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奈良が発祥!フライビンズ、いかり豆、極豆(by 新大和の食模様 116)

2021年01月21日 | 奈良にこだわる
昨日(2021.1.20)の奈良新聞「新大和の食模様 116」で、「フライビンズ」が紹介されていた。一般的には「いかり豆」としてよく知られる揚げソラマメは、奈良発祥の特産品である。Wikipedia「いかり豆」によると、
※トップ写真は「製造者」が広島市の商品(殻付き)と「販売者」が大阪市の商品(殻なし)

いかり豆は、乾燥させたソラマメを油で揚げた豆菓子である。フライビーンズ、フライビンズとも呼ばれるほか、各地方での呼称もある。

日本豆類基金協会(現:日本豆類協会)が発行する『豆類時報』No.21(2000年12月)に掲載された米山末辰「フライビンズのおいたち」では、いかり豆の発祥地は奈良県で、1935年(昭和10年)ごろに「大和蚕豆(ソラマメ)」として製造を始めたものだとする。一方、奈良県商工労働部商工課によるパンフレット「奈良の特産品」では「フライビンズ」を大和平野の名産品としており、明治後期に奈良市内でソラマメを油で揚げて売り出したのが始まりで、現在ではエンドウやラッカセイなど各種の豆を使用するようになったとしている。

『食品成分表』2015年版では食品名を「フライビーンズ」、別名を「いかり豆」としている。また、全国フライビンズ組合連合会のかつてのウェブサイトでは油で揚げた豆の総称を「フライビンズ」、そのうちソラマメを揚げたものを「いかり豆」としている。全国フライビンズ組合連合会によれば、「いかり豆」は全国的な名称で、関東では「花豆」、九州では「がん豆」・「夏豆」とも呼ばれるほか、地域によっては単に「フライビンズ」とも呼ばれる。

「いかり豆」の名前の由来について、全国フライビンズ組合連合会では、「かつては油で揚げる前にソラマメの皮に十字の切り込みを入れており、揚げたときに皮が十字に広がって、船の錨の形に見えたことから名付けられた」との説を紹介している。


私も検索してみると、『アルス新語辞典』(1930年)に「フライ・ビーンズ 英 frybeans そら豆を油で揚げたもの」という記載があるようだし、織田作之助(1913[大正2年]~1947[昭和22年])の小説「六白金星」に「千日前の停留所前のビヤホールにはいつた。大ジョッキとフライビンズを註文し」云々という記述があるようだ。

発祥が明治後期か昭和10年頃か、いまいちハッキリしないが、奈良が発祥であることは間違いなさそうだ。『豆類時報』No.21(2000年12月)の「フライビンズのおいたち」(全国フライビンズ組合連合会 理事長 米山末辰氏)には、

フライビンズは、奈良県が発祥地で昭和10年頃から大和蚕豆として製造を始めた。大阪府の南河内あたりは一寸豆の産地であった。その関係もあって現在の奈良県のフライビンズが発祥した。当時フライビンズは栄養食品であったが、終戦の為ある程度中断した。終戦後昭和25年頃から又復活した。その当時は食糧難で、農家が裏作として、かなりの量の蚕豆を生産した。フライビンズが高級品として幅広く販売される様になった。

「フライビンズのおいたち」には、その後の業界の紆余曲折が記されていて興味深いのであるが、詳しくはこちら(PDF)をご参照いただきたい。

今回自宅にあったトップ写真のいかり豆はたまたま他府県産だったが、私は祥樂(株式会社植嶋)の「極豆」のファンである。祥樂の近鉄奈良駅店などで販売されている。《昔ながらの丸釜で油を変えながら丁寧にかき混ぜて揚げました。塩味のフライ豆のほか、三色豆、甘フライの3種。皮ごとお召し上がり頂けます。ざくざく食感はクセになる味です》。極豆を製造しているのが、奈良新聞で紹介された榧本商店(奈良市紀寺東口町)のようで、これは思わぬ発見だった。

奈良が発祥のいかり豆、ビールのお伴に、ぜひ!

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