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生駒聖天 宝山寺の浴油供/浴油祈祷

2016年04月18日 | 奈良にこだわる
宝山寺は「生駒の聖天さん」として広く知られている。網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)によると、

宝山寺 (生駒市門前町) 
生駒山の山腹に露出する奇岩が般若窟といわれ山岳信仰の対象となり、役小角が般若経を書写して納めたという伝説や若年の空海が当地で修行したという説話が生まれ、修行の道場として大聖無動寺が建てられた。

般若窟の頂上には鎌倉様式の宝瓶塔があり、弘安五年(一二八二)の十三重石塔もあることから、遅くとも鎌倉時代までには寺院が成立していたようである。江戸初期の延宝六年(一六七八)に中興の祖とされる湛海が入山し、二年後の仮本堂の建立を期に、八万枚の不動護摩供を修して以来、不動明王と大聖双身歓喜天への信仰をもとに寺勢が興った。


 改訂新版 奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック
 網干善教 監修
 山と溪谷社

湛海は般若窟に弥勒菩薩を祀り、十三重石塔を修復し、聖天堂や根本中堂を建てるなど、寺の復興に努め、元禄五年(一六九二)に生駒山宝山寺と改めた。

本尊の木造不動明王像と、厨子入りの木造五大明王像はいずれも湛海の自作で、中でも五大明王像は、明治十五年(一八八二)に新潟県の大工、吉村松太郎が設計した洋風二階建て寄棟造の獅子閣とともに重要文化財に指定されている。聖天堂に祀られている双身歓喜天像が「生駒の聖天さん」の愛称で親しまれ、信仰を集めている。



宝山寺本堂

こちらにお参りすると境内にはたくさんの石碑(寄進碑)が建っていて、そこに「永代浴油」と彫られている。最初「灯明の菜種油を寄進したのかな」と思っていたが、どうも「浴」の文字が気になる。

そんな折、「生駒聖天さんどう会」の小川雅巳会長から「浴油供(よくゆく)」のことをお聞きした。お寺では毎夜半、歓喜天像に油を注ぐ行法をされているのだという。この「浴油供」はWikipedia「歓喜天」にも出ていて《浴油供 油で歓喜天を沐浴させる。銅器に清浄な油を入れて適温(人肌)に温めて、その油を柄杓などで汲んで、歓喜天の像に油を注ぐ》とある。これは珍しい行法だ。


向かって左が拝殿。その奥に聖天堂がある。なお聖天(歓喜天)像は秘仏である

宝山寺のHPの「御祈祷」のところには「浴油祈祷」が出ていて「1,000円から」とある。
Yahoo!知恵袋に「生駒聖天さんの浴油祈祷料はいくらでしょう」という質問があり「一日千円より何日分でも受け付けてくださいます。午前中に申し込めば翌朝2時よりご祈祷していただけます。それ以降は翌々日の午前2時からとなることもあります」という回答が出ていた。ということは「浴油供」は午前2時から行われているのだ!

土曜日(4/16)、「参道ご縁市」に出かけたついでに、宝山寺で林屋友次郎著『聖天信仰の手引き』(発行所:大井聖天 大福生寺 税込3,000円)を買い求めた。「七.浴油供の作法とその意味」という章があり、詳しい説明があったからだ。生駒の聖天さんに限らない一般的な説明であるが、抜粋してみる。



非常に大事なこと、また是非かなえてもらわなければならぬ時は、どうしても浴油供でなければいけない。浴油供は聖天様独特の深秘(じんぴ)の祈願法であるばかりでなく、密教最極の秘法にて、古来大変尊重し、みだりに公開し、伝授しなかったのである。

浴油作法を一口に申せば、聖天様の御尊像に聖油を灌浴して、供養し、祈念することである。― ちょうど四月八日の灌仏会に、お釈迦さまの誕生仏に甘茶を灌ぎ、その御生誕を祝い、恩徳を謝するように ― すなわち多羅(たら、すなわち鍋)という金属製の器に、清浄な胡麻油一升(容器によって異なる)を入れ、その中へ、白檀(びゃくだん)、丁字(ちょうじ)等の妙香を投じて香油とし温めて、その聖油中へ御尊像を立て、金属製の杓(しゃく)にて至心に御真言を誦し、聖天様と自分は不二一体であるという、所謂神人統合の精神になって、御頭から油を灌ぎ奉るのである。



前述のような功徳のある浴油供も、何時行うてもよいというわけではない。現在ではそのお寺のいろいろの都合から、朝から午前中に修している所もあるが、本来は夜半から、夜明けにかけて行うのである。すなわち中夜と後夜の二座である。そして聖油を、中夜は四百反、後夜は三百反灌ぐとなっているが、実際は特別な祈願もあって両座で千反位灌ぐことになる。

なぜ夜中から夜明けにかけて修するかといえば、この時刻はいわゆる草木も眠るというように、この世の中が最も静かになり、邪魔なる者はみな寝静まり、善神だけが起きておられ、活動なさるのにも、さまたげるものがないとされている。また行者もしたがって、精神統一、すなわち入我の心境になりやすいのである。だからこの時刻に秘法を修し祈念すれば、その効験著しいのである。またこの時刻は一日中最も生気が満ちているからでもある。



一座行法の所要時間は普通二時間あまりかかるから、連日この大法を修する行者は、精神的にも肉体的にもかなり疲労を感ずると言われている。


「反」は「回」という意味だそうだ(海龍王寺の石川重元住職に教えていただいた)。夜中に2時間もかけて、ご真言を唱えながら約100回、聖油を注ぐというのは大変な行法である。それが今日まで受け継がれているというのが、すごい。小川さん、良いヒントを有難うございました。石川住職、ご教示ありがとうございました!

※追記(2020.6.1) 『週刊古社名刹 巡拝の旅 20 生駒の山』(集英社・ウィークリー・コレクション)に、こんな記述がありましたので書いておきます。
現世利益(げんぜりやく)を叶(かな)える仏
宝山寺は聖天(しょうでん)信仰の聖地として、昼夜を問わず参拝者が訪れる。開山の湛海律師(たんかいりっし)が勧請(かんじょう)した大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)(聖天)は、インドの古代神話では魔王であったが、仏教に取り入れられると、仏法の守護神として崇拝された。

歓喜天は、日本では象頭人身の男女2尊が抱き合う双身像が祀(まつ)られることが多い。男天は、大日如来が人々の苦を除いて楽を与えるために姿を現かっ込みかっ込みわした大自在天(だいじざいてん)、女天は、慈悲を施す十一面観音菩薩とされる。天地和合、陰陽2道の根源で、この2尊が一体となった聖天の姿こそが、宇宙の真理である和合を象徴する。性の快楽という世俗的なものと神聖な悟りの融合、すなわち、男女がひとつになることで悟りが開けるというのである。

宝山寺に参拝する人々は、この聖天の霊験(れいげん)によって、夫婦和合や子授け・安産、さらには富貴・福徳の成就を願う。そこには、かつて東山天皇の皇子誕生や6代将軍徳川家宣(とくがわいえのぶ)の嗣子(しし)誕生の祈願で効験(くげん)を現わし、明治の初めまで皇室の勅願寺となっていた宝山寺に対する篤(あつ)い信頼がある。

宝山寺では、開山以来、湛海律師の修法(しゅほう)が受け継がれ、毎日午前2時から、聖天に油を注ぐ浴油供(よくゆく)が欠かすことなく行われる。聖天は秘仏で開扉されることはないが、深夜にもかかわらず、現世利益を願って参拝に訪れる人も多いという。

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