看板メニューなんだよね。なんて事を今更ながら再認識してしまった。
店を出て、満腹の腹を揺すりながら、夏の下仁田の路地裏をもう少し散策する。しかしなあ、昼にこうしてメシ屋やラーメン屋に入る事が当たり前だった時代が遠くの昔に思えて来るな。最近は、会社行っても撮り鉄行っても、コンビニのパンかおにぎりを車の中で食べてばかり。そんな生活がかれこれ一年半以上続いているような・・・いやね、一人ないしは家族で小ぢんまり静かに食べるなら外食しても良いと思うんよ。でも一人で飲食店に入ると、衝立があっても大声で喋る隣の客だったり、昼からビール飲みながら大きく咳き込んでる爺さんだったり、自分以外の客の行動がいつにも増して気になってしまってね。そうなるとクルマの中のコンビニ飯でも落ち着いて食えるほうがいいやって。そんな悲しい時代になってしまった。
商店の立ち並ぶ表通りから、狭い裏路地に入った場所にある神社。何か壁に張り紙がしてあるな、と思い近付いて読んでみると、ああ、世の中にはこういう篤志家と言われる人たちが本当にいるのだな、と言うようなエピソードのご報告。新型コロナウイルス蔓延で打沈む今日、太陽がうち昇り世を照らすような明るさを感じたという神社の感謝の言葉。下仁田は、なかなか優しい人のいる街である。歳を取ったら、こういう暖かみのある街に住んでみるのも悪くないかも。昼からタンメンとギョーザで、ビールのコップを傾けながら・・・