tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

有馬温泉 欽山

2007年03月24日 | 小さな旅
私の職場の慰安旅行(06年度)は「神戸・有馬温泉」だった。

たいてい、金曜夕刻(業務終了後)にあわただしく奈良を出発して遅い宴会、観光は翌日、というパターンだが、今回は3/10(土)~11(日)というゆったりした設定だったので、大いに期待していた。

土曜日は朝から奈良交通の観光バスに乗り、昨年3月にオープンしたばかりの「神戸花鳥園」(ポートアイランド内)に立ち寄り、お昼は南京町。「須磨浦山上遊園」で遊んだ後、夕刻までに「有馬温泉 欽山」に到着した。

この旅館は、一休.comにも登録された「高級料亭旅館」である。旅行代理店の話では「団体予約が可能なうちで、最高の旅館」だそうだ。1泊2食で3~4万円以上するので、個人(家族)ではとても行けない。毎月給料日、職場で集金する旅行積立の賜物である。
※同旅館のホームページ
http://www.kinzan.co.jp/

この旅館は、施設は大きいのに、部屋数はわずか42室に押さえてある。噂の通り、部屋・風呂(金泉+銀泉 露天風呂付)とも最高級、仲居さんたちの「もてなし」も抜群であった。様々に工夫を凝らした懐石風の料理にはお座敷天ぷらまでセットされていて、揚げたてを味わえる。

特に私の気に入ったのが、枕と布団だった。あとでフロントに確かめると、枕は「工房 枕の森」(北九州市)から取り寄せていて、備長炭と楠チップ入り(@2万円)。枕カバーはオーガニック・コットン製(@5千円)。敷布団は、体圧を分散する西川の「快圧敷き布団」(@6万円)だった。ぐっすり眠れたはずである。
※「工房 枕の森」のホームページ
http://www.makurano-mori.com

『レジャー白書 2006』(社会経済生産性本部刊)によれば「旅館は落ち込みが大きいが、部屋数をしぼって手厚いサービスを売りにする高級旅館は引き続き堅調」だそうだ。少子高齢化が進み、また団塊の世代が次々と定年退職を迎えるなか、この路線は支持され続けるだろう。

なお「一休.com」に登録された奈良県内の旅館・ホテルは、奈良ホテル、ホテル日航、月日亭、竹林院、春日ホテルの5か所に過ぎない(和風旅館は後ろの3つだけ)。一方兵庫県内だと、39か所もある。

ゆったりと温泉に浸りながら、奈良観光の将来をしみじみと考えさせられた有馬行きであった。

※写真は3/11(日)に撮影した玄関付近。雨上がりの風情が心にしみる。
コメント (9)
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市原平兵衛商店

2007年03月13日 | 小さな旅
日曜日(3/11)、京都へ出たついでに市原平兵衛商店(下京区堺町通四条下ル)に立ち寄った。大丸の向かい(東側の道=堺町通を南へすぐ)にある箸の老舗である。
http://www.kyoto-shijo.or.jp/shop/ichihara/

この店の箸は四条センター(四条通寺町東入ル)でも売っているし、楽天で買えるものもあるが、やはりお店で手に取って選びたい。何しろお店には、400種類以上の箸が並んでいるのだ。
http://www.kyoto-shijo.or.jp/shop/shijocenter/index.html

ここで一番の商品は、すす竹で作られた「みやこばし」だが、5千円ほどするので、私はいつも黒檀など塗りの箸を買う。重さや持ったときのバランスがとても良いので、一度買うと手放せない。この日も狭い店内は、外国人を含む遠方からの多くのお客で賑わっていた。

使っているうちに食べ物の塩分で先の方がボロボロになったり、うっかり噛んでしまったりするので、時々買い換えが必要になる。予備の箸も必要だ。で、京都市内へ来るたびにここを訪ねることにしている。以前は、同僚たちを引き連れて来たこともあった。
※割り箸鑑定団(JanJan)
http://www.janjan.jp/business/0404/0404082947/1.php

私は、外食ではあれこれ調べたり比較したりと結構うるさいのだが、家では妻が出すものを素直に食べる(食べなければならない)。その反動か、箸や醤油や漬物など、妻の目に触れにくい脇役に凝ってしまう。

箸や漬物は京都にかなわないが、醤油は奈良にも良いものが多い。次の機会には「奈良の旨口醤油」について書くことにしたい。
コメント (2)
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東京マラソン 2007

2007年02月20日 | 小さな旅
上京の機会があったので、2/18(日)、第1回「東京マラソン」(主催:日本陸上競技連盟・東京都)を見物してきた。

りんかい線を国際展示場駅(江東区有明=お台場の周辺)で下り、東京ビッグサイト方面へ少し歩くとどよめきが聞こえ、広い車道にはランナーたちの群れ。マラソンというより「走るパレード」の様相だ。

しかしよく見ると皆、懸命に走っている。応援の人垣に手を振ったり、デジカメや携帯で写真を撮ったり、着ぐるみで走るランナーもいるが、表情は真剣そのもの。何しろ、もうゴールが目の前なのだ。
※大会の公式ホームページ
http://www.tokyo42195.org/traffic.html

写真を撮った時間帯(14:30頃)は雨こそ上がっていたものの、相当寒い。スタート時(9:10)には雨が降り、気温は5℃という悪条件だった。それでも30,870人のランナーはひたすら走り、178万人のギャラリーは熱い声援を送る。ブラスバンドは「勝手にシンドバッド」や「キューティハニー」で景気をつける。

この時点では、ぶっちぎりで優勝したケニア出身のジェンガ(2:09)も有森裕子(2:52)も、鈴木宗男(4:07)も浅草キッド(4:45と5:08)も、体験取材をした産経新聞記者(4:24)もゴールインしていたが、次から次へとランナーが走り込んでくる。

石原知事は《涙が出た。利害、損得を抜いて、いいなあと久々に思った》(2/19付 産経新聞)、日本陸連の沢木強化委員長は《東京マラソンは競技の面とマラソン文化(構築)の意味があった。通常のマラソンでこの(悪)条件だとかなり寒々しい雰囲気になるが、それが全くない。熱気と期待感があった》(2/19付 サンケイスポーツ)とコメントしていたが、全く同感である。

海外はいざ知らず国内のマラソンで、こんなにボランティアやギャラリーが盛り上がった大会は例がないだろう。私も見ていて、思わず走り出したくなった。「10kmコースなら、何とかなりそうかな」、などと。

私は健康のため週1回、自転車こぎと水泳をしているのだが、早速「来週からは、ランニングマシンで走ってみるか」と小さな決意をしたのであった。
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中将姫ぐるっとバス

2007年01月10日 | 小さな旅
奈良検定の受験勉強をしていると、あちこちに「中将姫ゆかりの寺」が出てきた。

以前、同僚のIくんが「奈良周辺にある、中将姫ゆかりの寺を巡るバスツアーを組めば面白い」と言っていたが、これは良い発想だった。

中将姫伝説は継子(ままこ)いじめの話として、能や浄瑠璃・歌舞伎によく登場する。「広辞苑」によれば
《伝説上の人物。横佩(よこはき)大臣藤原豊成の女(むすめ)。大和当麻(たいま)寺に入って法如と号。蓮茎の糸で観無量寿経の内容を表した曼荼羅(まんだら)を織る。一説に継母のため大和の雲雀山に捨てられ、無常を観じて当麻寺に籠ったともいう》

なお姫は和歌や音楽に優れていて、孝謙女帝から15歳の時に「三位中将」の位を賜ったため、中将姫と呼ばれる。

中将姫ゆかりの寺といえば、まずは葛城市の当麻寺と石光寺(せっこうじ・当麻曼荼羅の糸を染めた寺)。次に、姫の生家があった奈良市の誕生寺、徳融寺、高林寺。

隠れ住んだという雲雀山(ひばりやま)は、宇陀市(奈良県)とも有田市(和歌山県)とも橋本市(和歌山県)ともいわれ、それぞれ青蓮寺(せいれんじ)、得生寺(とくしょうじ)、恋野(こいの)というゆかりの場所が残る。さらに「中将姫誓願桜」という姫手植えのヤマザクラ(国の天然記念物)が岐阜市の願成寺にある…。

調べればもっと出てくるだろう。ツムラの婦人薬・中将湯(ラムールQ)とか中将堂本舗(葛城市当麻)の中将餅(こしあんをトッピングしたよもぎ餅、うまい!)など、関連商品も昔からたくさんある。

ゆかりの地を巡る「中将姫ぐるっとバス」を走らせ、車中では大和茶に中将餅、昼食は当麻寺中之坊で精進料理、お土産にはラムールQ(男性にはツムラのドリンク剤・ハイクタンD)というプランなど、いかがだろう。「見る、学ぶ、食べる」の3要素すべてが揃う。

※写真は当麻寺の練供養会式(ねりくようえしき)、「当麻のオネリ」として知られる。奈良検定のテキストによれば《二十五菩薩に扮装した人々が、西方極楽浄土に模した曼荼羅堂から、人間世界にあたる娑婆堂へ赴き、中将姫を蓮台にすくいあげて再び浄土へと帰る来迎引接のさまを、目のあたりに見せる宗教劇》とある。06.5.14撮影。
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前代未聞の纏向遺跡

2007年01月09日 | 小さな旅
奈良検定の受験勉強をしていると「纏向(まきむく)遺跡」「纏向古墳群」という言葉がたくさん出てくる。

纏向遺跡(奈良県桜井市)は、《遺跡の規模と内容から大和政権成立時の宮都の可能性が高く、考古学的に古代国家の出現過程を最もよく示す遺跡として重要である》そうだ(『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』山と渓谷社刊)。

手元の「歴史街道」(PHP研究所 07年1月号)を開いてみても、《前代未聞の政治と宗教の都市で、各地の勢力が集まってできたヤマト朝廷誕生時の都と考えられます。一般には無名ですが、邪馬台国論争を一気に畿内説優位に導きました》とある(「関裕二先生の古代史100問100答」)。

「一般には無名」というところで少しホッとしたが、相当貴重な遺跡のようだ。なお纏向遺跡には、纏向古墳群(纏向石塚、纏向矢塚、勝山、東田大塚の4古墳)や箸墓古墳(一説には卑弥呼の墓)が含まれる。
※MSNエンカルタ百科事典(ダイジェスト)
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1161533281/content.html

写真は昨年11/26、JR桜井線の巻向(まきむく)駅で見つけた道標だ。QRコードがついていて、携帯で読み取ると次のような地図が出てくる。
http://www2.wagamachi-guide.com/sakuraikt/map.asp?sd=102

この時はそんなスゴい遺跡とは知らなかったので通り過ぎたが、惜しいことをしたものだ。箸墓の近くにあるホケノ山古墳(以前は柿畑)も整備されたそうだから、春になればぜひ、この「前代未聞の政治と宗教の都市」を訪ねてみることにしたい。
コメント (4)
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