tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「蔵王供正行/第36日 恐るべし!Facebook」

2024年05月16日 | 田中利典師曰く
久々に「田中利典師曰く」をお届けする。今回は〈蔵王供正行36日目 「フェイスブック恐るべし…」〉(師のブログ2015.6.5 付)である。師はお行の間もSNS(ブログとFB)での情報発信は継続されており、それを見て来られる参拝者も多い。このような発信は、やはり必要なのである。では、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)

「フェイスブック恐るべし…」
蔵王供正行36日目(6月5日)。雨。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第71座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂 
9時、第72座目蔵王権現供養法修法    於脳天堂
10時10分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
14時、法楽勤行             於本堂

参拝者3名。村岡町(兵庫県美方郡香美町村岡区)から吉川さんご家族が来山。護摩に随喜していただく。

****************

「フェイスブック恐るべし…」
何度か書いたが、今回4月28日の前行入行、そして5月1日の正行以来、天気が続いていた。今月3日と昨日は朝から雨だったが、夕方には晴れ間が出たりして、丸一日雨という日がほとんどなかった。今日の雨はほんとに、梅雨らしい雨となった。

22年前の千座護摩がものすごい雨の多い修行で、雨害のため、タイ米を緊急輸入する事態が起きたほど悪天候だっただけに、今回の天気周りの良さは予想外である。

さて今日はそんな足元の悪い中、私の全日本仏教青年会での副理事長時代に、大樹理事長のもとで事務局長を務めたおられた吉川さんが、行見舞いにご家族で来山された。実はフェイスブックのイベント招待でご案内したので、わざわざ村岡町からお尋ねいただいたのだ。

こうしてみると、フェイスブック恐るべしで、ほかにもフェイスブックがらみで、おいでいただいた方が何人かいる。あいかわらず、自坊の信者さんのお参りはからきしだが、それだけにフェイスブックの力の大きさを感じる。

今回、修行に入るので、SNSは封じようかとも思ったが、田舎の寺でこれから活動していくのに、情報発信をおこなうツールを手放すのは少々躊躇した。第一、祈祷申し込みやお札発送の事務作業をしながらの修行なので、通常のように、「諸縁を絶つ」というような形では行が出来ない。

「山の行より里の行」と謳っての修行だし、諸縁の中で行じさせていただいているので、最小限のFBやブログ発信は続けさせていただいた。

そのお蔭で、今日も又、お参りいただくことが出来た。吉川さんは但馬・村岡町の天台宗寺院のご住職だが、おなじ山陰地方とはいえ、但馬と丹波の交流は少ない。全日仏青から、すでに10数年が過ぎているが、有り難いご縁がSNSで繋がったのである。
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おしゃれで新鮮!創作肉料理「肉の條」(奈良市西木辻町)

2024年05月15日 | グルメガイド
東京と奈良を股にかけて仕事をされているNさんにお誘いいただき、創作肉料理の「肉の條」(奈良市西木辻町63-7 NKビル1階)を訪ねた。Nさんの行きつけの店だそうで、とてもシックでおしゃれな店だった、もちろん味もいい。


大将の西條和明さん。西條さんのお肉屋さんなので、「肉の條」なのだ!



訪ねたのは3月(2024.3.19)だったが、そのあとでスマホが壊れ、保存していた料理名や値段などのデータが、消えてしまった。デジカメで撮っていた写真データは残っているので、遅ればせながら記憶を頼りに紹介したい(お店の公式インスタグラムは、こちら)。このお店は、「奈良グルメ図鑑」でも紹介されていた。引用すると、


「チョギレサラダ」650円


「えだまめの炭火焼き」400円


「どて焼き」750円。東京モンのNさんがどて焼きがお好きとは、少し意外だった!

橿原の人気焼肉店 三日月や中華料理店で修行された店主が独立、両方の経験からいただけるのは肉料理と中華料理のハイブリッド。他ではないオリジナルメニューもいろいろ。


赤身肉の炭火焼き


「肉の條特製チンジャオ巻き」1,980円

場所はJR奈良駅から徒歩10分ほど、駐車場もあるので車でも行きやすい。店内はテーブル席2卓とカウンター、10名以上で貸し切りも可。


「テッチャン塩焼き」990円


「上海風焼きそば」1,100円


「肉條天津飯」1,200円

焼肉以外に、中華風、韓国風のメニューがあって、これは面白い。材料が吟味されているので、どれもこれも、おいしく平らげた。食べたいメニューがまだたくさんあるので、またNさんと訪ねたい。大将、ごちそうさまでした、皆さんも、ぜひお訪ねください!
※食べログは、こちら
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やめられない、とまらない「パスタ デ ポン」(パスタのポン菓子)

2024年05月14日 | グルメガイド
めずらしいものをいただいた。その名は「PASTA de PON」。簡単にいうと、「ガレッツ」と呼ばれるシェル(貝殻)型パスタ(マカロニ)のポン菓子である。シンコー食産(生駒郡斑鳩町竜田南1-4-31)の製品で、何種類かあるうちの「抹茶味(吉野葛入り)」をいただいた。ほどよい甘さと香ばしさ、サクサクした歯ざわりが、とてもいい(シンコー食産が運営する店舗「サクッとカフェ」のサイトは、こちら)。


これがガレッツ(スペインからの輸入品)、写真はグランジャポンのサイトから拝借



お米がポン菓子にできるのなら、小麦や小麦粉製品もポン菓子にできるのは道理だが、これを思いつき、いろんな味をつけたところがいい。私はよく「グラノーラ」を肴にして、ワインやハイボールに合わせることがあるが、食感は「パスタ デ ポン」がまさる。こんなおいしいものをくださったDJのSさん、ありがとうございました!



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「田原総一朗さん お辞めになっては?」(毎日新聞「特集ワイド」)

2024年05月13日 | 日々是雑感
毎日新聞夕刊(2024.5.7付)に〈卒寿・田原総一朗さん お辞めになっては? 「傲慢」反省でも直言はやめぬ〉という見出しの大きな記事が出ていた。確かに田原総一朗さんは少し耳が遠くなり、議論がかみ合わないシーンが多くなった。頑固さも増している。

しかしご本人はやる気十分だし、この記事も過激な見出しのわりには、最後は〈傲慢に堕することなく、まだまだ元気にジャーナリストとして走り続けてほしい〉で締めくくっている。私は以前、書評を書いたことへのお礼状も、いただいたことがある。皆さんは記事全文をお読みいただき、ご判断いただきたい。

卒寿・田原総一朗さん お辞めになっては? 「傲慢」反省でも直言はやめぬ
評判がよろしくない。ジャーナリスト、田原総一朗さんである。「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)でおなじみだが、傲慢にも映るその司会進行ぶりに批判が集まっているのだ。人間は引き際が肝心。もうお辞めになっては? 4月に卒寿を迎えた田原さんに会いに行った。

田原さんは常連である。 何の? メディアの「辞めてほしい司会者」アンケートである。「フラッシュ」電子版(2月2日)の「早く辞めたほうがいいと思う大物司会者」で、あるいは「女性自身」電子版(昨年12月8日)の同様の調査でも上位に名前を連ねてしまった。理由は「朝生」の司会ぶりにあるようだ。

昨年10月20日の放送では、国民民主党代表の玉木雄一郎氏の話をさえぎり「黙れ!」と怒鳴り、視聴者から大ブーイング。今年2月23日には、企業献金を問題視した共産党の山添拓参院議員に「共産党は企業は敵だと思っている」と決めつけ、これまた批判にさらされた。
番組を盛り上げる田原さんの「芸風」ではあるのだろうが、最近のあれこれ、さすがにあんまりでは?

「炎上は大歓迎ですよ。番組のプロデューサーにもそう言っている。世論に意識されるほうが無視されるよりよほどいい。ですが……」「黙れ!」と怒鳴られるかと思いきや、田原さん、意外に殊勝である。

「『朝生』は深夜の番組でしょう。深夜は相当に刺激が強くないと視聴率は取れない。刺激が強いというのは何か。今の常識をひっくり返すこと。政府の言っていることでもひっくり返してケンカする。そういうところからスタートした。パネリストには本音を言わせ、ウソや中途半端な釈明は許さない、という原則を自らに課したんだ」

相手の発言をさえぎって問いただすのもそのためのパフォーマンスということだが、「ただ(怒鳴ったり「傲慢だ」といった批判は)、その点は深く反省しなければならないです」とも。

だが、田原さんの「反省」はこれまでもあった。例えば「サンデープロジェクト」(同、1989~2010年)の打ち切りである。卒寿を機に出した新著「全身ジャーナリスト」(集英社新書)で、真相の一端を初めて明かした。田原さんの司会のもと、多くの権力者を追及し、時に首相を退陣に追いやった討論番組である。著書には「傲慢になりすぎた」とある。どういうことか。

田原さんは「僕が政府批判をがんがんやる。『テレビ朝日首脳部が田原を管理できなくなった。だから番組をやめてほしい』と言われました」と述懐するが、傍らにいた三女でマネジャー役を務める和田真理さんは「それはパパに配慮して『良く』言ってくれているのであって、実情は違う」と解説する。

「自分が番組を、いや日本を動かしている、という感覚があったんです。番組スタッフにもすごく横柄でね。何か気に入らないことがあると『それなら俺は出ない!』とか。一体、何を考えていたんでしょうね、と思うぐらい傲慢だった」(和田さん)

実の娘による厳しい田原評である。テレ朝がというより、現場サイドが田原さんに不信感を抱いた、ということか。「サンプロ」に出演していたジャーナリスト、高野孟さんによると「出演者を呼んでおいて、『黙れ』とか『帰れ』とか狼藉(ろうぜき)じみたことが何回かあった」という。

田原さんは「確かに傲慢になっていた。スタッフとの信頼関係は何より大切だ、と痛感した。番組打ち切りは本当に挫折でした」と反省しきりだが、あれから十数年、「傲慢」という印象はあまり変わっていないのは、冒頭のアンケートなどからうかがえる。

著書に詳しいが、田原さんはテレビに出るようになってから、スタジオ外でも政治家らと頻繁に会うようになった。歴代首相の「指南役」でもある。毎日新聞の「首相日々」を見ると、岸田文雄首相にすでに7回会っている。

「ジャーナリストなのに権力の側に回った」と見る向きもある。そのあたりも「傲慢」の一因では?

「そうじゃない。先日も森喜朗、小泉純一郎の両元首相、中川秀直元官房長官と食事をしました。2、3カ月に1度、彼らとは会っている。与野党の幹部とも、公私ともに会います。テレビで時の首相や政治家を批判したり、追及したりするだけでは、日本は良くならない。僕のジャーナリズムは、三つの柱がある」

いわく「再び日本に戦争をさせない」「言論・表現の自由を守り抜く」「野党を強くして民主主義を強固にする」――という。 「戦争をしないためにどうすればいいか、ジャーナリストとして積み重ねた知見を首相に伝える。あるいは言論の自由を守るため、メディアに圧力をかけようとする自民党や政府要人にも会う。そして野党幹部とも会い、野党を強くするために何をすべきかを話す。私心はない」

著書にはあまたの政局で演じた自身の立ち回りもつづられている。亡き安倍晋三元首相に菅義偉氏を次期首相に推し、これに安倍氏が同意した、ともある。実は安倍政権時代の20年7月に田原さんに取材した時、「超オフレコだが、次の首相はもう決まっている。菅さんだ」と聞かされ、2カ月後に実現したことに驚いたことがある。

「政権批判をやめて政権擁護に転じたわけではない。この国を良くしたい。そのために首相や要人に進言する。それに尽きます」

「朝生で死ぬのが夢」
90歳である。耳も遠くなった。物忘れも増えているらしい。本人も自覚している。何度か田原さんにお会いしているが、そのたびに名刺をいただく。手元を調べたら、とりあえず4枚出てきた。

「何年か前に補聴器を使い始めてね。昔はちょっと抵抗があったんだけど、知人の鳥越俊太郎さん(ジャーナリスト)から『ジャーナリストなんだから話が聞こえたほうがいい。自分も入れている』とすすめられた」という。

だがそれでも最近の「朝生」では受け答えがかみ合わない場面もちらほら。「老害」なんて悪口もある。そろそろ隠居生活はいかが?「いや。ジャーナリストは生涯続く仕事だからね。老いた身でないと分からない、見えないこともある。こういうジャーナリストがいてもいいんじゃない? 朝生の途中で死ぬのが僕の夢だから」

48年前のテレビ東京ディレクター時代、若き田原さんが医学専門誌「心と社会」に寄稿した一文を見つけた。所用でNHKを訪れたら、ガードマンに冷たくあしらわれ、「NHKのバッジをつけている人間以外は良識を持っているはずがない、と思い込んでいるよう」とつづり、「大NHKの傲慢さ」に激しく怒っていた。傲慢に堕することなく、まだまだ元気にジャーナリストとして走り続けてほしい。【吉井理記】


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鬱蒼と茂る森の中に巨岩と拝殿 岩尾神社(山添村吉田)

2024年05月12日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.5.9)掲載されたのは〈奇岩続く景勝 ご神体も石/岩尾神社(山添村)〉、執筆されたのは、同会会員で奈良市在住の藤井哲子さんだった。この日、藤井さんは奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」の推しナラコーナーで、「奈良でジャズ」をテーマにお話しされていた。
※トップ写真は、岩尾神社拝殿と神体石=山添村で

今回の岩尾神社は、おそらく巌(いわお)神社なのだろう。拝殿の後ろに横たわる神体石を、うまく写真に収められている。山添村はミステリアスな村で、私も以前、2泊3日で村を訪ね、「巨石めぐり」「神社めぐり」「お寺めぐり」という3本のブログ記事を書いたことがある。では、記事全文を紹介する。

岩尾神社(山添村)奇岩続く景勝 ご神体も石
三重県との県境に位置する山添村。県道80号(奈良名張線)から里道を数百㍍入った村の東部が、岩尾神社のある吉田集落です。東方を流れているのが名張川で、集落の辺りは奇岩、奇石が続く景勝地です。

集落の中央部、鬱蒼(うっそう)と大樹が茂る山の中に、岩尾神社が鎮座します。鳥居をくぐると石段が続き、左には丸みをおびた灯籠(とうろう)、そこから起伏に富んだ里の風景が見渡せます。石段を登りきった場所に拝殿があり、木々に守り包まれた台地の空間が広がります。

祭神は岩尾大神で、拝殿のすぐ背後に、ご神体の巨大な2個の自然石を拝することができます。二つの巨石の間には祠(ほこら)が設けられ、岩尾大神が祭られています。昔この地に神が降臨した際、神がたすき掛けで石を背負ってきた名残と伝わる紐(ひも)のような跡が、くっきりと刻まれています。

神体石を含め周辺の箪笥(たんす)、長持、葛石(つづらいし)、鏡台と名付けられた石や、馬の蹄跡(ていせき)のある石は、村の史跡に指定されています。

時おり、わずかな隙間(すきま)から木漏れ日が注ぐと、まるで古代の風景が照らし出されたかのようです。神体石の足元は、かつての「石売り行事」で子どもたちが河原で拾ってきた小石などで、敷き詰められています(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)

(住 所)山添村吉田
(祭 神)岩尾大神
(文化財)巨石は村指定史跡
(交 通)県道奈良名張線道標から里道を数百㍍
(駐車場)なし
(電 話)山添村観光協会 0743-85-0081


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