青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

30分の神運用

2020年09月20日 08時00分00秒 | JR(貨物)

(割畑にて@尻手短絡線)

9月の上旬、まだ夏の熱波残るある日、野暮用で横浜に用事がありまして。作業としては5分程度で終わる書類の受け取りだったのですが、最近は休みの日に電車にもなかなか乗れずにいた子供が「連れて行け」というので一緒に横浜へ。そのまま横浜でメシでも食ってとんぼ返りするのは流石に子供が許さず、久々に新鶴見界隈で線路際の親子鉄となりました。東タから尻手短絡線を通って新鶴見に入って来るEF66更新型のコンテナ貨物。踏切待ちの子供があまりの煩さに恐れをなして、お父さん思わず子供の耳を塞ぐ。

時間はちょうどお昼時。南武線の矢向の駅前で食事をして、歩いて小倉陸橋までやって来ました。この時間帯が新鶴見から下って来る貨物列車のラッシュタイム。まずはEF64の原色機がやって来ました。最近はロクヨンに限らず、JR貨物塗装機が入場するたびに元の国鉄時代の原色に塗り直されて出て来るので、一時期はあれほど持て囃された「原色」というジャンルもやや相場が下がった感じもします。ちなみに別に国鉄色に戻しているのはマニア受けでもなんでもなく、おそらくJRFのロゴ入れとか斜めに入った塗装とかが面倒なのでは?と思われますがいかがなもんでしょうか。

ロクヨン原色に続いて下って来たのは・・・お、珍しい。JR貨物塗装のEF65の中でも、正面の扉が黄色に塗られたEF65の2127号機。貫通扉がカラシ色なので、マニアには「カラシ」と呼ばれるこのカマ、かつての広島更新色と呼ばれたカテゴリの中の最後の生き残りです。広島車両所で整備を受けたカマは扉回りがカラシ色の黄色に塗られることが多く、この更新色に塗られたカマを総じて「ヒロコー」なんて言ったりしますけど、そーいや伯備とか西線で活躍してたロクヨンのヒロコー色も塗り戻されてしまったらしい。西線も長い事撮影しに行ってないけど。

お次はEH200に牽かれたコンテナ列車。お昼のこの時間には、高崎線の倉賀野から空色のメタノールコンテナを付けた貨物が下って来るのが恒例だった覚えがあるのですが、これは違うのかな。この列車の牽引機もEH200-901・通称【クマイチ】と呼ばれる試験製作機。EH200の愛称である「Blue Thunder」のロゴがありません。

この日の新鶴見、機関車マニアなら大喜びのいわゆる「ネタガマ」が続々と目の前を走り抜けては去って行ったのでありますが、暑くて撮るにはしんどい天気なのか、はたまたみんな撮り飽きたか私たち親子以外にはギャラリーは誰もおらず。小倉陸橋の下の木陰で水筒の麦茶を飲みながら待っていたら、今度はEF6627が走って来ました。現役で残る唯一のEF66の初期型機であり、国鉄原色を保つこのカマは、ある意味JR貨物のご神体ともいえる存在で物凄くファンの多いカマ。個人的には、ロクロクの国鉄色は下関にいた旅客機を至高とする在りし日のブルトレ世代なので、屋根上に箱型クーラーを載せた貨物機の姿はそこまで崇め奉るほどのものかな??なんて性根の曲がった感想を抱いてはいるのですが、まあ来たら撮るよねと(笑)。ロクヨン原色・カラシ・クマイチそしてニーナ。これが僅か30分の間に登場してしまったこの日の新鶴見界隈。ネタガマ大好き勢にしてみたら「神運用」と大騒ぎになっていたのかもしれません(笑)。

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秋深し

2020年09月17日 23時00分00秒 | 小田急電鉄

(阿夫利の山の麓から@伊勢原~鶴巻温泉間)

ようやく灼熱の暑さからは解放されて、朝晩などはだいぶ涼しくなったような気がします。明日からは四連休なんて方も多いかと思いますが、正直上期の締めの時期と重なった連休は仕事のスケジュールから考えると枕を高くしては休めないのが正直なところ。10月に先送りして欲しいなあ・・・なんて思ってカレンダーをめくってみたら、6月と見まごうばかりの休みのなさ!そうだった、今年は体育の日が前倒しで7月に消化されているんだった。たった1日とはいえ、祝日のない10月のカレンダーがやけに黒々と見えてしまった悲しさ。季節は移ろい、阿夫利山の麓にも秋がやって来ています。天気があんまりよくないらしいけど、この週末辺りから稲刈りも始まったりするのかねえ。黄金の瑞穂野を横目に、MSEが小田原方面に送り込まれて行きました。

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未来へ続く 星降るヤード

2020年09月14日 23時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(宇宙基地への誘い@東藤原駅)

「知ってた? あれ、夜になると、 宇宙船の発射台になるんだぜ・・・」
三角形の異形の山の麓。居並ぶ白い貨車は、さながら宇宙カプセルのよう。セメントキルンからスペースシャトルが飛び立ちそうな、夜の東藤原。星の瞬く夏空の下で、煌々と輝く水銀灯が構内を照らします。

 

昼は機関車のホイッスルや貨車の軋む音、操車の係員の無線の声が賑やかに響いていた東藤原の駅。上下本線と5本の側線が並ぶヤードには、今日の貨物輸送を終えて星空の下に静かにたたずむ貨車たちがいます。日本全国で駅からの貨物取り扱いがなくなって、草ぼうぼうの側線が残されたり、売却されてマンションが建ったりと姿を変える中、現役で活躍するヤードは貴重です。また明日は朝早くからセメント出荷の貨物列車が仕立てられ、茶色の電気機関車に牽かれて山を降りて行くのでしょう・・・

おそらく最終のセメント返空便をホッパーに押し込んだデキが、暗闇の中を引き上げて来ました。これにて今日の営業は終了でしょうか。それこそ鉱山であれば、かつての北海道の夕張炭田や空知炭田、九州の筑豊炭田などでは24時間操業にて夜も昼もない出荷が行われていましたし、全盛時の奥多摩(奥多摩工業)なんかも石灰石は24時間出荷をやっていたように思いますけれども、現状四日市までの出荷しかない東藤原からのセメント輸送は4往復~5往復程度で足りてしまうのでしょう。

熱波の中で撮影した三岐鉄道は、日本最後のセメント貨物の牙城。文字通り身を削り日本の高度成長を支えた藤原岳の麓で営まれる、プリミティブな貨物輸送の姿。平成の中期ごろまでは日本中で見られた当たり前が、セメント貨物の衰退によって「ここにしかない」というオンリーワンのものになってしまいました。三岐のセメント輸送も孤高の車扱貨物として未だ健在ぶりを見せ付けてはいるものの、その前途は・・・?ですよねえ。何分にもお早めに、という感じがいたしましたですね。

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二つの富田の物語

2020年09月12日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(夕暮れは杏色@保々駅)

村下孝蔵的な空の下、近鉄富田行きの電車が滑り込んで来た保々の駅。駅前にクルマを止め、少し乗り鉄も愉しんでみようかとホームに立ってみました。西武701系の3ドアロングシートは、末期の多摩湖線や多摩川線のイメージ。西武球場へ通うのに何度も乗車した記憶のある車両ですが、ひょっとしたら幼き日の自分が乗った車両とかも、三岐に移籍していたりするのでしょうか・・・

近鉄富田で折り返し待ちの三岐電車。近鉄富田では、三岐鉄道は一番外側のホームを近鉄から間借りして使っていて、そんなホームに西武701系が止まっていたりすると、高架線になる前の武蔵境的な雰囲気もあったり・・・この絶妙な「間借り感」が地方私鉄らしさだったりもします。元々は石灰石・セメント輸送を目的に作られた路線ですから、全国への貨車の継走のために国鉄の富田駅に接続するのは当然の成り行きでありましたが、当時の国鉄関西本線は圧倒的に列車本数が少なく、乗客の増えてきた昭和40年代に利便性を考えて本数の多い近鉄名古屋線に接続する連絡線(近鉄富田連絡新線)を建設したのが始まり。

現在は貨物列車はJR富田へ、旅客列車は近鉄富田へアクセスする三岐鉄道。かつては、非電化の関西本線へ乗り入れるために、キハ81・82という国鉄キハ08系まがい(?)の気動車まで用意して、富田から四日市への直通運転を行っていたそうです。今なら四日市までは、近鉄富田から急行に乗り換えて10分程度でしょうか。黙々と折り返し作業を進める運転士氏。ワンマン運転の中で、幾度となく繰り返されたルーティンワーク。西武の車両らしい銀鉄板が、蛍光灯の薄灯りに輝きます。

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夕映えの 空は茜の 丹生川で

2020年09月09日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(南濃の輪中に湧く@海津温泉)

午後を養老鉄道の沿線で過ごした後は、海津市にある海津温泉へ。濃尾平野に湧く天然温泉としては、長島温泉や蟹江温泉なんかが有名ですが、ここ海津温泉も地下800mから汲み上げた天然温泉です。茶褐色で、塩分と鉄分が強いなかなか濃厚な温泉です。大昔の海水が地中深く封じ込められた化石海水系かな。現在でも0m地帯ですし、太古の昔はこの辺りも海の底であった可能性は高いのでしょうね。この手の施設はソーシャルディスタンス対策で大変なのでしょうが、猛暑の平日の午後という事で客入りは疎らでした。火照りの出そうな塩分の強い温泉はそこそこに、ダラダラと水風呂で過ごしてしまった私。最近リニューアルされたようで、きれいでしたね。

すっかりと日差しも西に傾いた夕方、丹生川の田園地帯に戻って来ました。太陽はもうすぐ鈴鹿山脈の山の端に掛かりそうな頃合い。日中のあの殺人的な暑さも幾分か和らいで、遠くでは夕方の作業に精を出す農家の人が、一枚一枚の田んぼを丁寧に見て回っていました。空の雰囲気の変化を愉しみながら、色付きを増した穂波にカメラを向けます。

田んぼの真ん中の踏切の鐘が鳴り、今日この日の最後の光を浴びて、三岐リバイバルが駆け抜けて行きます。青緑の車体も、この時ばかりは黄金色。三岐線がこの塗装で走っていた何十年も前から変わらないであろう丹生川の圃場の風景。猛暑に耐えて、今年も良い実りを迎えていただきたいものです。

太陽は山の向こうに消え、北勢の田園地帯に夕暮れが迫って来ました。セメント5便の時間なので、ミルクロード俯瞰に登ってみます。道路までは上がらずに斜面の中段から。果たして5便まで運転されるかどうか分からなかったのですが、さすがにお盆も明けたせいか荷動きも活発のようです。夕映えの空に藤原岳の稜線もくっきりと浮かぶ中、ED45の重連がいつものようにセメント貨物を牽引して行きます。コタキのボディが、空を反射して赤く染まりました。

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