今回は遷都1300年に向けて出てきた県下の動き、特にホテル誘致にからむ論議などを紹介する。
2/20、県は06年度当初予算案を発表した。これを報じた読売新聞の見出しは「遷都1300年へ観光重点」(2/21付)。「記念イベントに向け、関連事業に計6億8200万円を計上。外国人や滞在型の観光客の誘致策など、観光戦略に力を入れた編成となった」。
2/26日付の奈良新聞は、県の「泊まる奈良推進事業」に盛り込まれた「宿泊施設への優遇税制」などを紹介した。客室30室以上、収容人員100人以上などの条件を満たした施設の新設に対し、事業税や不動産税を減免するというもので、最大で4億円の減税が可能となる。県の事業には、このほか「宿泊施設リニューアル資金」融資枠の創設や、農家での体験宿泊の支援策などもあり、至れり尽くせりだ。
奈良市も重い腰を上げた。「バブル崩壊で百貨店誘致が失敗したJR奈良駅西口の土地に、奈良市が新たに大型都市ホテルを誘致する方針を固めた」(3/8付 産経新聞)。この隣地には奈良市の公共ホール「なら100年会館」もあり「大型の会議などを開催するコンベンション機能を高めるねらいもある」という。誘致のための優遇措置も検討する。そのためにも市は「4月から文化観光室を新設」する(3/9付 朝日新聞)。
さらに市は、新しい祭りを企画した。題して「平城(なら)遷都祭」。「平城宮跡内を淡い灯りと花で彩る新しい祭りを4月27日から4日間、開催する方針」(3/10 産経新聞)だそうだ。市観光課は「平城宮跡ほどスケールが大きい古代の復原建造物があるところは、ほかにはない。歴史ファンに喜んでもらえる祭りにし、観光客を増やしたい」とコメントした。
さて、ここで皆さんにクイズを出そう。奈良県内の宿泊施設(旅館やホテル)数や客室数は、全国ランクで何番目?
答は、施設数は47都道府県中46位(ブービー)、客室数は堂々最下位の47位だ。なぜこんな惨状に成り下がったのだろうか。
私の記憶に残るのは、「ホテルフジタ奈良」オープン時の、激しい反対合戦だ。修学旅行生用の旅館は宿泊客の減少で経営が苦しく、本格的な都市ホテルの進出には強い拒絶反応があった。わかくさ国体(1984年)の前年にオープンした同ホテルは結局、当初計画から1階分カットされ客室数もほぼ半減、という厳しい条件付きで、やっと進出が受け入れられたのだ。
しかし今は、かつて50軒近くあった修学旅行生向けの旅館で生き残っているのは、わずか数軒。この年明けにも1軒廃業したばかりだ。宿泊地として奈良を選んでもらうため「いろんな宿泊施設をたくさん用意し、好みに合わせて決めてもらおう」という思考パターンにならない。とにかくお客の奪い合い、ゼロサムゲームの発想なのだ。だからますます観光客は奈良に泊まらない、という悪循環だ。
ところが21世紀の今日になっても、またぞろ反対意見が出てきた。「市が打ち出した大型ホテル誘致構想で、反対の立場を表明している市旅館ホテル組合は13日、市内で会合を開き、近く藤原市長ら幹部に会い、事情説明を求めることを決めた」(3/14付 産経新聞)。「同組合は構想が明るみに出た直後から『パイの取り合いになり、死活問題』と反発。急遽、役員がこの日集まって対応を協議した」そうだ。
これに関しては、「市旅館ホテル組合が近く市に説明を求めることについて、藤原市長は『よく協議したい』と述べた」(3/15付 産経新聞)。また市長は、誘致したいホテルの規模は「高さ40㍍、延べ床面積約4万平方㍍まで可能」と語った。つまり10階程度のホテルで、隣接するホテル日航奈良(=奈良の厳しい高さ制限のため10階までに抑えられた)と同じだ。
やれやれ、この論議「コップの中の嵐」というべきか、待ちの姿勢の「大仏商法の末期的症状」と呼ぶべきか…。
ともあれ友人・知人に聞いてみても、遷都1300年の認知度はまだまだ低い。内輪もめしている場合ではないのだ。これから2010年に向け、どのように盛り上がるのか(盛り上がらないのか)、引き続きウオッチしていきたい。
次回をお楽しみに。
※同時進行!平城遷都1300年(3)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/c2199bf01eea69a5f8c1062e99f23904
2/20、県は06年度当初予算案を発表した。これを報じた読売新聞の見出しは「遷都1300年へ観光重点」(2/21付)。「記念イベントに向け、関連事業に計6億8200万円を計上。外国人や滞在型の観光客の誘致策など、観光戦略に力を入れた編成となった」。
2/26日付の奈良新聞は、県の「泊まる奈良推進事業」に盛り込まれた「宿泊施設への優遇税制」などを紹介した。客室30室以上、収容人員100人以上などの条件を満たした施設の新設に対し、事業税や不動産税を減免するというもので、最大で4億円の減税が可能となる。県の事業には、このほか「宿泊施設リニューアル資金」融資枠の創設や、農家での体験宿泊の支援策などもあり、至れり尽くせりだ。
奈良市も重い腰を上げた。「バブル崩壊で百貨店誘致が失敗したJR奈良駅西口の土地に、奈良市が新たに大型都市ホテルを誘致する方針を固めた」(3/8付 産経新聞)。この隣地には奈良市の公共ホール「なら100年会館」もあり「大型の会議などを開催するコンベンション機能を高めるねらいもある」という。誘致のための優遇措置も検討する。そのためにも市は「4月から文化観光室を新設」する(3/9付 朝日新聞)。
さらに市は、新しい祭りを企画した。題して「平城(なら)遷都祭」。「平城宮跡内を淡い灯りと花で彩る新しい祭りを4月27日から4日間、開催する方針」(3/10 産経新聞)だそうだ。市観光課は「平城宮跡ほどスケールが大きい古代の復原建造物があるところは、ほかにはない。歴史ファンに喜んでもらえる祭りにし、観光客を増やしたい」とコメントした。
さて、ここで皆さんにクイズを出そう。奈良県内の宿泊施設(旅館やホテル)数や客室数は、全国ランクで何番目?
答は、施設数は47都道府県中46位(ブービー)、客室数は堂々最下位の47位だ。なぜこんな惨状に成り下がったのだろうか。
私の記憶に残るのは、「ホテルフジタ奈良」オープン時の、激しい反対合戦だ。修学旅行生用の旅館は宿泊客の減少で経営が苦しく、本格的な都市ホテルの進出には強い拒絶反応があった。わかくさ国体(1984年)の前年にオープンした同ホテルは結局、当初計画から1階分カットされ客室数もほぼ半減、という厳しい条件付きで、やっと進出が受け入れられたのだ。
しかし今は、かつて50軒近くあった修学旅行生向けの旅館で生き残っているのは、わずか数軒。この年明けにも1軒廃業したばかりだ。宿泊地として奈良を選んでもらうため「いろんな宿泊施設をたくさん用意し、好みに合わせて決めてもらおう」という思考パターンにならない。とにかくお客の奪い合い、ゼロサムゲームの発想なのだ。だからますます観光客は奈良に泊まらない、という悪循環だ。
ところが21世紀の今日になっても、またぞろ反対意見が出てきた。「市が打ち出した大型ホテル誘致構想で、反対の立場を表明している市旅館ホテル組合は13日、市内で会合を開き、近く藤原市長ら幹部に会い、事情説明を求めることを決めた」(3/14付 産経新聞)。「同組合は構想が明るみに出た直後から『パイの取り合いになり、死活問題』と反発。急遽、役員がこの日集まって対応を協議した」そうだ。
これに関しては、「市旅館ホテル組合が近く市に説明を求めることについて、藤原市長は『よく協議したい』と述べた」(3/15付 産経新聞)。また市長は、誘致したいホテルの規模は「高さ40㍍、延べ床面積約4万平方㍍まで可能」と語った。つまり10階程度のホテルで、隣接するホテル日航奈良(=奈良の厳しい高さ制限のため10階までに抑えられた)と同じだ。
やれやれ、この論議「コップの中の嵐」というべきか、待ちの姿勢の「大仏商法の末期的症状」と呼ぶべきか…。
ともあれ友人・知人に聞いてみても、遷都1300年の認知度はまだまだ低い。内輪もめしている場合ではないのだ。これから2010年に向け、どのように盛り上がるのか(盛り上がらないのか)、引き続きウオッチしていきたい。
次回をお楽しみに。
※同時進行!平城遷都1300年(3)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/c2199bf01eea69a5f8c1062e99f23904