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田中利典師曰く「文明は文化を駆逐する。日本文化の危機は、日本宗教の危機」

2023年05月07日 | 田中利典師曰く
今回は「文化は宗教である」(2010.1.3)。田中利典師が仏教タイムス紙に寄稿された年頭所感をアレンジして、金峯山時報「蔵王清風」欄に転載された文章だ。「二度の神殺し(by 梅原猛氏)」「文明は文化を駆逐する」「近代(文明)と戦う」は、師は何度かお書きである。
※トップ写真は、吉野山の一目千本(吉水神社からの眺望 2023.3.28 撮影)

年頭に当たり、自ら言い聞かせるようにこの文章を書かれたのだろう、深い思い入れが伝わってくる。東日本大震災も、コロナ禍も、ウクライナ戦争も、この時は想像すらできなかったのに…。では全文を紹介する。

年頭所感 「文化は宗教である」
仏教タイムス紙に依頼された年頭所感を改編して、当山の機関誌「蔵王清風」にも書いた、私の年頭に当たっての思いである。

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「文化は宗教である」
新年明けましておめでとうございます。その新年ののっけから、ナンですが…今まさに、日本文化が危機に瀕しているように感じます。明治維新の欧米化から140年。大東亜戦争の敗北から60数年。哲学者梅原猛氏が指摘するように二度の神殺し(「反時代的密語~神は二度死んだ」)が、日本文化を破壊しつつあります。

梅原氏曰く、一度目の神殺しは明治の神仏分離。それは単に神仏の殺害ではなく、神と仏を共に尊んできた日本の精神文化の基層の部分の崩壊を意味し、そして崩壊させてのちに、新たに構築したのが天皇を神として奉り、国家神道を中心に据えて誕生した近代国家だったのです。

これによって我が国は東アジアで唯一、近代化にいち早く成功を収め、繁栄を享受するところとなりますが、肥大化しすぎた国家はその挙げ句、欧米列強との衝突によって、大東亜戦争に突入し、敢えなく敗戦を迎え、そして進駐軍政策の下、せっかく神仏分離をしてまで作った国家神道はみごとに解体され、天皇は人間宣言をして、二度目の神殺しが行われるところとなった、というのです。

さてここにいう文化とは何なのでしょうか。文化とはカルチャーであり、土地を耕すという原意を持ちます。 つまり文化とは元々は土地であり、風土であり、国土なのです。ドイツ・ワイマール共和国時代に、作家トーマス・マンはそれを、その風土から生まれた宗教だ、とも言っています(『非政治的人間の省察』)。

日本文化の危機は日本の風土の危機であり、日本の宗教の危機ともいえるでしょう。いま、いろんな場所、いろんな状況下で危機が叫ばれています。世界的にグローバル資本主義が暴れ回る中、経済破綻、自然環境破壊、文明間の衝突、そして内側では、学級崩壊、家庭崩壊、重度の人格崩壊…などなど。それはもしかすれば明治以降の近代化140年の中で急速に広まったことであり、しかも単に日本だけの危機ではなく、世界的な文化の危機なのかもしれません。

実に、文明は文化を駆逐するのです。近代というバケモノは高度な物質文明社会、機械文明社会を産み出し、世界各地の文化を壊し続けてきました。文化は風土であり、習俗であり、宗教であるとするなら、世界各地にあったにその土地土地の風土が壊れ、習俗、宗教の消滅を生んだのは、近代文明がもたらした紛れもない災禍でありましょう。

決して飛躍的な考え方ではなく、そういう時代に生まれ合わせていることを、現今の宗教人は自覚しなければいけないのではないかと私は思っています。宗教人こそ、文化の担い手の最終砦なのです。とりわけ明治の神仏分離によって壊滅的な破壊の対象となった日本固有の宗教である修験道に身を置く私にとっては、痛みを持って実感するところであります。

「破壊は再生だ」ともいいます。宗教人はものごとをネガティブに考えず、ポジティブに考えなければなりません。ポジティブに、文化破壊の時代を生きなければならないのです。破壊によって再生がなされるなら、いまこそ再生の時ととらえ、行動すべきなのだと考えています。

ここ十数年、声を枯らして修験道ルネッサンスを提唱し続けた私の原点はまさにこの思いからなのです。文化は宗教なり…この金言を心に銘じて、今年一年もまた頑張り抜きたいと思っています。南無蔵王一仏哀愍納受悉地成就!
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