青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

潮風の街、地鉄の名残り。

2021年10月11日 17時00分00秒 | 万葉線

(午後の日射しの高岡市街@志貴野中学校前付近)

射水神社のお参りを終えて、広小路電停から再び万葉線の人になりました。新型トラムが配備される中、やって来たのは昔ながらのデ7000形。地鉄市内線と、三セク化される前の加越能鉄道時代からの主力車両。高岡市街を、甲高いツリカケ音を奏でながら新湊へ向けて走ります。昭和からの車両らしい使い込まれたマスコンハンドルとブレーキ弁周り。

車庫のある米島口からは専用軌道の高架橋でJR氷見線と伏木港へ向かう貨物線を跨ぎ、カーブを曲がって再び併用軌道となった新吉久で路面電車を降ります。万葉線で最も古い番号を背負う7071号車。高岡駅前の繁華街にある居酒屋の広告車になっていて目を引きます。いいなあ。自分もときときと魚と手作りおでんで優勝したかったぜ。

すっかり晴れ上がって雲一つない高岡市の郊外。この辺りは庄川と小矢部川に挟まれた低地で、小矢部川沿いに開かれた伏木港の港湾地区。古くからの漁村っぽい雰囲気と、伏木港を中心とした工業地帯の雰囲気が混じったような風景。パルプ工場の脇の貯木場から、ぷーんと木材チップの香りが漂って来た。昔はこの辺りの工場に出入りする専用線との平面交差なんかもあったらしいんだけど、鉄道貨物の衰退に伴って撤去されたそうな。

新吉久電停の前にある「TEKリサイクルセンター(高岡市衛生公社)」の敷地内では、かつて万葉線が地鉄の射水線と繋がっていた時代に導入されたデ5010形が静態保存されています。引退後は、冬季の除雪用電車として1両だけが米島口の車庫で余生を送っていたそうですが、笹津・射水線を通じて地鉄市内線に乗り入れ、富山平野を闊歩していたインターアーバン的な車両の最後の生き残りであるデ5022。ここまできれいに再塗装されて保存されてるんだから幸せ者だ。出来れば順光の時間にお邪魔したかったけど。

空高く澄み渡り、気持ちの良い秋の日射しと潮風そよぐ吉久の街。富山新港の開港による射水線の分断で、加越能側(高岡側)には17両のデ5010形が残されたそうですが、元々は地鉄の車両でしたのでね。順次地鉄に引き上げられて、最終的に残ったのは5両のみ。ステップこそあれど、高床スタイルの車両は軌道線中心の高岡側には合わなかったのか、昭和40年代半ばに加越能のデ5010は早々と引退となったんですが、このデ5022だけは除雪用の事業車両としてそこから50年近くの歳月を過ごせたというのは奇跡に近いのかもしれませんね。

北陸の路面電車には、福井のデキ11とか地鉄のデ3534とか、年季の入った事業用車のオールドタイマーがいたんですけども、福井も高岡も富山もその姿は既に消えているようです。保存されているのはこのデ5022くらいなもんでしょうか。そして、その姿は新湊と富山が鉄路で繋がっていた時代の生き証人でもあります。


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