青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

越ノ潟逢瀬

2018年10月10日 17時00分00秒 | 万葉線

(船溜まりを行く@中新湊~東新湊間)

新湊市街の運河を渡る万葉線のトラム。抜けるような青空の下、港町の雰囲気一杯の風景の中を走ります。新湊市街と言いましたが、新湊市は平成の大合併により既に消滅しており、現在は射水市の地域の一部。新湊は「放生津(ほうしょうづ)」の名前で、古くから北前船の寄港地として栄えた港町。近年では新湊高校なんかも甲子園に出て名前を売っていますから、「射水」という地域ローカルな名前よりもよっぽど全国区な地名であったと思うのだが。


新湊みたいな昔っから栄えていた港町って、個人的には住民が港町気質で案外にプライドが高そうだから(偏見?)、よく自分たちの名前を捨てて合併したなあと思わなくもない。那珂湊市(→ひたちなか市)とか清水市(→静岡市清水区)みたいに、合併してもインディペンデントな感じがする街と言うのがあるのだが、ここ新湊もそんな感じ。地図上で見ても合併した旧射水郡の町とは地続きになっていないのもイマイチ一体感に欠ける。まあ何が言いたいかと言うと、個性ある地名は消して欲しくないって事と、土地と結び付いた文化を混ぜこぜにする事なく大事にして欲しいなあと思うだけ。


万葉線の終点、越ノ潟にて暫し憩うドラえもんトラム。以前は富山地鉄の射水線が富山市内から北上し、四方(よかた)から海沿いを走って放生津潟(越ノ潟)の砂州を超え、新湊で加越能鉄道の高岡軌道線と接続。富山市と高岡市の間を、射水線と高岡市内線がちょうどホチキスの針のような形でコの字型に結ぶ交通路が形成されておりました。しかしながら、昭和40年代に放生津潟を浚渫して富山新港を開港するため、開削された港口部で鉄路は東西に分断(越ノ潟~新湊は加越能に移管)。国策によって分断されてしまった地鉄と加越能鉄道は、富山新港の港口部に鉄路の代替として運行を開始した県営の渡船を使って連絡運輸を継続しますが、東側の射水線は乗客減に耐え切れず、昭和55年に廃止されてしまいました。

 

上記のような経緯から分かるように、すっごくぶった切られ感のある越ノ潟の駅。駅の出口は、そのまま目と鼻の先にある渡船乗り場に続いています。そして振り返ってみれば駅の背後の中空にはベイブリッジもかくや、と思わせる巨大な構造物。平成24年に完成した新湊大橋によって、分断されていた新港の東岸と西岸が結ばれるようになりました。

 

対岸の堀岡発着所から、渡し船が戻って来ました。朝夕は時間4往復、日中は時間2往復の運行で、基本的には万葉線と接続するダイヤになっているみたい。‪以前はもっと運行されていたらしいが、やはり橋が出来てしまうとわざわざ渡船を使って新港を渡る必要はなくなる訳で、当然のごとく利用者は減少傾向にあるそうな。新湊大橋にはエレベーターが付いていて歩行者も利用出来ますが、高所にある橋上の歩道を500mも歩かされるというのは年寄りとかの交通弱者には優しくないので、渡船はその辺りを勘案して残されているのかもしれない。

「乗りますか?」
船着き場の案内係のじいちゃんに声を掛けられ、カメラを片手に乗り込んだ渡し船の乗客は、アタクシ一人でした。
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