tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

山峯の龍神さまを祭る室生龍穴神社(宇陀市室生)

2024年05月11日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。月初(2024.5.2)に掲載されたのは〈雨乞いの龍神祭る古社/室生龍穴神社(宇陀市)〉、執筆されたのは同会副理事長で宇陀市にお住まいの松浦文子さんだった。室生龍穴神社のこ祭神は高龗神(たかおかみのかみ=高龗)だ。日本国語大辞典「高龗」によると、
※トップ写真は、室生龍穴神社本殿=宇陀市で

(「たか(高)」は「くら(闇)」に対する語で、山峰を意味し、「龗」は水をつかさどる蛇体の神のこと)「日本書紀」一書に見える神。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がその子軻遇突智(かぐつち)を斬った時に、雷神・山神とともに出生した神。水をつかさどる神として、闇龗(くらおかみ)とともに、祈雨・止雨の信仰を受けた。たかおかみのかみ。

丹生川上神社上社(川上村)も、この神さまをお祭りしている。では、以下に全文を紹介する。

室生龍穴神社(宇陀市)雨乞いの龍神祭る古社
室生龍穴(むろうりゅうけつ)神社は、雨乞いの神として知られる高龗神(たかおかみのかみ)を祭る古社です。神社の背後の岩窟(がんくつ)を、龍神のすむ「龍穴」として祭ったことを起源としています。

この龍神は、もともと奈良の興福寺の猿沢池にすんでいました。ところが奈良時代、帝の寵愛が薄れたことを悲しんだ采女(うねめ)が池に身投げしました。この穢(けが)れを嫌った龍神は、春日山の奥に潜み、さらに室生にやって来たと伝わります。

現在この岩窟は「妙吉祥(みょうきっしょう)龍穴」と呼ばれます。龍穴の前には清水が蛇行した龍のように流れ、厳かな雰囲気が漂います。

本殿は一間社春日造り(正面の柱間が一つの切妻屋根で、棟と直角な面に入口がある様式)で、奈良の春日大社若宮社の旧社殿が江戸時代の1671(寛文11)年に移築されたものです。県の文化財に指定されています。

拝殿は、徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院の援助を受け、室生寺の般若堂を移築したものと伝わります。拝殿の正面には「善如龍王(ぜんにょりゅうおう)社」の扁額がかかっています。かつては龍の神様「善如龍王」を祭り、この神社のことを「龍王社」と呼んでいました。

秋祭りには黒と赤のたてがみの二頭(ふたかしら)の獅子が、鈴や剣を持って神楽を勇壮に奉納します。(奈良まほろばソムリエの会副理事長 松浦文子)

(住 所)宇陀市室生1297
(祭 神)高龗神
(文化財)本殿は県指定文化財
(交 通)近鉄・室生口大野駅からバス「室生龍穴神社」下車すぐ
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)0745・93・2177 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀州のワイルドな「柿の葉ずし」

2024年05月10日 | グルメガイド
一昨日(2024.5.8)、小・中学校の同級生から、柿の葉ずしが届いた(10個入りを2箱も)。福本商店(和歌山県伊都郡かつらぎ町広口)の商品だった。

早速いただいたところ、酢がよく利いていてサバもサケも身の厚い、紀州らしくワイルドな柿の葉ずしだった、これはうまい!福本商店の柿の葉ずしは、機械を使わず「完全手作り」なのだそうだ。お店の周辺は、四郷(しごう)という串柿の里である。同町のHPによると、



串柿の里 四郷(広口・滝・東谷・平)地区は、400年前から串柿の特産地として長い歴史と伝統を育んできた。串柿は1本の細い竹串に10個の干し柿をさしたもので、三種の神器の一つである剣に見立てている。


この写真は、かつらぎ町のHPから拝借

11月初旬、家族総出で皮をむき、柿をすだれ状に組み立てる作業が続く。家々の軒先や長い柿屋(干場)に吊るしている様子は、錦秋の自然景観と調和し、あかね色の串柿は玉のれんのようで、晩秋の風物詩として、訪れる人々を楽しませる。

ずいぶん以前に何度か、母の車で連れて行ってもらったが、串柿がずらりと並んで干されている様子は、圧巻である。近くには、「道の駅くしがきの里」もオープンしている。


密封されて届いたので、葉の表面が汗をかいていた!

柿の葉ずしは、熊野で獲れた塩鯖を吉野で売り、それを住民が祭り食(行事食)として作るようになって定着した、とよく言われるが、和歌山県北部の紀の川流域(かつらぎ町、九度山町、橋本市など)でも作るし、奈良県では御所市でも作るので、私は紀の川(吉野川)を遡ってサバを売りに来たものだと思っている。



昨日(5/9)、奈良シニア大学の授業で「奈良の食」の話をした。授業が終わってから、東吉野村のご出身の2人の女性が、「ウチでは朴の葉ずしを作っていました。葉が大きいので、形は正方形になります」「ウチでは大きくて細長い朴の葉にくるみ、食べるときに包丁でカットしていました」というお話をうかがった。

紀州と大和の郷土食・柿の葉ずし、これからも子々孫々に伝えていってほしいものだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポロのマレット(ホッケーのスティック)が、高松塚古墳壁画に!

2024年05月09日 | 奈良にこだわる
昨日の奈良新聞(2024.5.8付)の1面トップに、〈高松塚古墳壁画・西壁男子群像の“杖” 「ポロ」のマレット? 橿考研の中村氏「唐の壁画と共通点」史資料検討し独自見解〉という大きな記事が出ていた。
※トップ写真は、高松塚古墳壁画の西壁男子群像。奈良新聞の記事サイトから拝借

高松塚古墳壁画に描かれている杖は、ポロで使う「マレット」(スティック)ではないか、という新説を中村健太郎さんが発表したというのだ。これは興味深い説である。記事に出てくる「打毬(だきゅう)」は、NHK大河ドラマ「光る君へ」(第7回)にも登場していた。NHKのサイトには、

打毬は、毬杖(きゅうじょう)といわれる棒状のもので毬(たま)をゴールに投げ込む団体競技です。紀元前6世紀のペルシャを起源とし、馬上で行うものと徒歩で行なうものの2種があって前者はポロ、後者はホッケーのようなイメージです。例えば白と赤とか、青と緑というような2つのチームに分かれて競い合うんです。


全日本ホッケー選手権大会 南都銀行(黒)VS天理大学(赤)戦(2011.5.22)

壁画には馬も描かれていないので、奈良新聞の記事で中村さんは「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と書いているので、これはまさに「ホッケー」のイメージだ。平城京や平安京で行われていた打毬が、飛鳥時代の壁画に描かれ、それを奈良の社会人チームが引き継いでいるというのは、面白い。以下、記事全文を貼り付けておく。


平城遷都1300年祭では南都銀行女子ホッケー部員により、打毬が再現された(2010.5.3)

奈良県明日香村の国宝・高松塚古墳壁画(7世紀末~8世紀初め)の西壁男子群像が手にする杖状の持ち物は、ポロのマレット(スティック)ではないか―。中国・唐や中央アジアの壁画と史資料を検討し、そんな説を県立橿原考古学研究所(橿考研)の中村健太郎主任企画員(中央ユーラシア史)が発表した。これまでマレットとみる見解もあったが、証拠を示して論じたのは初めて。

高松塚古墳壁画の西壁男子群像のうち右端の人物は、先端がL字型をした杖状の持ち物を手にする。従来は権力を象徴する威儀具とみるのが通説となっていた。

中村さんは近年発掘調査が進む唐の壁画に描かれた、男女の従者の棒状持ち物を調査。男子はポロの毬杖(きゅうじょう=マレット)、女性はT字型やU字型の杖と描き分けていることが分かった。唐時代の出土遺物も調べた結果、毬杖はL字型で高松塚壁画と共通し、中村さんは「高松塚壁画の持ち物もマレットと判断できる」と話す。

ポロは馬に乗って行う団体球技。ペルシャ発祥で中央アジアを経て唐や日本へ伝わったとされる。中村さんは中央アジアの壁画や中国の史料から、唐には7世紀後半以降、当時商人として活躍したペルシャ系のソグド人らによって伝えたられたと指摘する。

日本では平安時代初期(9世紀前半)にポロが行われた記録があり、5月の端午の節句に行う宮中の年中行事や、外交儀礼で天皇らが権勢や栄華を誇り実施した。それ以前の飛鳥―奈良時代には、万葉集に「打毬之楽」の表現があり、平城宮跡(奈良市)ではポロに用いたと考えられる「木球」も出土。ただ日本書紀や続日本紀などの正史には記録がなく、中村さんは「当時は唐から伝わった最先端の娯楽として皇族・貴族が私的に興じたのではないか」とみる。

さらに高松塚壁画のマレットはやや短く、馬も描かれていないため、「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と語る。唐では徒歩で競技する場合もあったという。

中村さんは3月20日、橿考研で開かれた講演会「高松塚古墳壁画の系譜―東西交流の視点から―」で説を発表した。「高松塚壁画の研究は国内にとどめず大陸に目を向けることで新たな境地が開けるのではないか。今回の研究はその問題提起になれば」と期待する。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「書店ゼロ」の自治体が約3割、奈良県では約5割も!

2024年05月08日 | 日々是雑感
先週の奈良新聞(2024.5.1付)に、〈書店ゼロ自治体は27% 奈良など3県は過半 人口減や通販普及で〉という記事が載っていた。2年前の調査と比べても、26.2%→27.7%と、1.5%ポイントも増えている。

私も書店のない田舎町で育ったので、書店のない不便さはよく分かる(独立した「図書館」もなかった)。小学校高学年になると、自転車で隣町の書店に行くこともできたが、慣れていないので書棚の前で立ち尽くすしかなかった。大学に入って大型書店に気軽に入れるようになって、その有り難みがよく分かった。ふらりと立ち寄り、表紙や背文字を見ているだけでも、いろんな情報が伝わってくる。

奈良県では、51.3%の市町村で「書店ゼロ」だ。記事中には〈地域の書店が担う文化発信機能の弱体化が懸念される〉とあるが、書店がなければ、「文化」に触れる機会が失われていると言える。学校の図書室だけでは、その機能は補完できないのである。またネット通販では、中身をよく知らずに買うので、外れが多い。これは何とかしなければ…。

書店ゼロ自治体は27% 奈良など3県は過半 人口減や通販普及で
全国1741市区町村のうち、書店が1店舗もない自治体が今年3月時点で482市町村に増え、全体の27.7%に上ることが出版文化産業振興財団の調査で分かった。

人口減少やインターネット通販の普及を背景に書店の数自体が減り、沖縄(56.1%)、長野(53.2%)、奈良(51.3%)の3県で書店ゼロの市町村が過半を占めた。政府は書店の支援に乗り出すが、特効薬は見当たらず、地道な取り組みが求められそうだ。

書店ゼロの自治体は初めて調査した前回2022年9月の456市町村(全体の26.2%)から拡大し、地域の書店が担う文化発信機能の弱体化が懸念される状況が浮かび上がった。

集計対象は取次会社と販売契約を結んでいる実店舗をベースとし、ネット書店や大学生協、古書店は含まれていない。全国の書店数は7973店で、前回調査に比べ609店減少した。書店が1店舗あるだけで「無書店予備軍」ともいえる市町村は343に上り、書店ゼロと合わせた比率は計47.4%に達した。

書店ゼロの自治体比率は地域によって差が大きく、広島と香川の2県は前回、今回調査とも全自治体に書店が確認された。過疎化が進む小規模の自治体ほど書店ゼロの比率が高い傾向がうかがわれ、書店ゼロの市は25(全体の3.2%)、町は295(39.7%)、村は162(88.5%)だった。東京23区は全区に書店が立地していた。

財団の松木修一専務理事は書店の経営環境について「売り上げが上がらないのに、人件費など経費は上昇して厳しさが増している」と指摘。「出版社や作家と連携して書店の魅力を高め、来店客を増やす努力が求められている」と語る。

経済産業省は書店振興に向けたプロジェクトチームを3月に設置した。具体的な支援策の検討を今後加速させる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔懐かしい町中華「ミスター博(ポヲ)」JR五条駅前 商栄会通り/昭和レトロ食堂(51)

2024年05月07日 | グルメガイド
こどもの日(2024.5.5)、会社の先輩だったFさんと2人で、JR五条駅前・商栄会通りにある中華の老舗「ミスター博(ポヲ)」を訪ねた。このお店は、「ラーメン大好き中田さん」として知られる動画クリエイターの中田さんに教えていただいた店である。


これと次の写真は、「奈良グルメ図鑑」から拝借した(うっかり撮り忘れたので)

なお「商栄会通り」(駅前商店街)は、駅から続く道だが、一方通行なので、駅からは車で行けないので(南から北への一方通行)、ご注意を。駐車場は、お店の少し北(商栄会通り沿い)にある。「奈良グルメ図鑑」に、このお店が紹介されていた。掲載日が5/5(日)なので、私より少し早くお訪ねになったようだ。



五条駅から徒歩5分(車だと一方通行なので注意)家族経営の町中華。昭和感あふれる店内は中華でよくある赤い円卓が2つとカウンター。炒飯が人気で、単品はもちろん、定食のライスを炒飯に変更できたり、半炒飯が付いたセットは普通サイズにできたりする。



炒飯(普通サイズ)はしっとり系、味がしっかり付いた昔ながらの味。酢豚と炒飯、ラーメン、唐揚げが半人前ずつ、いろんな味が少しずつ楽しめるお得なセット。料理はリーズナブル、カウンターで常連が、瓶ビールで一杯飲っているような庶民的な店。



Fさんは「炒飯ラーメンセット」(税込み940円、以下同じ)を注文。私にも分けてくださった。「奈良グルメ図鑑」にあるとおり、炒飯は抜群の味だ。そんなに変った味がするのではないが、「王道の炒飯」と言っていい。ラーメンも、素直でおいしい。



お店の創業は昭和46年(1971年)だそうなので、今年で53年。代が替わり、先代の息子さんとお母さん(先代の奥さん)が、店を切り盛りしている。「ポヲ(博)は中国語ですが、ご出身は中国なのですか?」とお聞きすると、「いえ、先代が台湾人に料理を教えてもらったのですよ」。なるほど。



私は変化球を期待して、「天津丼」(=天津飯 640円)と「ピリット辛い ねぎラーメン」(620円)を注文。天津丼は、シッカリした味付けで、これもおいしい。



「辛めでお願いします」と注文したねぎラーメンは、唐辛子をまぶした白髪ネギ(白ネギの細切り)がたっぷり載っていて、辛さがたまらない。白髪ネギの分量で、辛さを調節しているのだ。

大の大人が2人で満腹になるまで食べて、お勘定は、わずか2,200円。「安すぎる、計算間違いでは?」と検算したが、間違っていなかった。今度来るときは、「特大炒飯」(940円 本来は家族でのシェア用)に挑戦したい。ああ、おいしかった。皆さんも、ぜひお訪ねください!水曜日は定休日ですので、ご注意を。
※食べログは、こちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする