青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

養老暮らしと、言う勿かれ

2020年09月07日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(天井川を潜る@駒野~美濃山崎間)

8月お盆の三岐鉄道訪問。セメント貨物を中心に、撮影をしながら一日撮ったり乗ったり・・・という当初の構想だったのですが、昼を過ぎてクルマの車外温度計が40℃に迫るようなキケンな暑さに(笑)。夜通し走って軽く寝不足気味の中、ちょーっとこの気温の中で線路っぱたに展開するのはしんどいなあ・・・という事で、エアコンの効いたクルマで涼みながら養老鉄道方面へドライブ。国道258号線沿いにクルマを流しながら撮影出来そうな場所をロケハンしていると、養老線がこの地域特有の天井川を潜るトンネルを覗き込める場所がありました。森の向こうから現れた養老7700系。ご存じ東急のイケタマ界隈を走っていた7700系ですが、歌舞伎役者の花舞台は、城南の地から美濃の地へ移っても、意気軒高の活躍です。

養老山地は脆い花崗岩で形成された老齢の山地で、急斜面を流れ出た岩石が濃尾平野の西側でところどころ天井川を形成しています。この立ち位置も「山崎北谷」という枯れた天井川の河道の上で、おそらく雨が降ったら水は流れるのかもしれませんが、沢はこの日照り続きでカラッカラに乾いていました。美濃山崎で先ほどの桑名行きと交換して来た大垣行きの7700系。養老暮らしと言う勿かれ。城南の名車、草生す南濃の天井川を潜る。

美濃津屋の先、志津北谷を渡る鉄橋から坂道を降りてきた桑名行き。以前は近鉄の狭軌線区(南大阪線)から転入してきた600形が中心となっていた養老鉄道のラインナップですが、あの独特の野暮ったい臙脂めいた赤色の電車は現れず、やって来るのは新顔の東急車ばかり。新顔と言えども、車歴は50年を超える存在で、ヘタすりゃ近鉄車よりもよっぽど歳を食ってる可能性もあるんですが・・・午後の日差しに霞む養老山地の柔らかな山並みと、稲田を渡る猛烈な熱風。気の遠くなるような日差しの中、音もなく通り過ぎた新顔の古豪です。

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藤原岳を仰ぎ見て

2020年09月05日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(小野田時代の残滓@東禅寺界隈)

藤原岳の石灰石採掘は、昭和初期に小野田セメントによって始められたものですが、平成後期の日本のセメント業界の合従連衡によって伝統ある小野田の名前は消滅してしまいました。それでも、東藤原の駅を囲む東禅寺の集落には、かつての小野田王国だった時代の残滓が見受けられました。「小野田のポルトランドセメント」を標榜する看板ですが、商標の龍の絵柄の緻密な事と言ったら。

ホキの入れ替えを終え、パンタを下げて一休みの老優・ED453。側線に留置された炭カル/フライアッシュ用のホキ1000については、この日は動くことはありませんでした。奥に聳えるのは藤原工場のセメントキルンの煙突。セメントは、石灰石の粉末に粘土、ケイ素、酸化鉄原料などを混ぜ込んで、キルンと言う窯で焼成して生成されるのですが、セメントを焼く燃料は石炭やコークスが使われている事が多いそうです。太平洋セメントの熊谷工場では、燃料の石炭を川崎の三井埠頭から鉄道で運び込んでましたけど、ついぞ3月に石炭輸送も廃止になってしまいました。CO2規制で、大手企業は石炭燃料を大っぴらに使いにくくなっているという背景もあるのでしょうが、貨物輸送の多様性の面からは残念なことでした。

鳥居の向こうに藤原岳を仰ぐ、伊勢治田は賀毛神社の参道。三岐の貨物を撮影しようとすると、どうしても田園地帯を伸びやかに行く貨物列車の姿ばかりを追い掛けてしまいがち。そうなると、後で見返してみた時に、どこで撮影しても同じような印象しか残らなくなるんですよねえ。そんな中で、線路際に鳥居の立つこの参道は、アイテムが少ない三岐鉄道沿線では貴重な存在。セメントの粉にまみれ、白く煤けたような武骨なタキ16車を引き連れて山を降りて行くED重連。夏空と赤い鳥居と藤原岳を入れ込んで。

三岐線内での貨物運行は、秩父鉄道をイメージすると結構スジが立っているというか、保々か伊勢治田で僅かに停車をする以外は一気に富田~東藤原間を運行するものがほとんど。秩父は途中の駅で副本線に入って交換を待ったり退避したりと時間が掛かりますが、三岐ではなかなか追っ掛けは厳しいですね。普通列車との交換も、交換駅には基本的に安全側線が配置されているので、有効長の長い駅構内の配線を使って双方の列車が同時進入する事が可能。貨物列車は安全側線手前にある出発信号機の手前まで徐行で接近し、進行信号の現示を確認しながら停止せずに通過して行きます。

位置を移動して、伊勢治田で上り貨物と交換して来た下りのセメント返空便を。アウトカーブからギュッと詰めて撮れる構図は貴重です。この構図だと、さっきの賀毛神社の参道の鳥居の中からタキを牽き出しているように見えなくもないですね(笑)。

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老貨車コタキの物語

2020年09月01日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(満身創痍@タキ1900)

三岐のセメント輸送を支える貨車であるタキ1900。高度経済成長期から、日本の国土全体で旺盛となったセメント需要を支えるため、全国津々浦々のサイロへセメントを届けて来ました。東京オリンピックの年である1964年から製造が開始され、全盛時には約1700両余を数えたセメント貨車の一大スタンダードでしたが、度重なるセメント企業の合併と貨物の合理化で、今やここ東藤原が最後の砦。車体に浮き出た錆と、こびりついたセメント粉の染みは長年の輸送に従事した古強者の刀傷か。満身創痍のその体に、セメント輸送の行く末を見る。

全盛期は、秩父・小野田・日本セメント・日立・三菱マテリアル・住友・デンカ・明星etc・・・とセメント輸送に鉄道貨物を使っていた企業はあまたありましたが、現在所有するのは秩父・小野田・日セメの合併企業である太平洋セメントのみ。関東なんかだと隅田川の貨物駅とか、秩父方面から出荷されたセメントが集まって来る八王子の駅の側線なんかに、この派手さのかけらもない武骨な黒い貨車がゴロゴロとしていたものです。いかにも貨車らしいベッテンドルフ式の台車もまた味わい深いですが、一昔前の貨車だからそんなにスピードも出せませんで、制限75km/hとか付いてるんじゃなかったっけかな。本来であればスピードの出せない旧態依然とした貨車など旅客列車のスピードアップの障害にしかならないので、目の敵にされがち。ただ、JRの走行区間が短い(富田~四日市間)のと、そこまでダイヤが密でもない関西本線なので、何とかなっちゃってる感じでしょうか。

このタキ1900、確か秩父鉄道がセメントの貨車輸送をやめた時に(平成20年くらいだったかな)、武州原谷の側線で大量に放置されていたのを見た事があります。話によると、その中でも程度のいいヤツは三岐に送られたらしいのですが(グループ会社だからね)、さすがに最近は老朽化が目立つ個体が多く、交番検査で川崎の検査場に送り込まれても、検査が通らない事もあるようです。正直、後継のセメント輸送用の貨車の開発が急務だと思われるのですが、そもそもそこまでの設備投資をするのか?というね。そこがクリアされない限り、タキ1900の残存機数と寿命が即ちセメント輸送の寿命となるのではないかと思われます。40t×16両と一発で640tのセメントを輸送出来る効率は無視出来ませんが、東海環状道も大安まで伸びて来ているとなれば、トラック転換というシナリオは迫っているのではないかと・・・だから今回、三岐に撮りに来たってのはあるよね。

よくよく見ると、タンクの側面の「太平洋セメント」の銘板の位置が貨車ごとに違ったり、タンクの支柱があったりなかったり、さすがに1700両も作られた大所帯だけに製造時期ごとの違いがあったりするようです。ちなみに、現在のタキ1900、両数としてはどんくらい残ってるんですかねえ・・・。

コメント (2)
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