青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ネットワークと原点回帰。

2025年01月12日 12時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(老兵、黙して・・・@会津高原尾瀬口駅)

始発電から線内列車として2往復、少々のインターバルで会津高原尾瀬口に佇む6050系。ちょうど浅草からやって来た500系リバティ会津が到着して、雪の山里に里帰りのお客さんと少々のスキー客が下車して行きます。会津高原尾瀬口の駅は、今でこそ電化されて南会津と首都圏を繋ぐルート上にありますが、かつては国鉄会津線の会津滝ノ原という名前の寂しい終着駅でした。会津若松から会津田島までの開通が1936年(昭和9年)、そして滝ノ原まで開通したのが1953年(昭和28年)のこと。駅前を流れる荒海川の上流に、八総(やそう・はちそう)銅山という黄鉄鉱を産出する鉱山があって、戦後は住友金属鉱山によって開発され、ここから産出される鉱石を運び出すために鉄道が敷設されたのだそうです。

かつては浅草から会津田島まで、東武・野岩・会津の三会社を股にかけ、東京埼玉群馬栃木福島と五県の境を跨いだ長距離ランナー。2×2×2の6連で颯爽と北関東の荒野を駆け抜けていた時代はそんなに昔のことではないと思うが、もう会津快速が消滅してから7年が経過しているらしい。野岩鉄道に残された6050系の最後の末裔2編成、それまでは東武鉄道の新栃木検車区に所属して、東武鉄道や会津鉄道持ちの同形式と共通運用で使用されていました。現在通常の点検業務では新栃木の研修区に入ることはなく、野岩鉄道の管理に任されているようです。大掛かりな全般検査などでは野岩ではカバーしきれないので実費を払って東武にお願いすることになるのでしょうが、車体には錆や塗装の剥離などが目立ち、正直満身創痍・・・。塗装が割れて下地が出てしまった部分をラッカーのようなもので応急処置しているのを見ると、寒冷地で鋼製車を使うのってなかなか管理が大変だなあと。

凍てつくホームから車内を覗けば、暖かな臙脂のモケットは変わらない。あの窓際のテーブルに、お弁当や酒やカワキモノを並べて乗るのが6050系の楽しみの一つだった。最近は、車内で物を食べたりあまつさえ飲酒なんてとんでもない!みたいな風潮が過半を占めるようになってきたが、それは東京~名古屋が1時間半程度の時代に「そのくらいも我慢できねえのか!」ということなのかなとも思うし、省力化による車内販売の縮減などにも表れているのかもしれないし。でも、そういう風潮というものは「個の意見」が「みんなの意見」にいつの間にかすり替わってしまう時代の後押しもあったような気もするよね。会津快速時代は浅草から会津田島まで3時間20分。区間快速だと4時間弱くらいかかっていたので、そりゃ何か食べたくもなるし、飲みたくもなるし、トイレにも行きたくはなる。

特急列車から下車したお客が散り散りバラバラに消えて行き、ひとしきりの賑わいもあっという間に消え去った静かな会津高原尾瀬口のホーム。現在のところ9:59発の316レ鬼怒川温泉行きは、会津田島からの列車を受けることもなく単純に野岩鉄道の中で折り返していくダイヤになっていますが、3月改正以降は、この列車が会津田島始発に改正されます。建設当初から、観光開発という観点からは期待もあった野岩鉄道ですが、どちらかと言えば沿線人口の流動期待というよりは栃木北部~南会津地方の交通ネットワークを形成して、ひいては首都圏と会津地方のアクセス改善に資するというのが主目的だったはずなので、このダイヤ改正は当初の目的に沿った原点回帰への取り組みと言えるものです

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道の駅、湯船で眺める大鉄橋。

2025年01月07日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(鈍色の湖面に姿映して@中三依温泉~湯西川温泉間)

現在でこそ第三セクターで運営されていますが、現在の野岩鉄道会津鬼怒川線は、かつては国鉄の野岩羽線計画として日光線の今市から遥か米沢まで建設されるはずの地域間横断路線でした。野岩線の中でも車窓風景の白眉とも言える湯西川の大鉄橋は、いかにも鉄建公団線らしい連続トラスの美しい造り。冬の朝陽が男鹿の山々を赤く染めても、深山幽谷を行く野岩線のレールには未だ光届かず・・・五十里湖の鈍色の湖面にはうっすらと薄氷が張っている。氷の幕を壊さぬように壊さぬように、静々と列車は湖上の長い鉄橋を渡って行く。普段は2連の6050系か、3連の特急リバティしか通らない鉄橋ですから、4連となるとそれだけでもなかなかの迫力がありますねえ。かつての6050系で運行されていたかつての会津快速でも、下今市と新藤原でそれぞれ2両ずつ車両を切り離して、野岩線内は2連で走っていましたのでねえ・・・

国道121号の赤汐大橋は歩道が除雪されておりませんでしたので、長靴でズボズボと入って行って撮影していたのだが、流石に長靴の下に厚めの靴下を履いていても冷えるものは冷える。撮影の後は、すっかり冷えた体を温めに、湯西川温泉駅に併設された道の駅にある「郷の湯」に入ってみた。ここに温泉があるのは知っていたんだが、今まで利用する機会がなかったんだよな。郷の湯は道の駅の2階にあって、内湯と露天風呂がそれなりに広々としていて好ましい。朝一番ではまだお客さんも少なく、ちょっと熱めの単純温泉に浸かると、冷たく悴んだ体が湯船の中でじんわりと溶けて行く。休憩所の窓から眺める湯西川の大鉄橋の眺めがとてもよろしい。鉄橋を眺める道の駅の温泉と言えば、大井川鉄道の川根温泉が有名だが、ここもなかなかだ。

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戊辰の道、雪の轍を踏んで。

2025年01月05日 11時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(マイナス5℃の静謐な朝@上三依塩原温泉口駅)

正月からgooブログを所管するNTTドコモが大規模なサイバー攻撃に遭ったそうで、このブログも2~3日全く繋がらなかった。NTTドコモも正月から災難な事だが、このWeb空間に置いている私のブログも何だかんだと積み上げて20年くらいになっているので、これが消えたら流石に凹むな。写真なんかはHDDに保管してあるけれども、文章はさすがに何も保存していないのでね。バックアップを取るという意味も含めて、どこか他のブログへ一旦文章データだけでもお引越ししておいた方がいいのかな・・・と思わなくもない。思えば、2025年というのは「Windows95」から30年目の節目の年。情報資産の取り扱い、というものに改めて思いを致す年の始めである。正月休みの時間のある時にブログでも書き溜めておこうと思ったのだが、予定が狂ってしまったねえ。

片栗粉のような質感の雪を踏みしめて立つ、朝6時前の上三依塩原温泉口の駅。氷点下の冷え込みの中、晦日の始発列車802レに乗客の姿はなく・・・代わりに駅前に現れたのはカモシカの親子。キップが買えないと見るや、悠然と山に帰って行った。この始発の802レ、会津田島発5:18の会津鉄道の始発列車を受けるダイヤになっていて、新藤原で東武電車の下今市行きに乗り換えると、鬼怒川温泉の駅で始発のきぬ110号に接続。北千住が8:37、浅草8:49到着と南会津から都内に9時前に入れるようになっている。この「南会津→都内」というアクセスルートを担うのが野岩鉄道の使命でもあります。年末年始の4連運行は、首都圏とふるさと会津を繋ぐ長旅の中で、少しでもゆったりと寛いでもらえるようにするための、野岩鉄道が用意したささやかなプレゼントとも言えましょう。

会津西街道は、明治維新の際、会津藩士が日光にて朝廷の軍隊と相見える為に通った戊辰の道。鬼怒川を越え、川治を越え、湯西川を越えるともはや街道沿いの集落は辺境の山里の感を帯びていくのだけど、栃木県側の最後のまとまった集落がこの中三依である。国道から駅前に続く道に折れて、中三依温泉の駅前にクルマを止めた。もう何度か知らず通った中三依温泉の駅前では、いつも変わらぬ銀杏の大木とお祭りの櫓が迎えてくれました。銀杏の木はすっかり葉を落とし、駅前のお寺さんの入口に並ぶ地蔵様たちも雪をかぶって寒そうだけれども、この時期の、漸うと夜が明けて行く様を見るのがとても好きだ。中三依温泉は、その名の通りに駅の至近に「男鹿の湯」という温泉施設を備えたキャンプ場とコテージがあって、以前は温泉だけは通年営業だったような覚えがあるのだが、この中三依温泉は泉温が25℃くらいなのがネック。冬場は沸かすための燃料がペイしないのか、冬は営業止めちゃったんですよねえ。これが鬼怒川みたいに高温泉だったら営業可能じゃないかなあと。

雪の轍を踏んで、新藤原から折り返してきた803レ。会津方面への始発電ですが、乗客の影がちらほら見えて・・・この始発は、新栃木発の始発と東武日光からの2番電車から接続していて、下今市乗り換えで新藤原から乗ることが出来ます。しかしながら、新栃木から会津を目指す乗客というのも少なそうなんで、鬼怒川温泉か日光にでも宿泊していた乗客なんでしょうかね。首都圏から日光・鬼怒川から会津を回るなら、東武鉄道「ゆったり会津フリーきっぷ」がいい。浅草から4日間利用できて、東武日光~喜多方がフリー乗車区間となっての7,390円は破格なのではないか。浅草から野岩線経由で喜多方まで、片道でも5,000円かかるので。

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謹賀新年

2025年01月01日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(4パン全上げ、2025出発進行!@野岩鉄道・会津高原尾瀬口~男鹿高原間)

野岩鉄道から朝帰りした大晦日は、昨日は蕎麦を食ってから一本ビールを飲んで、部屋で横になってからの後の記憶がない。紅白もゆく年くる年も何もなく、夢の中で迎えた年の暮れ。そんなこんなで元日は朝4時に目覚めてしまい、ゆっくりと沸かし直した新年の初湯に入ってから、とりあえず録り溜めておいた「ドキュメント72時間年末スペシャル」と「孤独のグルメ2024大晦日スペシャル」を見て周回遅れの大晦日を年またぎで終わらせる。本当であれば、年始は初日の出と初詣を拝むために早朝から出掛けていたのだが、親がこんな調子で完全に時間軸の外れた正月を迎えているのと、息子も今年が受験シーズンで正月となくやれ塾の冬期講習だ模擬試験だとやたらと忙しくしていることもあり、正月くらいはとゆっくり寝かせておいた。高校に無事合格したら、卒業旅行にでも連れてってやろうと思っているのだけど。

寝ぼけ眼で起き出した子供たちと迎える2025年の正月。そうそう、我が家の雑煮は長いこと嫁さんの実家方である長崎のアゴ出汁を使った雑煮だったのだが、いつも焼きアゴ出汁を送ってくれた親族が亡くなり、ストックも切れてしまったので今年からヒガシマルのうどんスープベースになった。ある意味我が家の食文化の断絶と転換であるし、嫁さんと結婚したことによって作られた我が家の味も転換期を迎えているようだ。小さいことだけれども、そういう事実が地方の高齢化と文化を伝承する力の衰退を感じさせるし、故郷が遠くなることと、時代が流れて変わって行く事が、正月の食卓にも表れている。毎年何気なく我が家に届いていた焼きアゴの粉末出汁、調べてみたらそう高いもんでもなかったので通販で購入してみようかなと思う。ヒガシマルの出汁で食べる雑煮が悪いわけではない(むしろ美味しい)が、なくなるもの、衰退していくものが多いからこそ、買って支えて大事にする。2025年と言わず、これからはそんなことをみんなで意識してやってかないと、ニッポンのすべてのものが細って行くばっかりだからね。

新年一発目のブログは、すっかり出さなくなった皆様への年賀状を添えて。
4パン全開で雪景色の中を力強く山王峠へ向かって力行する野岩の6050系の迫力たるや・・・
本年もよろしくお願い申し上げます。

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