
(僅か5分の船旅@富山県営渡船)
「越ノ潟フェリー」の愛称で親しまれる富山県営渡船。万葉線の越ノ潟駅に隣接する越ノ潟発着場と、対岸の堀岡発着場を結んでいます。富山新港の開削に伴って、分断された港口部の交通代替手段として就航している渡船なので、料金は無料。以前は早朝夜間も運行するなど長年に亘って地域の交通を支えていましたが、地域の過疎化と新湊大橋の開通によって最近の利用者は減少の一途。それでも県の事業として朝7時から夜の8時半まで、15~30分間隔のダイヤで港の開口部を往復しています。

就航している船は、1階に軽車両用の甲板を持つ2階建ての立派な作り。30~40人くらいは乗れるんだろうか。自転車とか原付までなら乗せてもいいことになっていて、近所の利用客がチャリンコや原チャリで乗ってきたり、最近はサイクリストの利用なんかも多いようで。

丁寧に時計を見ていた発着所のおっちゃんの合図で船のタラップが上げられ、もやい綱が解かれると、船はゆっくりと回転しながら越ノ潟の岸壁を離れて行きます。物見雄山のたった一人のヨソモノのために、安くない重油を使って運行してくれるのだからありがたやという感じなのだけど、まあ日曜日の朝なんかいつもそんなもんか。出発前に船長さんはいかにもな私の格好を見て「向こうで降りないで戻って来るよね?」と声を掛けて来たので、そういう需要もそれなりに多いのかもしれない(笑)。


新湊大橋を進行方向左に見て、対岸へエンジンを唸らせる渡船。前日とは打って変わってすっきりとした青空の朝、秋らしい乾いた風がひんやりと頬を撫でて、実に爽快な気分の船旅だ。これがタダなんて返す返すもホント申し訳ないよ。空にハープを立てたような美しい姿の新湊大橋は、主塔の高さ127mの巨大な斜張橋。大型船舶の寄港も可能な富山新港の規格に合わせて作られています。

新湊大橋の西側主塔と、その下に停泊する海王丸をセットに。モーターボートが航路を横切る。主塔の横には歩行者のアクセスルートであるエレベーターが付いていて、車道の下を通る歩行者部分は「あいの風プロムナード」と命名されています。「あいの風」って、「あいの風とやま鉄道」とかにも使われてるけど何なんだろうね。と思って調べてみると、同社のHPに「『あいの風』とは、春から夏にかけて吹く北東のさわやかな風で、古く万葉集の時代から豊作、豊漁等『幸せを運ぶ風』として県民に親しまれています」とのこと。旅に出ると何かと賢くなるな。

あっという間に船旅は折り返し地点の堀岡発着場に近付き、船はスピードを落とします。昔はこの堀岡の発着場の向こうに射水線の新港東口駅があって、富山方面への電車が出ていたそうです。正直昭和55年に廃止された鉄路の事など知る由もないのだけど、「射水線 画像」でググってみるだけでもその雰囲気に引き込まれますね。当時の駅名を紐解けば、八ヶ山(やかやま)、鯰(なまず)鉱泉前、四方(よかた)、打出(うちで)、本江(ほんごう)、練合(ねりや)などなど読み辛くも風情のある駅名が並んでいて、軌道線と鉄道線の車両のあいの子のようなデ5000が、富山平野の片隅を港町に向かって走っていた光景に思いを馳せてしまうのであります。

富山地鉄射水線は、古くは新富山駅(現富山トヨペット本社前駅)から市内軌道線に乗り入れて富山駅前まで運行されていた経緯もある事から、残っていればLRT化によって富山市北部の交通事情が大きく変わっていたのかなあと思ったり。北陸の地方私鉄は昔っから「郊外電車が路面電車っぽく市内に乗り入れる」という構造を持っていたところが多いですよね。新潟交通とか、富山だとこの射水線や笹津線、現在の福井鉄道もそう。北陸地方は富山ライトレールに始まって、えちぜん鉄道と福井鉄道の相互乗り入れとかLRTを導入しての都市交通改革に非常にフットワークが軽い印象があるんだけども、昔からそういう下地が醸成されているからなのかもしれない。
万葉線の新吉久駅近くに、当時の射水線で使われていたデ5000型の最後の生き残りデ5022が保存されています。富山新港建設による東西分断時に加越能鉄道へ譲渡されたグループのうち、このデ5022だけは除雪用の車両として解体されずに頑張ってたんだよね。見に行けば良かったんだが失念してしまいました。どこらへんに保存されてんだっけ?とグーグルマップで探したら見付かった(笑)。世の中便利になったもんだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます