昨日(2024.6.12)、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の史跡探訪サークル(啓発交流グループ)が主催する「矢田寺のアジサイを楽しむ」ツアーに参加した。参加者はスタッフを入れて15名、中には伊勢志摩方面から来られた方もいらっしゃった。
矢田寺バス停で降り、少し歩くと儒学者・熊澤蕃山の居宅跡を示す碑がある
①矢田寺と矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社へのツアー、②矢田寺のアジサイ、③矢田寺北僧坊(きたそうぼう)の「あじさい御膳」(精進料理)、という3つの楽しみのあるぜいたくなツアーだった。とても1回では書き切れないので、3回に分けて紹介する。
矢田寺周辺にはあまたのお地蔵さんがある。これはその1体め
初回はガイドツアーの巻。同会ガイドグループなどでガイド経験を積まれた方が案内してくれるので、とても頼もしい。矢田寺は、同会の著書『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)にも登場する。引用すると、
境内からは、奈良盆地が見渡せる
矢田寺【やたでら】(金剛山寺) お地蔵さんとアジサイの寺
「矢田のお地蔵さん」として親しまれている矢田寺( 金剛山寺=こんごうせんじ)は、城下町・郡山から西へ3.5㌖、矢田丘陵の中心・矢田山の中腹にあり、日本最古の延命地蔵菩薩像を安置しています。
同寺北僧坊(きたそうぼう)横には、豊臣秀長の書院・茶室が郡山城から移設されていた
今から約1300年前、大海人皇子(のちの天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登り、即位後の白鳳4年(664)智通僧上に勅し、七堂伽藍四十八ヵ所坊を造営したのが当寺のはじまりといわれています。当初は十一面観音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、弘仁年間に満米(まんまい)上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。
書院・茶室の扉。向かって右には菊花紋
左には五七桐。秀吉が天皇から下賜され、秀長もこれを使った
「各地のお地蔵様の多くは、右手に杖、左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を持たれているスタイルなのですが、矢田寺のお地蔵様は、そのほとんどが右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイルで、『矢田型地蔵』と呼ばれています」(公式HP)。境内ではみそなめ地蔵をはじめたくさんの石のお地蔵さまに迎えられ、眼下には奈良盆地がのびやかに広がります。
書院・茶室の内部。この写真は、北僧坊の公式HPから拝借
本堂は江戸時代の建築(県指定文化財)で、中央の厨子内には本尊の木造地蔵菩薩立像(平安時代・重文)に木造十一面観音立像(奈良時代・重文)と吉祥天女立像(室町時代)を加えた等身大の三尊を安置し、左右に二天像(奈良時代)を配しています。
ランチタイムで挨拶する同会副理事長の松浦文子さん
境内には約60種約10,000株のアジサイが咲き誇るところから「アジサイ寺」の別名があり、さまざまに色を変える花を楽しみながら、6月1日~6月30日には本堂の特別拝観もできます。 (水間充)
宗)高野山真言宗 所)奈良県大和郡山市矢田町3506 電)0743-53-1445 交)近鉄郡山駅からバス「矢田寺」下車 徒歩約10分 拝)アジサイ開花期700円、本堂特別拝観500円
石段を上がりきったのが10:30頃、それから本堂を拝観して、昼食は11:30スタート。食後はアジサイを見学して13:30に本堂前を出発し、徒歩で矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社へ。13:50頃到着して神社を参拝した。毎日新聞奈良版「やまとの神さま」(2023.4.20付)によると、
矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市)
矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社は、矢田丘陵から東に広がる田園地帯にある古社です。主祭神の櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)は、天照大神の孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が、九州日向の高千穂峰に降臨するよりも以前に天降(あまくだ)った神さまと伝わります。
櫛玉饒速日命は当初河内国に降り立ちますが、宮の地を求め再び岩でできた天磐船(あめのいわふね)に乗って天空を飛び、3本の矢を放ち、落ちた場所を宮と定めることにしました。社伝によれば2番目の矢が落ちた場所がこの神社で、別名「矢落(やおち)大明神」とも呼ばれ、境内には「二の矢塚」があります。
これが「二の矢塚」
神社の東南の小字「一の矢」という場所には「一の矢塚」があり、また土地の人が古くから「みやどこ(宮所)」と呼ぶ北西の場所には、「三の矢塚」があります。
楼門には中島飛行機製・陸軍九一式戦闘機のプロペラ。昭和18年に大日本飛行協会大阪支部が
奉納したもの。プロペラ表面には、向って右側に「神徳」、左側に「赫奕(かくえき)」の文字
があるそうだが、確認出来なかった。揮毫は、大日本飛行協会副会長陸軍中将堀丈夫だそうだ
プロペラの上部には、源田実航空自衛隊初代幕僚長が参拝記念として奉納した板額がある
主祭神とともに祀られている妻の御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)は、この地の大豪族・登美長髄彦(とみのながすねひこ)の妹でした。長髄彦は日向の地を出て大和に入った邇邇芸命のひ孫の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと、後の神武天皇)と戦い、敗れました。
石造りの鳥居をくぐると正面には立派な楼門があり、飛行機のプロペラが奉納されています。これは空を飛ぶ天磐船神話から当神社が「航空祖神(そしん)」とあがめられていることに由来します。神代と今をつなぐ古社です。(奈良まほろばソムリエの会理事 大江弘幸)
(住 所)大和郡山市矢田町965
(祭 神)櫛玉饒速日命、御炊屋姫命
(交 通)近鉄郡山駅から奈良交通バス「横山口」下車、徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
帰りは「横山口」バス停から近鉄郡山駅へ。この日は最高気温が30.8℃を超える真夏日だったし、アップダウンのある道を2万歩以上歩いたので、足はガクガクだったが、久しぶりに歩いたので、体調はとても良い。
同サークル世話人の秋山博隆さんはじめ、スタッフの皆さん、本当にお世話になりました、ありがとうございました!
矢田寺バス停で降り、少し歩くと儒学者・熊澤蕃山の居宅跡を示す碑がある
①矢田寺と矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社へのツアー、②矢田寺のアジサイ、③矢田寺北僧坊(きたそうぼう)の「あじさい御膳」(精進料理)、という3つの楽しみのあるぜいたくなツアーだった。とても1回では書き切れないので、3回に分けて紹介する。
矢田寺周辺にはあまたのお地蔵さんがある。これはその1体め
初回はガイドツアーの巻。同会ガイドグループなどでガイド経験を積まれた方が案内してくれるので、とても頼もしい。矢田寺は、同会の著書『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)にも登場する。引用すると、
境内からは、奈良盆地が見渡せる
矢田寺【やたでら】(金剛山寺) お地蔵さんとアジサイの寺
「矢田のお地蔵さん」として親しまれている矢田寺( 金剛山寺=こんごうせんじ)は、城下町・郡山から西へ3.5㌖、矢田丘陵の中心・矢田山の中腹にあり、日本最古の延命地蔵菩薩像を安置しています。
同寺北僧坊(きたそうぼう)横には、豊臣秀長の書院・茶室が郡山城から移設されていた
今から約1300年前、大海人皇子(のちの天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登り、即位後の白鳳4年(664)智通僧上に勅し、七堂伽藍四十八ヵ所坊を造営したのが当寺のはじまりといわれています。当初は十一面観音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、弘仁年間に満米(まんまい)上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。
書院・茶室の扉。向かって右には菊花紋
左には五七桐。秀吉が天皇から下賜され、秀長もこれを使った
「各地のお地蔵様の多くは、右手に杖、左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を持たれているスタイルなのですが、矢田寺のお地蔵様は、そのほとんどが右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイルで、『矢田型地蔵』と呼ばれています」(公式HP)。境内ではみそなめ地蔵をはじめたくさんの石のお地蔵さまに迎えられ、眼下には奈良盆地がのびやかに広がります。
書院・茶室の内部。この写真は、北僧坊の公式HPから拝借
本堂は江戸時代の建築(県指定文化財)で、中央の厨子内には本尊の木造地蔵菩薩立像(平安時代・重文)に木造十一面観音立像(奈良時代・重文)と吉祥天女立像(室町時代)を加えた等身大の三尊を安置し、左右に二天像(奈良時代)を配しています。
ランチタイムで挨拶する同会副理事長の松浦文子さん
境内には約60種約10,000株のアジサイが咲き誇るところから「アジサイ寺」の別名があり、さまざまに色を変える花を楽しみながら、6月1日~6月30日には本堂の特別拝観もできます。 (水間充)
宗)高野山真言宗 所)奈良県大和郡山市矢田町3506 電)0743-53-1445 交)近鉄郡山駅からバス「矢田寺」下車 徒歩約10分 拝)アジサイ開花期700円、本堂特別拝観500円
石段を上がりきったのが10:30頃、それから本堂を拝観して、昼食は11:30スタート。食後はアジサイを見学して13:30に本堂前を出発し、徒歩で矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社へ。13:50頃到着して神社を参拝した。毎日新聞奈良版「やまとの神さま」(2023.4.20付)によると、
矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市)
矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社は、矢田丘陵から東に広がる田園地帯にある古社です。主祭神の櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)は、天照大神の孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が、九州日向の高千穂峰に降臨するよりも以前に天降(あまくだ)った神さまと伝わります。
櫛玉饒速日命は当初河内国に降り立ちますが、宮の地を求め再び岩でできた天磐船(あめのいわふね)に乗って天空を飛び、3本の矢を放ち、落ちた場所を宮と定めることにしました。社伝によれば2番目の矢が落ちた場所がこの神社で、別名「矢落(やおち)大明神」とも呼ばれ、境内には「二の矢塚」があります。
これが「二の矢塚」
神社の東南の小字「一の矢」という場所には「一の矢塚」があり、また土地の人が古くから「みやどこ(宮所)」と呼ぶ北西の場所には、「三の矢塚」があります。
楼門には中島飛行機製・陸軍九一式戦闘機のプロペラ。昭和18年に大日本飛行協会大阪支部が
奉納したもの。プロペラ表面には、向って右側に「神徳」、左側に「赫奕(かくえき)」の文字
があるそうだが、確認出来なかった。揮毫は、大日本飛行協会副会長陸軍中将堀丈夫だそうだ
プロペラの上部には、源田実航空自衛隊初代幕僚長が参拝記念として奉納した板額がある
主祭神とともに祀られている妻の御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)は、この地の大豪族・登美長髄彦(とみのながすねひこ)の妹でした。長髄彦は日向の地を出て大和に入った邇邇芸命のひ孫の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと、後の神武天皇)と戦い、敗れました。
石造りの鳥居をくぐると正面には立派な楼門があり、飛行機のプロペラが奉納されています。これは空を飛ぶ天磐船神話から当神社が「航空祖神(そしん)」とあがめられていることに由来します。神代と今をつなぐ古社です。(奈良まほろばソムリエの会理事 大江弘幸)
(住 所)大和郡山市矢田町965
(祭 神)櫛玉饒速日命、御炊屋姫命
(交 通)近鉄郡山駅から奈良交通バス「横山口」下車、徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
帰りは「横山口」バス停から近鉄郡山駅へ。この日は最高気温が30.8℃を超える真夏日だったし、アップダウンのある道を2万歩以上歩いたので、足はガクガクだったが、久しぶりに歩いたので、体調はとても良い。
同サークル世話人の秋山博隆さんはじめ、スタッフの皆さん、本当にお世話になりました、ありがとうございました!
> 史跡探訪サークルというのがあるのですね。
はい、メンバーは180人以上いるのですが、行事への参加者が少ないのが、悩みの種です。
> シリーズ3回、全部印刷してファイリングさせて頂きますね。
それは光栄です。
> 2万歩とは凄く歩かれたのですね😲私は到底歩けません(笑)
私も久しぶりでした。1人ではなかなか歩けませんが、仲間がいると歩けるのが不思議です(笑)
史跡探訪サークルというのがあるのですね。
皆さんいい笑顔で楽しんでおられるご様子嬉しく拝見しています。シリーズ3回、全部印刷してファイリングさせて頂きますね。
啓発交流大変良い事ですね。お勉強しながら交流も。。
2万歩とは凄く歩かれたのですね😲私は到底歩けません(笑)益々の奈良まほろばソムリエさん達のご活躍を願っております。次の回も楽しみにしています。(2024.06.13)