金峯山寺長臈(ちょうろう)で種智院大学客員教授の田中利典師が、金峯山時報「蔵王清風」(1999年6月号)に執筆・掲載された「親友との夏」を、ご自身のFacebookに再掲載された。心にしみる文章なので、ここに紹介させていただく。
※トップ写真は、師のご自宅近くの里山風景(京都府綾部市)
(2018年)9月に橿原でおこなった第42回日本自殺予防学会の講演論文をようやく書き上げた。その講演の冒頭で友人の死の話をした。ひとりは自殺だったが、もうひとりの友人は事故死だった。講演論文にもかれらのことを紹介している。「親友との夏」…はその事故死をした友人の話。かれはまだ僕の中で一緒に生きてくれている。(2018年12月4日)
「親友との夏」
ー田中利典 著述を振り返る 2016.12.4
夏が来る度に親友Sのことを思い出す。彼とは中学二年の時に出会った。同じクラスになって、しばらくして親友になった。確かボクから、まるで初恋の人に告白するように、「一生親友でいよう」と宣言したことを覚えている。
そして宣言通り、ボク達は親友として中学時代を共に過ごした。中学を卒業し、ボクだけが故郷を遠く離れた滋賀県の高校に進むのだが、その後もずーっと連絡を取り合い、親友でありつづけた。成人して、お互いの結婚式にも行ったし、家族ぐるみのつき合いもした。
その彼が平成四年の夏、突然に亡くなる。一生親友でいようと誓い合った二人の約束を反故にして、逝ったのである。海水浴中、一瞬の波に呑まれたのであった。三十八歳の短い人生。訃報を聞いて、涙で目の前をぐしゃぐしゃにしながら、彼のもとへと車を走らせたことを今でも昨日のように覚えている。
日蓮上人の言葉に「命は限りあることなり。すこしも驚くことなかれ」(法華証明抄)とあるが、あの時の驚きと悲しみほど、胸を痛めたことはなかった。でもあの時の彼の死をもって、命は限りあることなり…という真理がボクの心にインプットされたのであった。彼はその時から、ボクの心に生き続けているともいえる。夏が来る度にそのことを思い出している。
人は誰でも、この世に生まれ出た瞬間から確実に死に向かって歩みを始めている。紛れのない真実である。といってそんなことを常に心に思って生きている人はまずいない。もし本当にそう思うのなら、この世は誠にせわしくて、とてつもなく切なくて、楽しくもなんともない世界になってしまうからだ。でも死はやはり突然に訪れるものなのである。
「覚悟はあるか」と聞かれたら、もう何十年も僧侶をしているくせに、なんとも頼りない自分を感じている。正直な気持ちである。親友Sに「あいかわらず情けないやっちゃな」と笑われているのかも知れないが、それも良しとしたい。そんなことを思いつつ、今年も熱い夏を迎えることになるのだ。
覚悟はないが、彼の忌日にまた「死に習う」ことができるのだから…。「死に習う」とはいつも死を心に置いて、一瞬一瞬を懸命に生きるということである。一生続く親友からのメッセージである。
ー金峯山時報「蔵王清風」1999年6月号掲載
*******************
今日はいつものカタイ文章ではなく、つれづれに書いたものです。これを書いてからすでに16年。親友の死からはもう23年が過ぎました。あっというの間の月日です。この春から故郷綾部に拠点を移しましたが、彼が生きていてくれたらと、改めて思う日々です。今だからこそ、地元でお互い、一緒にやれることがあったはずだから…。
そして、還暦を過ぎて、私自身が自分の「死」について、素直に向き合える歳にもなりました。そんなことを思い、少しセンチメンタルな気分で、時季外れですが、彼のことに書いた文章を読み返しています。(2015年12月4日)
利典師は『よく生き、よく死ぬための仏教入門』でも、「死に習う」ということを書いておられた。「死を意識すること、死に習うことで、生がより際立ってくる」と。日蓮上人の「命は限りあることなり。すこしも驚くことなかれ」は、今回初めて知った。
私も65歳の「前期高齢者」となった。生きる者は必ず死ぬのだ。常に死を意識することで、生きているこのかけがえのない時間を大切にしたい。
※トップ写真は、師のご自宅近くの里山風景(京都府綾部市)
(2018年)9月に橿原でおこなった第42回日本自殺予防学会の講演論文をようやく書き上げた。その講演の冒頭で友人の死の話をした。ひとりは自殺だったが、もうひとりの友人は事故死だった。講演論文にもかれらのことを紹介している。「親友との夏」…はその事故死をした友人の話。かれはまだ僕の中で一緒に生きてくれている。(2018年12月4日)
「親友との夏」
ー田中利典 著述を振り返る 2016.12.4
夏が来る度に親友Sのことを思い出す。彼とは中学二年の時に出会った。同じクラスになって、しばらくして親友になった。確かボクから、まるで初恋の人に告白するように、「一生親友でいよう」と宣言したことを覚えている。
そして宣言通り、ボク達は親友として中学時代を共に過ごした。中学を卒業し、ボクだけが故郷を遠く離れた滋賀県の高校に進むのだが、その後もずーっと連絡を取り合い、親友でありつづけた。成人して、お互いの結婚式にも行ったし、家族ぐるみのつき合いもした。
その彼が平成四年の夏、突然に亡くなる。一生親友でいようと誓い合った二人の約束を反故にして、逝ったのである。海水浴中、一瞬の波に呑まれたのであった。三十八歳の短い人生。訃報を聞いて、涙で目の前をぐしゃぐしゃにしながら、彼のもとへと車を走らせたことを今でも昨日のように覚えている。
日蓮上人の言葉に「命は限りあることなり。すこしも驚くことなかれ」(法華証明抄)とあるが、あの時の驚きと悲しみほど、胸を痛めたことはなかった。でもあの時の彼の死をもって、命は限りあることなり…という真理がボクの心にインプットされたのであった。彼はその時から、ボクの心に生き続けているともいえる。夏が来る度にそのことを思い出している。
人は誰でも、この世に生まれ出た瞬間から確実に死に向かって歩みを始めている。紛れのない真実である。といってそんなことを常に心に思って生きている人はまずいない。もし本当にそう思うのなら、この世は誠にせわしくて、とてつもなく切なくて、楽しくもなんともない世界になってしまうからだ。でも死はやはり突然に訪れるものなのである。
「覚悟はあるか」と聞かれたら、もう何十年も僧侶をしているくせに、なんとも頼りない自分を感じている。正直な気持ちである。親友Sに「あいかわらず情けないやっちゃな」と笑われているのかも知れないが、それも良しとしたい。そんなことを思いつつ、今年も熱い夏を迎えることになるのだ。
覚悟はないが、彼の忌日にまた「死に習う」ことができるのだから…。「死に習う」とはいつも死を心に置いて、一瞬一瞬を懸命に生きるということである。一生続く親友からのメッセージである。
ー金峯山時報「蔵王清風」1999年6月号掲載
*******************
今日はいつものカタイ文章ではなく、つれづれに書いたものです。これを書いてからすでに16年。親友の死からはもう23年が過ぎました。あっというの間の月日です。この春から故郷綾部に拠点を移しましたが、彼が生きていてくれたらと、改めて思う日々です。今だからこそ、地元でお互い、一緒にやれることがあったはずだから…。
そして、還暦を過ぎて、私自身が自分の「死」について、素直に向き合える歳にもなりました。そんなことを思い、少しセンチメンタルな気分で、時季外れですが、彼のことに書いた文章を読み返しています。(2015年12月4日)
利典師は『よく生き、よく死ぬための仏教入門』でも、「死に習う」ということを書いておられた。「死を意識すること、死に習うことで、生がより際立ってくる」と。日蓮上人の「命は限りあることなり。すこしも驚くことなかれ」は、今回初めて知った。
私も65歳の「前期高齢者」となった。生きる者は必ず死ぬのだ。常に死を意識することで、生きているこのかけがえのない時間を大切にしたい。