青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

凸撃冬の四日市DD祭り その4

2014年02月05日 21時05分01秒 | 関西本線

(重要文化財ですから@末広橋梁)

改めて12時便を撮影に、末広橋梁まで戻って来ました。橋の四日市側には末広橋梁の謂れを書いた説明板が立っておりますが、その文章を借りれば「陸上輸送と運河舟運が拮抗」していた時代にはこのような可動橋というのは珍しいものではなかったらしい。最盛期には全国で80ヶ所ほどの鉄道可動橋が存在していたようですが、今や現役で残っているのはこの末広橋梁のみ。この橋を建造した山本卯太郎と言う人は、アメリカでこのような跳ね橋の作り方を学んで日本に持ち込み、そのメソッドは「山本式跳開橋」と言われて全国のスタンダードになっていたのだそうな。


チャリンコ使いで機動力があるので、10時便の後は入換を眺めた後に四日市貨物の超ド級定番撮影地である海蔵川橋梁まで行って来たのだが見事にスカ…カモジを持っていないとこのような事があるのは仕方のない事なのだが、往復5kmくらいの無駄なサイクリングを楽しんだだけと相成りました(笑)。三脚立ててるお鉄がいたから一本くらい来ると思ったのに。って何事も人任せではダメと言う事ですね。こと貨物に関しては通過時刻や運用パターンってのは経験の積み重ねなんで、自分のスキル不足を悔やむ。まあ今回においては末広橋梁を通過する貨物をかっちり収める事を基本線に置いていたので、12時便でリセットだ。四日市駅南側の白子街道踏切で待っていると、およそ定刻で操車係をデッキに乗せ、DD51825に牽かれたセメント貨物がやって来ました。


四日市駅から港の出荷センターまでは、倉庫街の路地裏をゆっくりと進んで行くため自転車で走っていても追い付く程度のスピードしか出しません。また、操車係が前方の踏切の安全確認を取りながら進むので一旦停止する事もしばしば…ガシャン、ガシャンとタキの連結器が起こす衝撃音を聞きながら追いかけて行くと道はやがて運河の前で終わり、12時便はさらに速度を落として末広橋梁を渡って行きます。


午後からは曇り予報の四日市界隈はお昼過ぎでもまだ青空。朝は鉄で賑わった末広橋梁ですが、遠くにカメラを持った人影がちらり見える程度の静かな昼下がり。どよんと微睡んだような運河の水面に映る末広橋梁の主塔。高さは約15mで、主塔に吊るされた錘と2本のロープで橋を巻き上げる構造になっております。朝は橋が降りるシーンを見たので、今度は返空便を撮った上で橋の巻き上げを見学することに致しましょう。

 

相変わらず電光石火の早ワザで、貨車の付け替えを終えたDDが戻って来ました。寄って構えると跳ね橋も大きい構造物だけになかなかアングルを決めきれなかったんだが、どーしても引き算の出来ない欲張りな性格なんで広角で橋を全部入れ(笑)。水の動いてる運河ですから水鏡とまでは行かなかったけど、午後の日差しに鈍く輝く運河にゆらゆらと映り込むDDの姿もまたよきかな。


列車が通過すると、ほどなくまたキコキコとチャリンコを漕いで係員が橋の番小屋にやって来ます。やおら大きなサイレンが鳴り響き、再び主塔に向かって橋が巻き上げられて行くのですが、今回は三脚を立てていたので定点観測的な動きがお楽しみいただけましたでしょうか(笑)。個人的にはゆるゆると下がって行く錘と、主ロープの内側にある補助ロープに繋がったアームが折り畳まれて格納されるのが萌えポイントですw


すっかり上がり切った橋を、四日市側の踏切から見てみる。何となく消防署にある訓練用のハシゴのようでもあり、何かの発射台のようでもあり。真夜中に45度の角度くらいで止めておいたら、セメントタキを引き連れたDDが闇を抜けて光の海へ、夢が散らばる無限の宇宙に行ってしまいそうな気がしないでもない(笑)。いや~、セメントタキにはメーテルの乗る場所はありませんので、せめてヨ8000くらいは付けておいていただきたいものです。

メーテルって言っても名古屋テレビの事ではありませんよ。
無意味な名古屋ネタをかましつつ、続く。
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凸撃冬の四日市DD祭り その3

2014年02月03日 16時38分21秒 | 関西本線

(入換なう@四日市駅構内)

普通、踏切と言えば警報機の下に「どっちから列車が来るのか」を示す矢印が付いてて、その矢印の方向通りに列車が来て、踏切が上がると言うモノだと思うのですが、四日市駅の南側の踏切には「どっちから来るのか」の矢印の代わりに「入換中」と言う表示がある。貨物列車が到着した際に機関車を解放したり、貨車を側線に押し込んだりするのに踏切を支障してしまうため表示の必要性があるんでしょう。実際入換って10分くらい踏切が開かなくなったりする場合もあるんでねえ。車の運転手の人は黙って待ってたけど、急いでるときとかにハマッちゃったら泣くに泣けないよな。遅刻の理由が「いや~入換に捕まっちゃってさ~」とか、四日市だと日常だったりするかもしれんなあ(笑)…ともあれ貨物王国四日市らしい表示板ではなかろーか。

 

末広橋梁で跳ね橋とDDを眺める、と言う初期目標は達成したので、またまたキコキコとチャリンコを漕いで四日市駅周辺に戻って来た。駅の方をチラッと眺めたら緑のタキ車を持ってDDが待機中。これが動くと踏んで駅北側のカーブで構えます。先発の快速みえで肩慣らしした後、DD51890+DD511801牽引のタンカートレインがやって来た。


タンカートレインが出て行くと、また四日市駅の構内へ積み込みを終えたタキが向かって行きます。この立ち位置は左側を見るとコスモ石油の出荷場の出入線にいいアングルで一石二鳥の立ち位置。この日の入換はDE101562が終日担当しておりました。

  

タキの据え付けが終わると、12時からは今度は自分が末広橋梁に行っている間に四日市に到着していたコンテナ貨物の入換。DE10は働き者でございます。四日市駅は一番海側の大きくカーブした向こう側の側線がコンテナのヤードになっていて、一回大きく南四日市側に引き出したコキをバック運転で荷役線に押し込んでいく。当然この作業の間は「入換中」のランプが点灯しっぱなしなんであるが、地上のポイント操作業務、貨車の連結開放、無線による連絡などなど運転士と操車係の職員の方々の見事な連係プレーを見る事が出来ます。


旅客相手の職員の姿をほとんど見る事はない四日市の駅も、こと操車係の職員はかなりの人数がいるようです。貨物の取り扱いは名古屋臨海鉄道(名臨)の職員に委託されてるそうですが…彼らは機関車や貨車のキャブにひょいひょいと飛び乗り、素早い仕事を見せつけるのでありますが、実際はかなりの危険と隣り合わせの商売でしょうなあ。国鉄の時代、職員の死亡事故って入換作業中に貨車に挟まれたみたいなのが一番多かったって聞くしね。


四日市の昼下がり。
複雑に絡み合ったレール、いくつあるのか分からない転轍機、貨車修繕用のピット。その横で更新色とは言えDD51が次の仕業までの時間をのんびりと憩う。とにもかくにも四日市は鉄道貨物の魅力満載の駅だなあ。そして、この画像の後ろ側に建ってるマンションは、住んだらきっと毎日DD貨物が眺められて楽しいんだろうなあ(笑)。

続く。
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凸撃冬の四日市DD祭り その2

2014年02月02日 11時47分19秒 | 関西本線

(絶賛営業中…@JR四日市駅)

弥冨からR1→名四国道を経由して30分、JR関西本線は四日市駅に来てみました。こういう横に長い2階建ての駅舎って、いかにも昔の県庁所在地の駅って感じで、国鉄風味がするように思えますが…えーと、土曜の朝だからしょうがないのかもしれんけど、営業してますか?って感じの閑散ぶり(笑)。人影と言えば駅の横の日なたでタバコを吸う老人が2~3名見えるのみでございます。一応三重県で一番人口が多いのって四日市じゃなかったっけ??と考えてしまうような底抜けの何もなさっぷりには乾いた笑いしか出ません(笑)。商業の中心地はここから1kmほど離れた近鉄の四日市駅周辺だそうで、JRの四日市駅は臨港地区の工業地帯の外れにひっそりと佇んでいる立地の悪さはある。しかし駅の旅行代理店も閉店してたり、やる方もやる気に欠けている気が(笑)。

 

ホームは島式1本のみ、それを関西線の上下と伊勢鉄道が利用しています。年代モノの跨線橋はトタン張りなのが渋い。簡素な旅客ホームと相反して構内は広く、貨物用の多くの側線が枝分かれしとります。完全に旅客と貨物が逆転しており、さながら「四日市貨物駅」と言った具合。伊勢鉄道のイセ3型の向こうに止まってるDDは、さっき弥冨で撮ったDDだね。

 

改札口に隣接した「こにゅうどうレンタサイクル」貸出所。ここで今日は自転車を借りて、四日市界隈の細かいトコを回ってみようと言う訳で。「こにゅうどう」と言うのは四日市市のゆるキャラの事らしいのだが、普通のママチャリでも一日借りて120円ってクソ安いな。しかも土曜日は朝7時から夜8時まで借りてていいんだって。四日市市自体を「自転車の街」としてレンタサイクルの利用に努めているからだそうなのだが、それってやっぱ四日市競輪となんか関係あんの?


チャリンコ借りてまずは駅の近くをブラブラ。いかにも「工業都市」→「公害」→「四日市ぜんそく」と言うお決まりのコンボが想像出来そうな風景。それと、昭和40年代に建てられたであろううらぶれた集合住宅が目立ちますね。往時は臨海部の工場で働く工員さんたちで活気があったのかもしれないけど、錆びた物干し台と敷地内の雑草が物悲しい。

  

駅北側にあるのがコスモ石油の油槽基地。ここでタキ車に油を積み込んだり、タンクローリーに積み込んだりして各地に配送しています。正式にはコスモ石油四日市製油所第一陸上出荷場、鉄道貨物としての油の行き先は主に中央本線の南松本で、稲沢までをDD51、そっから先の中央西線はEF64が担当。どちらも国鉄形機関車の共演と言う事でマニア人気が高く、西線のロクヨンも狙って写真撮り続けている人多いですもんねえ。


駅の周りを一回りし、名四国道を越えて臨港地区へ。四日市駅から伸びる通称四日市港線(正式には四日市駅の側線であるらしい)の末広橋梁に行ってみる。現役の跳ね橋として鉄道ファンのみならず土木ファンにも有名で、四日市の観光スポットにもなっておりますが、その存在を知ってはいたものの訪問するのはこれが初めて。千歳運河にかかるこの橋は、普段は橋を跳ね上げて船が通れるようにしておき、列車が来る時だけ橋を下げると言うシステムの橋。専門用語では「跳開橋(ちょうかいきょう)」と言うそうな。

   

四日市港への列車はなくなってしまったものの、港の先には太平洋セメントの出荷センターがあって、三岐鉄道の東藤原からセメントを積んだタキ車がやって来ます。ダイヤ上は1日5往復(7・10・12・15・17時)の貨物列車がこの橋を通りますが、まあ荷主の事情によっては走るかどうかは運任せなのは貨物趣味にツキモノ。傾向として10・12・15時便は走ることが多いみたいなんで、確率の高い10時便を狙いにキコキコとチャリを漕いで来た訳です。通過20分前頃に操車の係員が自転車で現れ、橋の番小屋に入って到着の準備を開始しました。大きなブザー音とサイレンに包まれながらゆっくりと橋が降りて行きます。

 

遠くから風に乗って踏切の音と貨車特有のガシャン、ガシャンという音が聞こえて来ると、ほどなくカマボコ屋根の倉庫の向こうから更新色のDD51にエスコートされたセメントタキが姿を現しました。冬晴れの青空の下、御在所降ろしの冷たい風の中を歩くようなスピードで慎重に橋を渡って行く16両のセメントタキの姿は、のどかでもありたくましくもあり。この場所は本州最後のDD51の活躍の場として最近は特に人気らしく、最終的には7~8人の同業者が集まりました。個人的にも「末広橋梁と四日市のDD51」は今年度の必修履修科目だったんで、満足ですw

 
四日市の駅からセメントの出荷センターに向かってはY字型の線形をしているため、橋を渡ったDDがそのままタキを牽いて出荷センターに入ることは出来ません。そこで、橋を渡った後はYの字の下の一本棒の部分で太平洋セメントのスイッチャー(入替機)にタキを引き渡すことになります。画像は引き渡し線に入れられたタキ16両。DDは右側の機回し線を使って一旦末広橋梁側に逃げ、スイッチャーの到着を待ちます。


ほどなく出荷センターから空荷になった返空のタキを牽いたスイッチャーが入って来ます。この辺りの作業と言うのは毎日の作業とは言え実にテキパキと進められるので、とてもゆっくり写真を撮りながらって感じではないんです。こっちもチャリンコに乗りながら右往左往(笑)。歩きじゃこの動きには絶対追い付かないので、チャリンコ借りておいて良かったよw

 

スイッチャーが持って来た返空タキの逆サイドにDDが連結されて出発準備完了、デッキに操車係の方が乗るとじつにあっさりと発車して行ってしまう。画像の履歴で見たらスイッチャーが返空のタキ持って来てからDDの発車まで2分しかかからなかった(笑)。末広橋梁はDDが荷物を渡して戻って来るまで降ろされたままになっているのだが、発車までの時間が相当に短いのは、やはり橋を早く開けないとならんから、と言う理由があるのかもしれないね。

 

DDが持って来たセメントタキを、今度はスイッチャーが出荷センターまで持って行きます。小柄な体でセメント満載のタキを引っ張るのはなかなか大変そうだ。港の倉庫街の中の線路は柵すらもなく、さながら併用軌道のよう。そんな風景の中を真っ黒でいかついタキ車をぞろぞろとスイッチャーが引き連れて行く光景はいかにも正しい臨港線の風景と言えなくもない。

編成が長いのと、速度が遅いのと、安全確認に時間がかかると言う事で踏切待ちが長くなるのが難点かw
慣れっこの地元民はそんな事気にしちゃいないのかもしれないが…
次回へ続く。
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凸撃冬の四日市DD祭り その1

2014年02月01日 23時20分25秒 | 関西本線

(貴方の事が好きだから@DD51847)

ヨメさんに頼み込んで一日お暇をもらい、久々に遠征して来ました。最近遠征してなかったんでねえ。去年の10月に上信電鉄に行って以来か?まあ上信なんか関東から出てないって時点で自分の中では遠征とは認められないけど。はい、行って来たのは四日市です。週中に「新幹線で名古屋行って、きしめん食って、関西本線でDD51でも撮って来てえなあ」と言う思いをふと抱いたもので…(笑)。今回は新幹線でなく、カネの節約も込めてクルマで行ってみたんだけど、往復750kmは新車になってから一番のロングランになりました。中京圏までクルマで出張ったのは久々だったんだが、名古屋周辺の道路の発展は凄いものがあるね。名古屋高速や新名神や東海環状道とかはともかく、名二環って何(笑)。


「関西本線でDD51でも撮って来てえ」と言う前に、ヒテツな方々には「DD51って何ぞや」との疑問もあろうかと思いますが、国鉄が蒸気機関車からの脱却、いわゆる「無煙化」を目的に全国の非電化区間に投入したディーゼル機関車の事です(写真は津山機関区に保存されてたDD511187)。昭和30年代後半から約15年に亘って649両が投入された国鉄ディーゼル機関車のスタンダードですが、北海道では後継機(DF200)の開発・デビュー50年を迎えての老朽化・全国的には貨物列車の廃止、集約化と色々の条件が重なった結果、現在はかなり数を減らしておるのですね。そんなDD51の本州最後のパラダイスが稲沢にある愛知機関区でして、主に関西本線の名古屋~四日市間で貨物を引っ張る仕事を受け持ってまだ元気に活躍しておるのですよ。2年前の夏、三岐鉄道を訪問した際にちょっとだけ撮ったんだけど、その時に改めてDD狙いで来てみたいなあと言うのはずーっと思ってたんだよねえ。ましてや愛機のDDは基本重連運用だしさ。


新東名が出来たせいで夜中の運転は快適な事この上なく、自宅をAM3時に出て伊勢湾岸道の湾岸弥冨ICを出たのがAM6時半。四日市に行くなら先のみえ川越ICなのだが、思いのほか時間がかからなかったんだよね。でちょっと沿線をロケハンがてらブラついて、DD貨物が来たらいいなくらいの軽い考え。永和~弥冨間の掘割の脇に車が止められるちょうどいいスペースがあったので三脚を出してみる。関西本線の名古屋から桑名の間は、木曽三川の低湿地帯に築堤を構えて線路が敷かれており、いかにも輪中集落の風景と言う感じ。朝焼けに染まる掘割の中で水鳥が遊ぶ。
人が乗る列車であれば時刻表を持って行けば済む事だけど、こと貨物となると本屋で売ってる時刻表には載っていない。ほんなもんだからマニアは御用達の「貨物時刻表」を買うんだけど、結構高いんでねえ(笑)。と言う訳でDD貨物が来るかどうかは運次第…だったのだが、まあ関西本線の貨物は本数あるらしいから(いい加減)。313系の普通列車や快速みえなんぞを何本か見送った後、線路の向こうからゆっくりと近付いて来る二つ目のビーム…あれは!


築堤の上に登場したのはDD511802+DD51893の重連石油貨物、威風堂々17両のタキを引き連れて、紫煙を上げながら朝焼けの風景の中をやって来た。1台2基×2=4基のエンジンの唸りが朝の空気を震わせる。正直日の上る前なんでものっそい寒かったんだが、DD51の力強さは寒さを忘れさせてくれます。いやー、これはかっこいいです。石油の需要シーズンだから構えてれば一本くらい走るだろと思ってたのもあるけど、実際目にすると感動もんですわ(笑)。

カメラの背面で撮った画像を見ながらニヤニヤしていたら、犬を散歩させに来た中学生から変な目で見られたw
不審者として通報される前に、四日市へ移動しましょう。
続く。
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