紹介するのが遅くなってしまった。産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、第91回(9/13付)のタイトルは「天理市佐保庄の旭寺跡聖観音石仏 隔夜修行の開祖 空也(くうや)上人」、執筆されたのはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の藤村清彦(奈良出身、大阪在住)さんだ。
※トップ写真は奈良市高畑町の隔夜寺
藤村さんには、「よく毎回、こんなマニアックなネタを仕込まれるなぁ」と感心している。今回の「隔夜修行」も、私は今年になってNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」のカリスマガイド・雑賀耕三郎さんから教わったばかりだ。藤村さんによると隔夜修行とは「奈良の神仏に念仏を唱えてお詣りして泊まり、翌日は歩いて長谷寺に詣でそこで泊まる修行を千日以上続けること」である。明治まで続いたそうで、よくこんな大変な修行を続けられたものだ。
今回はこんなスゴい修行の開祖、空也上人の話だ。空也上人といえば、六波羅蜜寺(京都市東山区)のお像(重文)で知られる。口の中から6体の阿弥陀仏が出ている立像で、運慶の四男・康勝が彫ったものだ。手には、てっぺんに鹿の角がついた杖を持っている。上人は、どんなコースでお参りしたのか。記事全文を紹介する。
奈良を中心とした地域にある石仏や茅葺(かやぶき)民家、勧請(かんじょう)縄を、美しい画像で紹介するブログ「愛しきものたち」で紹介されていた、天理市佐保庄(さほのしょう)町にある旭寺(あさひでら)跡聖観音石仏を訪ねた。
石仏は、国道169号三昧田(さんまいでん)交差点の東北の小墓地に祀(まつ)られている。天文(てんもん)23(1554)年造立の銘がある、半肉彫りの美しい石仏だ。野にある石仏で単体の聖観音は極めて珍しい。
500年近く風雪にさらされてきたものなのに、風化が少なく美しい面立ちが残っていて貴重だ。よほど地元で大事にお守りされてきたのだろう。高さ約130センチ。「各夜覚円(かくやかくえん)」が発願(ほつがん)したことが刻まれている。
各夜とは隔夜(かくや)修行、すなわち奈良の神仏に念仏を唱えてお詣りして泊まり、翌日は歩いて長谷寺に詣でそこで泊まる修行を千日以上続けることで、これは明治まで続いたという。
この修行の僧・念仏の徒を、隔夜聖(ひじり)または隔夜上人と称する。旭寺は、奈良と長谷寺を早朝に出発した修行僧がここで東の山際からのぼる朝日を拝んだことから、この名前が付いたと伝わる。
旭寺跡の聖観音石仏=天理市佐保庄町
石仏表面に刻まれたかすれた文字を指でなぞっていると、地元の女性が「浄国寺さんには隔夜結願(けちがん)の名号碑(みょうごうひ)がありますよ」と教えてくれた。
※ ※ ※
浄国寺は佐保庄町の北、天理市勾田(まがた)町の上街道(かみかいどう)に面する。明治の廃仏毀釈(きしゃく)で消え去った内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の門が移築されていることでも知られる。
本堂前の舟形(ふねがた)名号碑には、「奈良長谷寺各夜一千三百日結願山城相楽沙門順覚天文五年」と刻まれているとのことだが、肉眼での判読は難しい。
「結願」とは修行を達成したことだ。以前は別の所に立てられていたものが、この寺に移されたようだ。
※ ※ ※
隔夜聖にとっての奈良の宿坊(しゅくぼう)・高畑町の隔夜寺は、春日大社から高畑町にいたる「上(かみ)の禰宜(ねぎ)道」の南の端にある。門前には「空也(くうや)上人旧跡」の碑が立っている。空也上人は平安時代・10世紀の僧で、念仏を唱えて多くの人を救い「阿弥陀聖(あみだひじり)」と称されたという。
この空也上人が、隔夜修行の開祖なのだ。寺には鹿の角のついた杖(つえ)を手にもち、口から6体の阿弥陀像を発する造形の空也像と、長谷寺の十一面観音菩薩像の10分の1の大きさの本尊が祀られているそうだが、通常は非公開だ。
鎌倉時代になり、時宗(じしゅう)をおこした一遍(いっぺん)上人が空也を慕い、この寺で修行したという。長谷寺側の隔夜修行について、泊瀬(はつせ)門前町再興フォーラムの小西宗日出(むねひで)さんにお聞きした。
「長谷寺への現参道の北側、石打(いしうち)不動尊から崇蓮寺(そうれんじ)を経て長谷寺山門下の“桜の馬場”にいたる小路を“かくや道”といい、隔夜聖が通った道と伝わっています。石打不動尊の上あたりに隔夜堂があったようですが今は残っていません」と教えてくれた。
伊勢(初瀬)街道や山の辺の道を訪ね歩く人は多い。だが、そのすぐそばに平安時代から明治まで続いたという隔夜修行僧の祈りの足跡が残されているのを知る人は少ない。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)
隔夜修行のことは、雑賀耕三郎さんも「上街道・初瀬谷、そして大和神社を歩いた隔夜僧」および「空也上人と朝日観音」というブログに書かれているので、参考にしていただきたい。
それにしても天理市佐保庄の「聖観音石仏(旭寺跡)」と「浄国寺」、奈良市高畑町の「隔夜寺」、そして初瀬の「かくや道」と、ゆかりの地がこんなにあったのだ。近くを通った際には、ちゃんとお参りしておきたい。藤村さん、こんなマニアックな、いえ奥深いお話を有難うございました!
※トップ写真は奈良市高畑町の隔夜寺
藤村さんには、「よく毎回、こんなマニアックなネタを仕込まれるなぁ」と感心している。今回の「隔夜修行」も、私は今年になってNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」のカリスマガイド・雑賀耕三郎さんから教わったばかりだ。藤村さんによると隔夜修行とは「奈良の神仏に念仏を唱えてお詣りして泊まり、翌日は歩いて長谷寺に詣でそこで泊まる修行を千日以上続けること」である。明治まで続いたそうで、よくこんな大変な修行を続けられたものだ。
今回はこんなスゴい修行の開祖、空也上人の話だ。空也上人といえば、六波羅蜜寺(京都市東山区)のお像(重文)で知られる。口の中から6体の阿弥陀仏が出ている立像で、運慶の四男・康勝が彫ったものだ。手には、てっぺんに鹿の角がついた杖を持っている。上人は、どんなコースでお参りしたのか。記事全文を紹介する。
奈良を中心とした地域にある石仏や茅葺(かやぶき)民家、勧請(かんじょう)縄を、美しい画像で紹介するブログ「愛しきものたち」で紹介されていた、天理市佐保庄(さほのしょう)町にある旭寺(あさひでら)跡聖観音石仏を訪ねた。
石仏は、国道169号三昧田(さんまいでん)交差点の東北の小墓地に祀(まつ)られている。天文(てんもん)23(1554)年造立の銘がある、半肉彫りの美しい石仏だ。野にある石仏で単体の聖観音は極めて珍しい。
500年近く風雪にさらされてきたものなのに、風化が少なく美しい面立ちが残っていて貴重だ。よほど地元で大事にお守りされてきたのだろう。高さ約130センチ。「各夜覚円(かくやかくえん)」が発願(ほつがん)したことが刻まれている。
各夜とは隔夜(かくや)修行、すなわち奈良の神仏に念仏を唱えてお詣りして泊まり、翌日は歩いて長谷寺に詣でそこで泊まる修行を千日以上続けることで、これは明治まで続いたという。
この修行の僧・念仏の徒を、隔夜聖(ひじり)または隔夜上人と称する。旭寺は、奈良と長谷寺を早朝に出発した修行僧がここで東の山際からのぼる朝日を拝んだことから、この名前が付いたと伝わる。
旭寺跡の聖観音石仏=天理市佐保庄町
石仏表面に刻まれたかすれた文字を指でなぞっていると、地元の女性が「浄国寺さんには隔夜結願(けちがん)の名号碑(みょうごうひ)がありますよ」と教えてくれた。
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浄国寺は佐保庄町の北、天理市勾田(まがた)町の上街道(かみかいどう)に面する。明治の廃仏毀釈(きしゃく)で消え去った内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の門が移築されていることでも知られる。
本堂前の舟形(ふねがた)名号碑には、「奈良長谷寺各夜一千三百日結願山城相楽沙門順覚天文五年」と刻まれているとのことだが、肉眼での判読は難しい。
「結願」とは修行を達成したことだ。以前は別の所に立てられていたものが、この寺に移されたようだ。
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隔夜聖にとっての奈良の宿坊(しゅくぼう)・高畑町の隔夜寺は、春日大社から高畑町にいたる「上(かみ)の禰宜(ねぎ)道」の南の端にある。門前には「空也(くうや)上人旧跡」の碑が立っている。空也上人は平安時代・10世紀の僧で、念仏を唱えて多くの人を救い「阿弥陀聖(あみだひじり)」と称されたという。
この空也上人が、隔夜修行の開祖なのだ。寺には鹿の角のついた杖(つえ)を手にもち、口から6体の阿弥陀像を発する造形の空也像と、長谷寺の十一面観音菩薩像の10分の1の大きさの本尊が祀られているそうだが、通常は非公開だ。
鎌倉時代になり、時宗(じしゅう)をおこした一遍(いっぺん)上人が空也を慕い、この寺で修行したという。長谷寺側の隔夜修行について、泊瀬(はつせ)門前町再興フォーラムの小西宗日出(むねひで)さんにお聞きした。
「長谷寺への現参道の北側、石打(いしうち)不動尊から崇蓮寺(そうれんじ)を経て長谷寺山門下の“桜の馬場”にいたる小路を“かくや道”といい、隔夜聖が通った道と伝わっています。石打不動尊の上あたりに隔夜堂があったようですが今は残っていません」と教えてくれた。
伊勢(初瀬)街道や山の辺の道を訪ね歩く人は多い。だが、そのすぐそばに平安時代から明治まで続いたという隔夜修行僧の祈りの足跡が残されているのを知る人は少ない。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)
隔夜修行のことは、雑賀耕三郎さんも「上街道・初瀬谷、そして大和神社を歩いた隔夜僧」および「空也上人と朝日観音」というブログに書かれているので、参考にしていただきたい。
それにしても天理市佐保庄の「聖観音石仏(旭寺跡)」と「浄国寺」、奈良市高畑町の「隔夜寺」、そして初瀬の「かくや道」と、ゆかりの地がこんなにあったのだ。近くを通った際には、ちゃんとお参りしておきたい。藤村さん、こんなマニアックな、いえ奥深いお話を有難うございました!