青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

国策に、袂を分かつ線と線。

2024年09月07日 10時00分00秒 | 西日本鉄道

(高層マンションを背に@和白駅)

貝塚からスタートして、名島、西鉄香椎、そして三つ目の交換駅が和白駅。15分間隔のパターンダイヤ、どの駅でもきっちりと交換があってシステマティックである。和白の駅は、周囲に高層マンションに囲まれた住宅街の駅、という感じ。博多湾に沿って走る西鉄貝塚線、この和白駅と一つ前の唐の原駅付近が一番海に近い。ただし、海岸まで住宅が建て込んでいることもあり、車窓から海は見えません。というか、写真が似たような駅の交換シーンばかりで申し訳ない(笑)。西鉄貝塚線、さすがに都市部を走る路線ということもあって、そこまでフォトジェニックな場所を見つけきれない・・・というのもあり。そして、この日の博多は35℃を超える猛暑。あまりにも暑くて、駅間を歩いて撮り歩くという行為は正直しんどいということもあった。そこらへん自分でも最近根性がないなあと思うのだけど、旅先であんまり無理してもねえ、という感じで。

和白駅は、JR香椎線との接続駅でもありまして、あわよくば西鉄の黄色い電車とJR九州の気動車を絡めて撮れるかな??と思ったのだが、日中の香椎線の30分間隔の列車はちょうど貝塚線の電車の15分間隔に差し込まれていて、両者が並ぶようなダイヤにはなっていません。まあ、同時発車なんてやられたら乗り換え客にしてみたらたまんないでしょうしね。接続に関しては配慮がなされているようです。JR香椎線と西鉄貝塚線は、元々「博多湾鉄道汽船」という会社が敷設した同じ出自の路線だったため、今でもレールを繋げば簡単に相互乗り入れが果たされそうな雰囲気があります。博多湾鉄道汽船は、廃止された国鉄勝田線(吉塚~筑前勝田間)の元である筑前参宮鉄道とともに、勝田炭鉱、志免炭鉱、西戸崎炭鉱などから西戸崎の石炭積み出し港への輸送路線として建設された路線で、福岡市の東方の糟屋炭田からの出炭ルートを担っていました。午前中に訪れた志免炭鉱が海軍の艦船向けの出炭を担っていたこと、また当時の国のエネルギー政策として、石炭産業に関わる一連の鉄道群は社会経済や安全保障の面でも特に重要なインフラとされたため、戦時中に成立した陸上交通統制法によっていったん西日本鉄道へ引き受けられたのち、国鉄香椎線として国有化されて袂を分かつことになります。

香椎線は非電化路線ですが、西戸崎行きの列車は架線式蓄電池電車「DENCHA」ことBEC819系。大容量バッテリーを搭載し、架線下ではパンタグラフから集電し、非電化地帯は充電したバッテリーと軽油を併用して走るのだそうで・・・プラグインハイブリッド車の鉄道バージョンということでしょうか。それにしても、かつての産炭路線がディーゼル気動車により無煙化し、そして現在ではバッテリーを併用したハイブリッドカーが走るという香椎線の歴史は、日本のエネルギー政策の変遷をそのまま体現しているようでもあるな。車輛の形式番号である「BEC」は「attery lectric ar」の略かな。そして愛称である「DENCHA」は、「UAL ENERAGY CHARGE TRAIN」の略。いかにも最近のコピーライターとか広告デザイナーがつけそうなキャッチコピーであるなあ。そして日傘の淑女が跨線橋を渡る、真夏の昼下がりの和白駅。

この辺りの博多湾は「和白干潟」と呼ばれる約80ヘクタールの広さを持つ干潟で、潮干狩りや飛来する渡り鳥を対象にしたバードウォッチングなどが楽しめるそうだ。建物の陰を伝いながら駅から少し離れた場所まで歩き、和白干潟に繋がる小さな水路を渡って行く貝塚線の電車を撮る。水路沿いの低い土地に建ち並ぶ民家と、漂う潮の香りと、水路に跳ねる小さなボラの幼魚。線路際の灌木がちょっと車両を隠してしまうけど、和白の街の雰囲気を優先した構図で。


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