エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

七夕飾り

2008-07-07 | 日々の生活

 今日は七夕、梅雨空で天の川は見えそうにない。
 幼稚園は土曜日に音楽発表会、ミニミニコンサートがあって、たける君は【ミックスジュース】を演奏し、【空に落書き書きたいな】を歌った。もえかちゃんは【山小屋いっけん】と【あいあい】と【びっくりたまげた】を元気で歌った。その代休で今日はお休みだ。

 庭のクロチクを切ってきた。庭の蚊や雨を心配して、玄関で七夕の飾り付けが始まった。色紙で輪のくさりを作った。いつものように、思い思いの願いを短冊に書いた。

 たける君は「むしやさんになりたい たける」。もえかちゃんは、じいちゃんへと似顔絵を描いて吊り下げた。
 私も3枚書いた。「これ以上痩せませんように。」「いつも静かに笑っている。そう言う人に私もなりたい。」「家族仲良く楽しい日々を!」
 女性軍は連署で「いつまでも美しく」など。ママは「大きいスイカ、カボチャがなりますように。」妻のは「もう一度箱根に行ってみたい。」「おとうさんの熱が出ませんように」などなど、沢山の願い事が下がった。長男夫婦の願いも代書した。「元気な赤ちゃんが生まれますように!」

 短冊をながめているうちに、なぜか込み上げるものがあった。
 思えば5年前のいま頃、突然の入院から新しい生活が始まった。いろいろ心配はあるが、それなりの健康を取り戻し、家族のみんなと楽しく元気で過ごしいる今の幸せが有難い。 これからの余生に思いをはせた。そして、これから激動の人生を送らなければならない無邪気に遊ぶ孫たちの将来にも及んだ。何よりも、毎日忙しく動き回っている妻の心遣いが嬉しく、あらためて感謝した。
 今、傍らで孫たちと笹の葉に飾り付けている妻を見ながら目頭が熱くなった。いつもありがとうとこころでつぶやいた。何気なく過ごしている幸せ、最近とみに涙もろくなってしまったようだ。

短冊に書かれたそれぞれの願いがどうか叶いますようにと祈った。





水遊び

2008-07-05 | 日々の生活

 盛夏という表現がぴったりの夏の朝、思いついてプールを出した。
自転車の空気入れで、何とか膨らませ冷たい水を張った。ばーちゃんは心配して何杯か洗面器でお湯を運んだりしていた。
 気温27℃、風もなく夏の暑い陽がそそぐ庭先で、孫たちは大喜びで遊んだ。
 庭にはホシミスジが舞い、スジグロシロチョウがひらひら産卵に訪れていた。のどかな夏の一日だ。
東北南部は梅雨らしい雨もなく、このまま梅雨が明けそうな気配だ。予報では、午後は雷雨があると言うが、どうなるか。雨が少なく庭木にも朝夕水を撒いている。少し雨が欲しい。
 もうじき幼稚園も夏休み、孫の子守りも大変になりそうだ。


突然の訃報

2008-07-04 | 日々の生活
           【朝陽にさわやか アジサイ咲く】

 近所のUさんが亡くなった。
 私が大病した5年前、Uさんも同じ病魔に冒され、退院後もときどき病状を報告しあい、互いに励まし会っていた。散歩道の帰りにお寄りして、立ち話をしたことも何度もあった。 ここ半年ばかり御無沙汰していた。いつも散歩の時には、Uさんはどうしているかな、寄ってみたいと思っていた。
 昨日の夕方、近くの広場に黒枠の「駐車場」の表示看板が出ていた。どちらかで不幸があったかと気にしていた。今朝、庭にいた私に、妻が回覧板を手にUさんの訃報を知らせた。
 Uさんとはもう40年の付き合いだった。Uさんは長く同窓会の役員をされていたので職場でもときどきお会いしいろいろな話をさせていただいた。町内の早起きソフトや反省会など、楽しかった思い出が沢山ある。
 正直で、豪快な、いつも頼れる先輩であった。せめてもう一度お話ししたかった。突然の訃報が残念でならない。こころからのご冥福を祈ります。
 人の世の常なれど、少し早過ぎた先輩の無念を思い、運良く生かされた自分を大切にしたいと思っている。

キボシカミキリ

2008-07-03 | 昆虫

また夏が巡ってきた。
 昨日の夕方はセミの声を聞いた。今朝は桑の葉の上にキボシカミキリを初見した。触覚は実に体の3倍もの長さである。いよいよ夏の訪れを実感した。
 時期になると間違いなく姿を見せてくれる自然の命を見つめ、すがすがしい朝の空気を精一杯吸い込んだ。
また、開き始めたキクイモモドキの花にまだ体長2,3㎜のセスジツユムシの幼虫を見つけた。いっちょまえに触覚は12㎜もあった。一年ぶりのかわいい虫としばらく遊んだ。一寸の虫にもこころがある。意志もある。本能が動かすのではなく考えながらの行動に見える。ともかく、また会えた小さい命が愛おしい。

思い出のチドリソウ

2008-07-01 | 日々の生活
              【義父を思い出すチドリソウ】

 なみだ落ちて 懐かしむかも数葉の 写真の中の 穏やかな人

庭のチドリソウがようやく花を咲かせ始めた。
 私の書斎には、アゲハチョウがチドリソウに吸密している写真が掛けてある。私には、チドリソウはなぜか義父を思い出すさわやかな7月の花である。

 義父が突然逝ってから、この7月で14年になる。チドリソウをながめながら、みんなが若くて元気だったあの頃の夏がふと思い出された。
 紫色、薄いブルー、ピンク、ピンクに紺色の斑が入った花びら、妻の実家にさわやかに咲くチドリソウが目に浮かんできた。

 子どもたちがまだ小さい頃、毎夏訪れた信州の妻の実家からは、いろいろな草花を何時も土の付いたままいただいてきた。オイランソウやシモツケなどの宿根は庭で増えた。一年草のサンジソウも毎年咲くがチドリソウが咲いたことはなかった。 今年は何年も前にもらってきたチドリソウの種を蒔いたら、庭のあちこちから芽を出し、ようやく花を付けるまでに育った。来年からは今咲くチドリソウのこぼれ種子から毎年花を咲かせてくれるだろうと期待している。


******  思い出のエッセイ *******

『義父の一周忌「元気」と報告』

 梅雨の最中、義父の一周忌に信州の実家を訪ねた。あれから一年、庭にはいつもと変わりなくチドリ草が咲き乱れ、ナミアゲハが密を吸っている。スズメがさえずり、空の雲が静かに流れゆく。父がいない事実以外に、何も変わってはいない。
 読経の中、目を閉じて故人との思い出に浸る。故人が召集し一堂に会した親類それぞれの心を思った。元気でがんばっていると報告しながら焼香した。お焼香の鐘の響きがいつまでも心に残った。
 妻の実家で父の大好きな酒を酌み交わすことが私の楽しみだった。叔父や叔母と再会、この談笑の場に父がいないことが寂しい。
 翌日もお墓に詣で、お別れをし帰路についた。離れているため、残りし母との別れがいつもせつない。いつまでも手を振る母の姿がバックミラーに見える。
 今家に戻り、しとしと降る雨の庭に目をやりぼんやりしている。明日からがんばれと父の声が聞こえる。忘れていた心を取り戻す小旅行となった。 (1995.7)