tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

うどんのルーツは奈良だった!索餅(さくべい)まつり、明日開催!(2014Topic)

2014年09月12日 | お知らせ
いよいよ明日の土曜日(9/13)11:00~16:30、奈良公園登大路園地(県庁前)で「索餅(SAKUBEI)まつり」(主催:奈良グルメフェア実行委員会)が開催される。

5月17日(土)に全国放送された関西テレビ「第1次さんま内閣」で、奈良チームは「奈良にはおいしいものがたくさんあるのに、うまいものなしと言われて困っています」と陳情し、10万円の補助金をゲットした。この補助金などを元手に食のイベントを開催するもので、同時に「うどんのルーツは奈良にあり!」をアピールする。今朝(9/12)の朝日新聞奈良版が、詳しく紹介して下さった。見出しは《うどん、ルーツは奈良? 「春日の麺」あす披露》。記事全文を紹介すると、

うどんのルーツは奈良にあり――。こんな新説を掲げ、奈良の飲食店業者や料理研究家らが13日、PRイベントを開く。平安時代に奈良を訪れた天皇の一行に振る舞ったと伝わる麺を再現。うどんの祖としてお披露目する。その起源には諸説ある中、新たな“発祥の地”として名乗りを上げ、「古都の新名物に」と意気込んでいる。

奈良時代、中国の食文化が仏教とともに伝来。奈良はそうめんの原型となった日本最古の麺類が誕生した地ともされる。平安時代の貴族の日記によると、989年に天皇の一行が春日大社(奈良市)を訪れた際、着飾った女20人が「餺飥(はくたく)」と呼ばれる麺を打ち、振る舞ったという。


そんな歴史的な背景に着目した人々が「うどんの祖」を再現してアピールし、ご当地グルメに育てようと、立ち上がった。地元の郷土料理を発掘・発信する「奈良の食文化研究会」(奈良市)が中心となり、鎌倉時代の料理本などを参考にレシピを検討。古い文献に詳しい春日大社の宮司らの監修を仰ぎ、小麦粉に米粉を混ぜて山芋でつないだ長さ約10センチ、幅約1.2センチの平麺が完成。「春日餺飥うどん」=写真=と命名した。

「粉の配合を工夫し、コシのある食感に仕上げるのに苦心した」と奈良市飲食店組合長の増井義久さん(54)。文献より麺を少し長めにするなど、現代の嗜好(しこう)に合わせて試行錯誤を繰り返した。「パスタ風にソースを絡めたり、黒蜜やきな粉をかけてデザートにしたり。アレンジしても美味な自信作」と胸を張る。



将来は飲食店ごとに独自メニューを競い、「土産物用の乾麺も開発したい」と張り切る。イベントは13日午前11時~午後4時半、奈良公園登大路園地で開く。1食100円で先着50人。そうめんの元になった唐菓子「索餅(さくべい)」、清酒の「発祥の地」をアピールする奈良の地酒なども販売する。問い合わせは奈良市飲食店組合(0742-33-8940)。(青山祥子)


平安時代の貴族の日記は、小野宮右大臣・藤原実資(さねすけ)の『小右記』、鎌倉時代の料理書は『厨事類記』だ。NPO法人「奈良の食文化研究会」(瀧川潔理事長)が調べ上げた。

餺飥(はくたく)は「ほうとう」と発音されたようだが、平安時代の漢和辞書『和名類聚抄』には「博託」(はくたく)とある。麺を作ったという「着飾った女」は餺飥女(はくたくめ)と呼ばれ、音楽に合わせて麺を作り、天皇の一行に振る舞ったということだ。この餺飥を、切り麺としてのうどんのルーツとする。

うどんの起源については諸説あり、これまで有力視されていたのが「博多起源説」だ。Wikipedia「うどん」には《仁治2年(1241年)に中国から帰国した円爾(聖一国師)は製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたと云われている。また、その円爾が開いた福岡市の承天寺境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている》。『小右記』には989年(永祚元年)、一条天皇の行幸のおりに春日大社で餺飥が振る舞われたとあるので、こちらが252年も早い。まさに「うどんのルーツは奈良にあり!」なのだ。

イベントは、明日に開催される。話題の春日はくたく(餺飥)うどんは1食100円・先着50人。皆さん、明日はぜひ県庁前(奈良公園・登大路園地)へ足をお運びください!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする