エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

「徳一を学ぶ」から「徳一に学ぶ」へ

2013-03-23 | 文芸

 

 湯川村公民館に《徳一菩薩を語る特別講演会》を聴きに行った。

講師は薬師寺の長臈 松久保秀胤氏、演題は『徳一(徳溢)菩薩は大悲闡堤菩薩』。

松久保長臈は唯識の第一人者、ご著書の「唯識初歩」からも難しい話かと思いつつも、先月、蓼科の徳一さんからこの講演会の案内をいただいていたこともあり、

また松久保長臈の人となりに触れてみたい思いもあり参加した。

 


  今日の話の内容は、
1.出自 2.僧歴 3.東国入国の時期 4.生涯の行歴 5.徳一菩薩の教相と修行6.徳一菩薩の界繋  7.徳一の和歌

 レジュメの難解な仏教用語で理解できないところもあったが、かみ砕いての丁寧な、わかりやすい徳一像を話していただいたと思う。

(メモから)=====================================
   ● こんないなかになぜ来たのか。ここに、徳一の考え方の中心がある。
   ● この地で、どんな気持ちで、どんな生活をしていたのか。
      仏道の三学(戒行、定行、慧行)に徹する生活だった。
              ・殺生をしない   最澄は徳一を「麁祖食者」と誹謗
       ・磐梯修験は大きな業績 
       ・唯識: 認識→価値観が決まる 今日ほど求められているときはない。
   ● 徳一の仏性論     断善根闡堤ではない、大悲闡堤
        生きるものすべてが菩薩になるまでは自分はならないと宣言
   ●  徳一の短歌を知る
    「縁あらば吾また来む世は磐梯(イワハシ)の山のふもとの清水の寺」
                    (清水の寺は慧日寺の最初の寺名)
         生涯この地を清らかにと願った〈徳一の心〉をしみじみと偲んだ。
   ●  人間のあるべき姿を示した徳一
   ●  大天災に精神復興でありたい。    
   ● 欲界穢土だけれど、私が清らかなら、まわりもすべてが清らかと思う。
           ======================================

 蓼科の徳一さんとは、昨年の早春、勝常寺の徳一座像前での『意味ある偶然の出会い』から始まった。
 ・拙ブログ【「勝常寺、慧日寺に徳一を尋ねる」(2012.4.2)】
           http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/4a2af7fb6e354c9557b9994b58c6cafc
  その後、手紙での交誼をいただいていたが、きのうは、遠路、この講演を聴きに奥様と孫さんと来られ、拙宅へ寄られた。

我が「徳一」と「信州」との共通項での出会いとなった方、ありがたい、あまりの偶然の出会いだった。

 昨年末には「徳一菩薩シンポジューム(坂下大会)」に出席した。
     ・拙ブログ【「徳一菩薩シンポジューム」(2012.12.23)】
           http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/a21e068b3a69fb7f16f2fdc30fce2f6d
 そのときの講師は薬師寺の次氏、今回は松久保長臈、かつて修学旅行引率で何度も訪れた薬師寺だったが、当時は法相宗の大本山との認識はなかった。

シンポジュームの主催は「徳一菩薩に学ぶ会」で、仏都会津の祖・徳一菩薩を顕彰し、地域の活性化を目指して設立された。

 今日の主催は「徳一菩薩研学敷衍の会」で、会の目的には、「会津仏教文化の礎を築いた「徳一菩薩」に関する調査・研究し、

その普及、及び伝承することにより、地域の活性化並び会津地方の発展に資する」とある。

 期せずして「徳一」を見つめるグループ2つが組織された意味を考えた。今こそ大切な人物像を掘り下げる意義を思った。

 いずれにしても、1200年前、会津に骨を埋めた徳一菩薩の徳を正しく見つめたいと思っている。

そして、これを機に、難しくて敬遠していた唯識についても、少し前向きに学びたいと思った。

 今(徳一学ぶ)域だろうが、早く(徳一学び)新しいときを見つめていきたいと思っている。

【松久保秀胤長臈氏、徳一さんの奥様と孫娘さんと】

 有意義な一日だった。

 

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