先週横須賀の猿島に行った際、そんなには見せてやれなかったフラストレーションが溜まっていたのか、今日は朝から子供に50回くらい「けいきゅう~!」とねだられたので腰を上げる午前10時。地元路線ではないのになぜそんなに京急の事が気に入ってしまったのかは知る由もないのだが、ベイエリアのパッション迸る情熱の赤い韋駄天こと京浜急行電鉄は子供の心を捉えて離さない何かがあるのかもしれない(笑)。とりまお腹一杯京急の電車が転がってる文庫の検車区で京急成分を補給と相成りました。ダルマ@京急800がいぱーい。
文庫の検車区がある辺りは横浜市は金沢区、街の名前を泥亀(でいき)と言う。なんともユーモラスでドジでのろまなカメがのたくっているような名前なんだが、この辺りを干拓した人物の屋号であったらしい。干拓地ですからすこぶる海抜が低く、線路も川面のすれすれを渡って行く。検車区を渡る歩道橋の上から再びダルマ電車普通浦賀行き。
一通り車庫を見学した後、文庫から子供と京急に乗りあてのない旅へ。快特の最前列カブリツキとかやりたかったんだけど、休日の特急は意外に三浦方面へ向かう観光客で混雑しておりますので八景で待避していたダルマ電車浦賀行きにて今週も三浦半島へ進撃開始。追浜の先、10号トンネルの土砂崩れ現場をそろそろと徐行しつつダルマ同士の離合。京急もこっちの方に来ると意外にダルマさんばかりですな。つかもうちょっとフロントガラスを磨いておいてね京急さん!
堀ノ内で久里浜行きの快特と接続を取ってワンブレイク。堀ノ内の駅ってのはホームからちらっと海が見えたりしていいものです。久里浜~三崎口方面に行こうかどうしようかヨメと迷っているうちに快特が行ってしまったので、行きがかり上浦賀行きにそのまま乗り込み結局終点まで来てしまった(笑)。
京急線の電車の行き先としては「浦賀」なんてしょっちゅう見てるけど、じゃあ実際に行った事があるかって聞かれたら京急ユーザーでもここまで来る人はそんなにいないかもしれないね。実際自分も電車で来たのは初めてだよ浦賀。港を見下ろす高台の上に頭端式のホーム一線。本線の終着駅なんですが現在は久里浜線に本線の座を明け渡し、優等列車も朝の通勤時間だけとなってますけど…とりあえずホットパンツが眩しい(笑)。
青空の浦賀駅前。そーいや浦賀ってのは幕末に歴史の一ページの舞台となった街ですね。黒船に乗ったペリーが浦賀に来航したのが嘉永6年(西暦1853年)6月3日のこと。浦賀の奉行所に「開国せえや!」とカチ込んで来た日から160年、やっぱり日本は外圧によって海から切り崩されていく島国なんだなと言う事を実感する平成の世です。駅前の中華屋で腹ごしらえをして浦賀の街ブラブラ。歩道の柱も港街らしく。
駅前から続く浦賀ドックの大きな塀。ペルリのカチ込みにキ○タマ縮みあがった江戸幕府、「やっぱこれからの時代は軍艦作って国防を強化せんといけんよね」って事で浦賀に作られたのが浦賀造船所。明治になり、浦賀造船所が横須賀に移った後は民営の浦賀船渠が大日本帝国海軍の駆逐艦製造の名門ドックとして一世を風靡致しました。敗戦後は浦賀重工業→住友重機械工業浦賀造船所と経営母体は様々変われど一貫して軍事的色彩の強いドックとして浦賀の中心をなす存在でありましたが、平成15年に閉鎖。住友重機械が追浜の夏島町に大きな造船所作っちゃったからね。そこと統合されちゃったみたいです。浦賀から久里浜にかけての中小企業って結構住友関連の仕事で暮らして来た人が多いようなんですが、やっぱドックが消えてからは色々大変なようですね。
秋晴れの浦賀港。浦賀の港ってーのは陸地にグッと切れ込んだ形をしておりますんで、その港のせいで街は東西に分断された形になってるんですね。また港の最奥部にはでっかいドックもあるもんだから、同じ浦賀の街でも例えば東浦賀町から西浦賀町に行くには海岸線を北に上がって浦賀の駅前に出て、ドックを大回りしてから今度は南下して…とえらい時間がかかる訳です。そんな地元住民の不便を解消するのが浦賀の港内にある渡し船「浦賀の渡し」。この渡し船、正式には「市道2073号」と言う扱いになっている横須賀市の公共事業でして、東西に分かれた街を繋ぐと言う意味では富山新港の渡し船みたいな感じでしょうかね。西浦賀町側の乗り場は「浦賀港交番前」の信号のたもと、渡し場まで浦賀の駅からぽくぽく歩いて15分程度でしょうか。ドックと港を見て歩く適度な散歩道と言った感じです。
公共事業ですが、タダではなく渡船料は徴収されます。それも、自転車は分かるけどベビーカー、あまつさえ犬まで課金対象です(笑)。じゃあ猫ならどうなんだ、セキセイインコはどうすんだと思ったりもしなくはないのだが…先週のモヤさまでカメを散歩させてるオヤジがいたが、ぜひ浦賀まで来てこの渡し船に乗って貰い、どういうジャッジを下されたのか聞いてみたいものだ。とりあえず我々の団体構成はヨメ・私・子供→150+150+0(大人と同伴の未就学児)=300円って訳ですか。ベビーカー持って来なくて良かったぜ!w特に渡し船の時刻と言うのは決まっておらずフネは常時対岸の東浦賀側の船着き場に常駐しており、こっちから渡りたいよと言う意思表示は右写真のボタンによって行われる。渡し船のデマンド運行ってのも画期的だな!(←そうか?)。
あたかもガストの店員を呼ぶ体で、ヨメがボタンをポチッと押して対岸に目を凝らせば、「あっ!動き出した!」と言うヨメの声とともに渡し船「あたご丸」がクルクルと船首をこちらに向け浦賀港内を渡って来る。ポンポン船一隻とはいえ、船を呼び付けると言うのは何だか無駄な優越感があるな(笑)。一人だと来ないとか、キレーなねーちゃんじゃないと来ないとか、むさいオッサンだと来ないと言う事はないようです(当然)。ただし12時から13時の間は船頭さんの昼休みらしく、この時間はナンボ押しても来ないそうです(笑)。呆れたお役所体質だな!!って役所の事業だもんなコレ。あっという間に船着き場に船首をドテかましたあたご丸、写真を撮ってたら船頭のおっさんに「(さっさと)お乗り下さい~」とかぶっきらぼうに言われちまったぜ。
我々家族だけを乗せた貸切のあたご丸が、浦賀港内を渡る。沖を見れば東京湾と、遥かに見晴るかす房総の山々は鋸山か。港の奥部を見れば、住重のドックと三浦丘陵に囲まれた浦賀の街。右見てパチリ、左見てパチリ、そんな刹那の行動がやっと許されるくらいの船旅はあっという間に終了する。地図で見たら直線距離では僅か300m程度のもんだもんなあ。乗船時間は正味2分もなかったかもしんないwまあ非日常感が味わえるって意味では結構楽しかったけど。
対岸からはサイクリストのお兄さん1名が西→東浦賀町へ向けて乗船。150円+50円で200円だね。あっという間に船着き場を離れたあたご丸、秋の日に水面(みなも)輝く浦賀の港内を再び渡って行く。そんなのんびりした風景の中で海鳥も羽を休めております。
とりあえず浦賀に来た事の証としては十分なショートトリップを愉しんだのだが、そのまま浦賀の駅に戻っても能がないので駅とは逆方面へのバスに乗車。ちょうど観音崎行きの湘南京急バスが来たのでね。
観音崎からの東京湾。浦賀の港内はおだやかだったのに、観音崎は北風が強く東京湾は荒れ模様…
まーしかし東京湾ってのはホントバカみたいにでっかい船が頻繁に行き交うもんなんだね。望遠で抜いてみたこの大型船、どうやらバハマ船籍のタンカーらしくLNGを積んで横浜にやって来た船らしいです。磯子の火力発電所あたりに持って来たのかしら。日本のLNGの輸入量ってハンパなく増えてるんだなあって事を実感しますな。荒れる海を波しぶき立てながら行く釣り船の向こうにはうっすらと東京湾観音が見えて、対岸が富津辺りなんだなあって事が分かる。
ススキ揺れる観音崎の磯に打ち付ける波を見ながら、帰りのバスを待つ事と致しましょう。
車をデポした金沢八景に着いたころにはすっかり夕暮れ…
帰りの電車の中で寝てしまった我が子を背負って横浜市大前の踏切に立つと、快特三崎口行きがバビュンと通過して行きました。
車、電車、船、バス、電車と盛りだくさんの一日、背中の重みを感じながら、ちとハード過ぎたかな?と思う父親であります(笑)。
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