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田中利典師曰く「悟りに達するには、まずは欲を絶つ」

2023年05月30日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「satori(悟り)」(師のブログ 2011.10.2付)である。「悟りとは何だろう」という夢を見られて、そこからの思索である。こんな夢を見られるとは、さすがはお坊さんだ。私は、「今晩のおかずは何だろう」という夢はよく見るが。
※トップ写真は、吉野山の馬酔木(2023.3.31 撮影)

この記事には、優婆塞BBさんから、こんなコメントが入っていた。〈悟りについて偉いお坊様が思い悩んでいらっしゃると思うと、一般人の私はちょっと安心してしまいます。まあ、お部屋とかに物が多いと物事に集中出来なくて気持ちが惑いますね~?(中略)愚痴っても、多少へこたれても いいんじゃないですか!?投げ出さなければ大丈夫です!!…と、私が思うだけですけど~?(笑)〉。

なお本文中に出てくる「無一物(むいちもつ)」とは、何一つ所有していないことを指す。それは良寛さんや一休さんの生き方にもつながる…。では、師のブログ記事全文を紹介する。

satori
悟りって、なにかなあ…という夢を見た。で、悟りにすごく遠い現実をしみじみ感じたね。せっかく人間に生まれてきたのだから、悟りたいっていう思いは私にあって、だから僧侶になったのはありがたい。

サラリーマンが悟りたいって行ったら上司から、おまえは馬鹿か!って言われるに違いないが、ぼーさんが悟りたいっていったら、尊敬の顔で見られたり、ありがたいお話でしたと言われたり、…するんだからね。

で、で、ぼーさんがみんな、そんな高尚なことを考えているわけじゃなくて、まあ、結局は生きることで精一杯なわけ。まあ、それはそれでそういうもんだから、仕方がないけど、自分のことをじーと考えると、私の周りにはいろいろなものがありすぎる。

自宅に帰ると、奥さんはとてもいい人なんだけど、片付ける能力が前からあまりないので家の中は物が散乱。子供達も両親のしつけのせいで、片付けられない。考えてみれば私の親も片付けが苦手な人だったので、私も生来の愚図。単身赴任中の部屋はぐちゃぐちゃ。

何が言いたいかというと、悟りとは無一物でないと、なかなか生まれにくい、っていうことを今日の夢が教えてくれていた。ともかく、ものが多いのは悟りには遠いって感じ。周りになるべく物がない方が悟りに近い生き方だと、まざまざと感じる。

それはものだけじゃない。仕事や人間関係や…いろいろ事柄があるほど、悟りにはやはり遠いって思うこの頃。忙しいのが自慢のような今の生活はそういう意味では最悪。まして好きだのキライだの、そういう男女間の執着・感情はもう悟れない絶対条件のようなものですねえ。でもそれが生きてる証みたいなもんなんだけどさ。

良寛になりたい、が口癖だったけど、どんどん、良寛から遠ざかっている今の生活。良寛も女がいたね。でも、良寛的女性関係はかなり難しいかも。そういう意味では一休を目指すしかないかなあ。ものすごい、わけのわからない夢が、あらためて今の自分をおしえてくれた…というsatoriの話、でした。いやいや…愚痴でした。
コメント
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