tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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国宝仏、そんなにエライか!?/または ボク宝のすすめ

2017年02月18日 | 観光にまつわるエトセトラ
過日、得がたい経験をした。知人のYさんのFacebookで、話題が妙な方向に外れかけていたので、「これは軌道修正しないと」と思って(善意で)コメントを入れたところ、Yさんのお友だち(女性)から、こっぴどく叱られてしまったのである。
※画像はすべて一太郎2017から転載

その後、心やさしいYさんはコメントをすべて削除されたが、私のメールソフトにはその記録が残っている。当ブログのご愛読者の参考になると思うので、ここで再現してみたい。Yさんのお友だちも、ここまでは追っかけてこないだろうし…。

ときは2月15日(水)の夜。20時半過ぎにNPOの会議が終わって帰路につき、バスに乗り込んだところでYさんのタイムラインを見た。そこにYさんは、銀閣寺は国宝だが金閣寺は国宝ではない、ということを60歳を過ぎて初めて知った、と書かれていた。より正確に書き直すと「慈照寺の観音殿(銀閣)は国宝だが、鹿苑寺の舎利殿(金閣)は国宝ではない」ということだ。Yさんはこのようにスレッドの立て方が天才的にうまいので、いつも感心しながらFacebookを拝見している。

鹿苑寺舎利殿(金閣)は昭和25年に放火され、建物と仏像を焼失した。この事件は三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『五番町夕霧楼』『金閣炎上』 などでよく知られている。焼失したので国宝指定も解除された。現在の建物は、昭和30年になって再建されたものである。

最近になって新築された建物は、通常は国宝にはならない。伊勢神宮の正殿も、式年遷宮のたびに建て替えられるので、国宝ではない。春日大社の本殿にも式年造替の制度があるが、これは新築ではなく修繕なので、国宝に指定されている。過去には本殿を新築していた時期があり、旧本殿は他の神社に移築された(撤下という)。柳生の円成寺(えんじょうじ)に移された春日堂と白山堂は、現存最古の春日造建築として、国宝に指定されている。

と、ここまでは良かった。マトモな議論がなされていたのだ。しかしこのあとがいけない。Sさんという女性(Yさんのお友だち)が「昨日くもじぃのテレビで言ってましたが、安倍文殊さんの、仏像は国宝に指定されたらしいですが、飛鳥寺の仏像は、国宝から、重要文化財に格下げされたそうですよ」「その、選出にも、色々あったようで…」等々と書いたのだ。 「くもじぃのテレビ」とは、「空から日本を見てみよう」(BSジャパン)だ。くもじいこと伊武雅刀が案内するバラエティ番組である。



「安倍文殊さんの、仏像は国宝に指定された」は正しい。まだ最近(平成25年6月)のことだ。しかしこれと対比する形で「飛鳥寺の仏像は、国宝から、重要文化財に格下げされた」 と書くのは間違いだし、飛鳥寺にも失礼である。なので私はすぐに「それは旧国宝の話では」とコメントした。私の生まれる前の「昭和25年」の話である。

「国宝」(national treasures)のコンセプトはフェノロサが考えたものだが、この言葉の意味は文化財保護法施行(昭和25年)以前と以後とでは、全く異なる。文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていた。このあたりのことは、Wikipedia「国宝」に詳しく記されている。一部を引用すると、

古社寺保存法および国宝保存法の下で指定された「国宝」は1950年(昭和25年)現在で宝物類(美術工芸品)5,824件、建造物1,059件に及んだ。これらの指定物件(いわゆる「旧国宝」)は文化財保護法施行の日である1950年(昭和25年)8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった。

混同を避けるため旧法上の国宝を「旧国宝」、文化財保護法上の国宝を「新国宝」と通称することがある。文化財保護法による、いわゆる「新国宝」の初の指定は1951年(昭和26年)6月9日付けで実施された。

以上のように「旧国宝」「新国宝」「重要文化財」の関係が錯綜しているため、「第二次世界大戦以前には国宝だったものが、戦後は重要文化財に格下げされた」と誤って理解されることが多い。

旧法(古社寺保存法、国宝保存法)における「国宝」(旧国宝)と新法(文化財保護法)における「重要文化財」は国が指定した有形文化財という点で同等のものであり、「格下げ」されたのではない。また、文化財保護法によって国宝(新国宝)に指定された物件のうち、重要文化財に「格下げ」された例は1件もない。




このように《重要文化財に「格下げ」された例は1件もない》のだ。もしBSジャパンが誤った報道をしたのなら問題だと思い、ネット動画でこの番組(2/14放送分)を見た。すると番組では図解を入れながら、上記「指定替え」の話がわかりやすく解説されていたので、これは単なるSさんの誤解(または早とちり)に過ぎないことが判明した。

しかしSさんは、国宝仏でないと知るとガッカリする、等々と書き、私は「国宝仏だから有り難い、国宝仏でないから有り難くないということはあり得ません」と書いた。Sさんは「そんな人もおられますよ。マニアならね。私が言う意味は、飛鳥に想いを馳せて来て、飛鳥大仏の荘厳な姿に触れて、これは、国宝ではないのだ、と驚かれる、と言うことです」と書いた。

私は仏像マニアではないが、国宝かどうかで信仰心や有り難みや感動が変化する、などということが信じられない。過去に私が最も感動した仏さまは長谷寺の観音さま(木造十一面観音立像)だ。こちらは国宝ではなく重要文化財だが、それが何であろう。仏像は美術品ではないのだ。四国八十八ヶ所霊場は3分の2ほど巡拝したが、仏さまのお顔を見て拝んだことは1度もない。仏像が安置された厨子の扉に向かって拝んだのである。



みうらじゅんは国宝ならぬ「ボク宝(ほう)」という。つまり「国宝よりも大切なボクだけの宝物」というわけで、これが宝物に接する正しい態度ではないだろうか。第一、室町時代より新しい時期に造立された国宝仏など、聞いたことがない。新しい仏像は有り難くないのだろうか。

しかしSさんはまだ理解できない様子で、「なんか、私に恨みでも…」「もう、何も申しません!!」「この場の雰囲気が、メチャメチャになっても、それでも譲れない!て仰るのなら、今後いっさい、Yくんの歴史ネタには、参加しないです」(夜中の23時9分)と書かれてこのやりとりは一旦修了(後日、Yさんはすべてのコメントを削除された)。

文化財保護法で制度が変わったことは、ちゃんと知っておくべきだし(「空から日本を見てみよう」もきちんと伝えていた。それを見落としたのは致命的だ)、国宝指定と「有り難み」「感動」は全く関係がない。どこを「譲る」というのか、理解に苦しむ。

本と違ってテレビ番組は、よほど注意して見ないと大事な所を見過ごしてしまうので、誤解が生じるモトになる。Yさん、このたびはやきもきさせて失礼しました!
コメント (7)
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