【流れる水(日橋川の流れ)】
このほど、玄侑宗久氏のHPで「行雲流水」について説いたエッセイを読んだ。
『「諸行は無常なり、とお釈迦さまはとらえました。では、どう生きればいいのか、と言えば、「雲や水のごとくに」です。 ・・・ つまり、「行雲流水」は生き方の提案なんです。・・・・「行雲流水」とは、一言で言えば「自由」・・・どんな状況にも完全に応じられること。それが、「行雲流水」ということです。・・・』
「行雲流水」という言葉を知ったのは何年前だったろうか。禅の説く生き方を求めていた頃だろう。気に入って何度か板書して生徒に我が人生論を説いたこともあった。
「行雲流水」は 雲や水の流れのように、自然に身を任せ、物事に拘泥しない生き方や行動をすること。空の雲と、川の流れを結びつけた禅の心を思った。
「よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ浮かびて・・・」を思い浮かべた。 「行雲流水」は、世の無常をも表わした語でもある。また、良寛の「騰々任天真」や老子の「足を知る」、さらに加島祥造の「求めない」にも通じる心を思った。
空を見上げ、しばし流れる雲を見る。白い雲が消えては湧き、湧いては消え、全体がゆったりと流れていく。立ち止まり、その永遠の流れの一瞬間を切り取って、我が人生を思う。流れ到った道、これからの生き方を巡らせた。止まらず過ぎゆく永遠の流れはおおらかだ。
【行く雲】
このほど、玄侑宗久氏のHPで「行雲流水」について説いたエッセイを読んだ。
『「諸行は無常なり、とお釈迦さまはとらえました。では、どう生きればいいのか、と言えば、「雲や水のごとくに」です。 ・・・ つまり、「行雲流水」は生き方の提案なんです。・・・・「行雲流水」とは、一言で言えば「自由」・・・どんな状況にも完全に応じられること。それが、「行雲流水」ということです。・・・』
「行雲流水」という言葉を知ったのは何年前だったろうか。禅の説く生き方を求めていた頃だろう。気に入って何度か板書して生徒に我が人生論を説いたこともあった。
「行雲流水」は 雲や水の流れのように、自然に身を任せ、物事に拘泥しない生き方や行動をすること。空の雲と、川の流れを結びつけた禅の心を思った。
「よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ浮かびて・・・」を思い浮かべた。 「行雲流水」は、世の無常をも表わした語でもある。また、良寛の「騰々任天真」や老子の「足を知る」、さらに加島祥造の「求めない」にも通じる心を思った。
空を見上げ、しばし流れる雲を見る。白い雲が消えては湧き、湧いては消え、全体がゆったりと流れていく。立ち止まり、その永遠の流れの一瞬間を切り取って、我が人生を思う。流れ到った道、これからの生き方を巡らせた。止まらず過ぎゆく永遠の流れはおおらかだ。
【行く雲】