エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

思い出のチドリソウ

2008-07-01 | 日々の生活
              【義父を思い出すチドリソウ】

 なみだ落ちて 懐かしむかも数葉の 写真の中の 穏やかな人

庭のチドリソウがようやく花を咲かせ始めた。
 私の書斎には、アゲハチョウがチドリソウに吸密している写真が掛けてある。私には、チドリソウはなぜか義父を思い出すさわやかな7月の花である。

 義父が突然逝ってから、この7月で14年になる。チドリソウをながめながら、みんなが若くて元気だったあの頃の夏がふと思い出された。
 紫色、薄いブルー、ピンク、ピンクに紺色の斑が入った花びら、妻の実家にさわやかに咲くチドリソウが目に浮かんできた。

 子どもたちがまだ小さい頃、毎夏訪れた信州の妻の実家からは、いろいろな草花を何時も土の付いたままいただいてきた。オイランソウやシモツケなどの宿根は庭で増えた。一年草のサンジソウも毎年咲くがチドリソウが咲いたことはなかった。 今年は何年も前にもらってきたチドリソウの種を蒔いたら、庭のあちこちから芽を出し、ようやく花を付けるまでに育った。来年からは今咲くチドリソウのこぼれ種子から毎年花を咲かせてくれるだろうと期待している。


******  思い出のエッセイ *******

『義父の一周忌「元気」と報告』

 梅雨の最中、義父の一周忌に信州の実家を訪ねた。あれから一年、庭にはいつもと変わりなくチドリ草が咲き乱れ、ナミアゲハが密を吸っている。スズメがさえずり、空の雲が静かに流れゆく。父がいない事実以外に、何も変わってはいない。
 読経の中、目を閉じて故人との思い出に浸る。故人が召集し一堂に会した親類それぞれの心を思った。元気でがんばっていると報告しながら焼香した。お焼香の鐘の響きがいつまでも心に残った。
 妻の実家で父の大好きな酒を酌み交わすことが私の楽しみだった。叔父や叔母と再会、この談笑の場に父がいないことが寂しい。
 翌日もお墓に詣で、お別れをし帰路についた。離れているため、残りし母との別れがいつもせつない。いつまでも手を振る母の姿がバックミラーに見える。
 今家に戻り、しとしと降る雨の庭に目をやりぼんやりしている。明日からがんばれと父の声が聞こえる。忘れていた心を取り戻す小旅行となった。 (1995.7)