■終戦記念日を迎えて■
8月15日はご存じのように終戦記念日である。
毎年この時期には、それに関係したTVのスペシャル番組が放送れるが、今年は14日に倉本聰氏が脚本したTVドラマ「歸國(きこく)」が放送される。その内容は「65年前の戦争で、この国を守るために死んでいった人達(=英霊達)が、現代日本を見たらどう思うのだろうか?」という問いかけだそうだ。
少し前にバブル期を振り返った内容の記事を書いたが、兵士達が命を捨ててまで守ろうとした日本の、その後の姿が、バブルに沸いた頃と、それが崩壊した現在の状況であるのなら、彼らの落胆を想像するだけで心が締め付けられてしまう。そして、その一端を担いだ責任のある立場から言わせてもらうと、本当に申し訳なく思う。だからこそドラマの出来はともかく「歸國」のメッセージは重く受け止めなくてはならない。
その他終戦記念日にあたり、広く一般に見て欲しいTV番組としては、NHKで月一度ほどの割合で放送し、何度も再放送され続けている、「シリーズ証言記録 ~兵士たちの戦争」をお薦めしておきたい。(本も出版されている。)
この番組は、実際に戦地で戦った兵士や現場指揮官の話を通じて「戦争の実際」を我々に伝えてくれる内容だ。この番組を見れば、当時の軍中枢部に在籍していた指導者達が、「場当たり的」で「独善的」な考えに支配されていたということと、そこで立案された、多くの「無謀」で「人命軽視」で「絶望的」な作戦の中で、現場の指揮官や兵士達が如何に戦ったかということ、その結果、生き残り、あるいは死んだ兵士達は何を思ったのか?ということがよく解ると思う。
彼らが命を賭けて守ろうとしたものは、郷里とそこに暮らす家族、そして次の日本を背負うべき子供達が第一であったことは、今も多く残る愛情溢れる遺書の内容で容易に確認できる。また、「バンザイ」を叫んでの突撃であっても、戦友の死にゆく間際に遭遇した兵士達が実際に聞いた言葉が、多くの場合で「おかあさ~ん」であったり、「妻や子の名」であったりしたことからも、それは理解できるだろう。
果たして我々は、彼らが決死の覚悟で守ろうとした国に、住むにふさわしい人間なのだろうか?…。
■無知■
ボクの世代を含めて戦後産まれ全体に言えることかも知れないが、近代日本史である明治~昭和20年頃までの日本史に関してまともな教育を受けた覚えがない。
たまにドラマなどで見る内容も「悲惨だから、二度と繰り返してはいけない。」といった観念的なものが多く、それを見たところで自分たちの爺さんや、ひい爺さんの時代の日本が、戦争の当事者だったという意識が強くなることは少ない。特に、同じ轍を踏まないためにも一番重要な部分である、「何故起こったのか?」ということに関しては大いに無知である。
これらは受験勉強重視のために時間切れになるという説もあるが、実際は違うように思える。それはこの時代の事実を忘れ去り、「臭い物にはフタをしておきたい」という意思が日本人のどこかにあったからだと思う。
そして、現在では驚くことに今ではアンケートをすると、日本がアメリカと戦争をしたことすら知らない人が居るそうだ。イギリスやオーストラリアと戦争をしたことを知らない程度ならまだ解らないでもないが、ここまでくれば、もう無知を通り越して「無知蒙昧」と言うほかあるまい。
以前にも触れたが、半藤一利さんという作家がいて、この人は日本の近代史を書き続けている人だが、ボクは最近、この人の書いた本をよく読んでいる。
半藤さんは終戦時には15歳の昭和5年5月生まれで、うちの親父は同年4月生まれだから、全く同じ世代だ。だから、書かれている内容についての正否は、親父に質問すればすぐに答えが返ってくる。それは解説者が身近に居ることになるので、ボクにとっては大変理解がし易い内容なのだ。
半藤さんの本の大半は、一方でボクが大好きな司馬遼太郎さんとは違って、ノンフィクション性を基本にしているので、小説(=フィクション)ではない。だから、内容は資料と徹底的に照らし合わせてあり、本人曰く「根拠を示せと言われれば、すぐに資料が出せる。」と言っているほどだから、その意味でも史実に近いものだろうとボク的には捉えている。
その半藤さんが「日本が太平洋戦争に至る経緯」について、著者の井上亮氏のインタビューに答える形で書かれた本が最近出版されていて、今はそれを読んでいる最中だ。
●「いま戦争と平和を語る」●
半藤さんの、この本を含めて保坂正康さん、また半藤さんとは全く逆の意見になることの多い渡部昇一さん等々、様々な作家の本を読み、調べるうちに、太平洋戦争の敗戦に至る道筋と、「臭い物にフタをしたくなった」経緯が、ボクなりに、おぼろげながら見えてくる。それは…。
昭和恐慌、世界恐慌に代表されるように、長引く不景気と閉塞感に支配され、百万人に及ぶ失業者が全国に溢れる状況で始まった昭和の日本は、満州事変~日中戦争~太平洋戦争と突き進み、最終的に敗戦という国家の滅亡を迎えるが、その間、例えば軍部という一つの組織のみが民衆を扇動して戦争へと導いたのではなく、一部少数には反対する人が居たものの、大多数の国民、軍部、政治家、財界、マスコミが相互に利害関係を持って引きつけあい、国全体で坂道を転がり落ちていったということだ。
そして敗戦後は「国民自らが招いた敗戦」と悟ったのか、一転して「一億総懺悔(いちおくそうざんげ)」と言われたようなムードが日本国内に漂い始める。
食うや食わずの状態が続く中、民族の誇りを無くし、疲れ果てた国民にとって、戦争の話は次第に「話したくない過去」に変わっていったのだろう。この流れが上述したような、「臭い物にフタをしたくなった」経緯ではないのか?とボクは思っている。
勿論、戦前の日本にも良い部分は沢山あったし、世界に向けて反論すべき点もあったはずだが、日本人自らが進んで清濁を合わせて臭い物として放り込み、フタをしてくれた方が、戦後日本を自陣営に引き込もうとする米ソ両大国にとって、都合が良かったことは言うまでもない。
■歴史は繰り返す■
半藤さんによると、日本は40年周期で破滅もしくはそれに近い困難に遭遇しているというが、「歴史は繰り返す」ということを思えば、黙殺は出来ない。
まず最初に、それまで攘夷派であった薩長も開国派に転換し、国全体で国際社会にデビューしたのが、1865年。以後「富国強兵」路線を突き進み、そのピークを迎えて「坂の上の雲」を掴んだ日露戦争の終結が1905年になるので、そこまでが40年。
近年の調べによると、日露戦争の勝敗は日本の「引き分け+α程度」という判断が一般的であり、あれ以上長引けば敗戦濃厚だと言われているが、当時の日本人は政府の不誠実な発表によって勝利したものと思い込み、列強の仲間入りを果たしたと勘違いした。そしてそれ以降は慢心し、おごり高ぶって転落の道を歩むことになる。そしてその結果が、1945年に起こる太平洋戦争での敗戦だが、これも40年後にあたる。
戦後はGHQの統治を経て、1952年のサンフランシスコ講和条約施行後に独立した日本は「奇跡の復興」を果たして経済大国にのし上がったが、ピークであるバブル時には「日本の土地の一部の価格でアメリカ全土が買える。」と豪語するまでの増長ぶりを発揮し、再び国民の多くがおごり高ぶり、そして踊り狂ったが、その後1992年にあっけなく崩壊して現在まで低迷の時期を送っているが、これまた40年だ。
過去を分析、研究することを怠り、広く国民が事実を「知らなかったり、知ろうとしなかったり」、あるいは「忘れ去ろうとした」顛末が、二度にわたっての「奢る者久しからず。」状態なのである。
ここまで説明すれば40年説に信憑性を感じることだと思う。だから、バブルの崩壊から40年経った2032年頃の日本を想像すると、ある種の恐怖感が立ちこめてくる。しかも戦前~戦中の日本をリードしていた軍部の問題点は、現代日本をリードする官僚の、数々の問題点と酷似しているから尚更に恐ろしい。
次に起こることが戦争だとは限らないが、国家の破滅を二度と繰り返さないためにも「何があって、あの戦争になったのか?」をボクたちが理解しなくてはならないのだ。
今回は半藤さんの本を紹介したが、それは、たまたまボクにはシックリと来ただけであって、何もこれのみが正解というわけではない。だから、どんな著者が書いたものでも構わないから、とりあえず読み始めて欲しい。大切なのは知ろうとして、第一歩を踏み出すことだと思う。そうして何点か読み進んでいくうちに、歴史認識に関しての妥当な線が自分なりに何となく解って来ると思う。
■学問のすゝめ■
福沢諭吉の「学問のすゝめ」には、かの有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という一文が書かれている。この続きを知らない人が、この部分だけを見ると、人権についての言葉のように思うかも知れないが、実際は違う。
「人には生まれながら貴賎上下の差別ない。」「だが、見渡すと、賢い人、愚かな人、貧乏な人、金持ちの人、身分の高い人、低い人が居る。」「その違いは何だろうか?。」「それは賢人と愚人との別が、学ぶと学ばざるとによってできるからだ。」
だから、「人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」
と、まぁ、平たく言えば、そういうことである。
我々が「学問」を怠り、無知のままでい続けることを辞めて、「真実を求める心」を次世代に受け継いでゆかなては、やがて日本は世界の中の貧人や下人の国となる。終戦記念日を前にして、その思いは強くなるのであった。
8月15日はご存じのように終戦記念日である。
毎年この時期には、それに関係したTVのスペシャル番組が放送れるが、今年は14日に倉本聰氏が脚本したTVドラマ「歸國(きこく)」が放送される。その内容は「65年前の戦争で、この国を守るために死んでいった人達(=英霊達)が、現代日本を見たらどう思うのだろうか?」という問いかけだそうだ。
少し前にバブル期を振り返った内容の記事を書いたが、兵士達が命を捨ててまで守ろうとした日本の、その後の姿が、バブルに沸いた頃と、それが崩壊した現在の状況であるのなら、彼らの落胆を想像するだけで心が締め付けられてしまう。そして、その一端を担いだ責任のある立場から言わせてもらうと、本当に申し訳なく思う。だからこそドラマの出来はともかく「歸國」のメッセージは重く受け止めなくてはならない。
その他終戦記念日にあたり、広く一般に見て欲しいTV番組としては、NHKで月一度ほどの割合で放送し、何度も再放送され続けている、「シリーズ証言記録 ~兵士たちの戦争」をお薦めしておきたい。(本も出版されている。)
この番組は、実際に戦地で戦った兵士や現場指揮官の話を通じて「戦争の実際」を我々に伝えてくれる内容だ。この番組を見れば、当時の軍中枢部に在籍していた指導者達が、「場当たり的」で「独善的」な考えに支配されていたということと、そこで立案された、多くの「無謀」で「人命軽視」で「絶望的」な作戦の中で、現場の指揮官や兵士達が如何に戦ったかということ、その結果、生き残り、あるいは死んだ兵士達は何を思ったのか?ということがよく解ると思う。
彼らが命を賭けて守ろうとしたものは、郷里とそこに暮らす家族、そして次の日本を背負うべき子供達が第一であったことは、今も多く残る愛情溢れる遺書の内容で容易に確認できる。また、「バンザイ」を叫んでの突撃であっても、戦友の死にゆく間際に遭遇した兵士達が実際に聞いた言葉が、多くの場合で「おかあさ~ん」であったり、「妻や子の名」であったりしたことからも、それは理解できるだろう。
果たして我々は、彼らが決死の覚悟で守ろうとした国に、住むにふさわしい人間なのだろうか?…。
■無知■
ボクの世代を含めて戦後産まれ全体に言えることかも知れないが、近代日本史である明治~昭和20年頃までの日本史に関してまともな教育を受けた覚えがない。
たまにドラマなどで見る内容も「悲惨だから、二度と繰り返してはいけない。」といった観念的なものが多く、それを見たところで自分たちの爺さんや、ひい爺さんの時代の日本が、戦争の当事者だったという意識が強くなることは少ない。特に、同じ轍を踏まないためにも一番重要な部分である、「何故起こったのか?」ということに関しては大いに無知である。
これらは受験勉強重視のために時間切れになるという説もあるが、実際は違うように思える。それはこの時代の事実を忘れ去り、「臭い物にはフタをしておきたい」という意思が日本人のどこかにあったからだと思う。
そして、現在では驚くことに今ではアンケートをすると、日本がアメリカと戦争をしたことすら知らない人が居るそうだ。イギリスやオーストラリアと戦争をしたことを知らない程度ならまだ解らないでもないが、ここまでくれば、もう無知を通り越して「無知蒙昧」と言うほかあるまい。
以前にも触れたが、半藤一利さんという作家がいて、この人は日本の近代史を書き続けている人だが、ボクは最近、この人の書いた本をよく読んでいる。
半藤さんは終戦時には15歳の昭和5年5月生まれで、うちの親父は同年4月生まれだから、全く同じ世代だ。だから、書かれている内容についての正否は、親父に質問すればすぐに答えが返ってくる。それは解説者が身近に居ることになるので、ボクにとっては大変理解がし易い内容なのだ。
半藤さんの本の大半は、一方でボクが大好きな司馬遼太郎さんとは違って、ノンフィクション性を基本にしているので、小説(=フィクション)ではない。だから、内容は資料と徹底的に照らし合わせてあり、本人曰く「根拠を示せと言われれば、すぐに資料が出せる。」と言っているほどだから、その意味でも史実に近いものだろうとボク的には捉えている。
その半藤さんが「日本が太平洋戦争に至る経緯」について、著者の井上亮氏のインタビューに答える形で書かれた本が最近出版されていて、今はそれを読んでいる最中だ。
●「いま戦争と平和を語る」●
半藤さんの、この本を含めて保坂正康さん、また半藤さんとは全く逆の意見になることの多い渡部昇一さん等々、様々な作家の本を読み、調べるうちに、太平洋戦争の敗戦に至る道筋と、「臭い物にフタをしたくなった」経緯が、ボクなりに、おぼろげながら見えてくる。それは…。
昭和恐慌、世界恐慌に代表されるように、長引く不景気と閉塞感に支配され、百万人に及ぶ失業者が全国に溢れる状況で始まった昭和の日本は、満州事変~日中戦争~太平洋戦争と突き進み、最終的に敗戦という国家の滅亡を迎えるが、その間、例えば軍部という一つの組織のみが民衆を扇動して戦争へと導いたのではなく、一部少数には反対する人が居たものの、大多数の国民、軍部、政治家、財界、マスコミが相互に利害関係を持って引きつけあい、国全体で坂道を転がり落ちていったということだ。
そして敗戦後は「国民自らが招いた敗戦」と悟ったのか、一転して「一億総懺悔(いちおくそうざんげ)」と言われたようなムードが日本国内に漂い始める。
食うや食わずの状態が続く中、民族の誇りを無くし、疲れ果てた国民にとって、戦争の話は次第に「話したくない過去」に変わっていったのだろう。この流れが上述したような、「臭い物にフタをしたくなった」経緯ではないのか?とボクは思っている。
勿論、戦前の日本にも良い部分は沢山あったし、世界に向けて反論すべき点もあったはずだが、日本人自らが進んで清濁を合わせて臭い物として放り込み、フタをしてくれた方が、戦後日本を自陣営に引き込もうとする米ソ両大国にとって、都合が良かったことは言うまでもない。
■歴史は繰り返す■
半藤さんによると、日本は40年周期で破滅もしくはそれに近い困難に遭遇しているというが、「歴史は繰り返す」ということを思えば、黙殺は出来ない。
まず最初に、それまで攘夷派であった薩長も開国派に転換し、国全体で国際社会にデビューしたのが、1865年。以後「富国強兵」路線を突き進み、そのピークを迎えて「坂の上の雲」を掴んだ日露戦争の終結が1905年になるので、そこまでが40年。
近年の調べによると、日露戦争の勝敗は日本の「引き分け+α程度」という判断が一般的であり、あれ以上長引けば敗戦濃厚だと言われているが、当時の日本人は政府の不誠実な発表によって勝利したものと思い込み、列強の仲間入りを果たしたと勘違いした。そしてそれ以降は慢心し、おごり高ぶって転落の道を歩むことになる。そしてその結果が、1945年に起こる太平洋戦争での敗戦だが、これも40年後にあたる。
戦後はGHQの統治を経て、1952年のサンフランシスコ講和条約施行後に独立した日本は「奇跡の復興」を果たして経済大国にのし上がったが、ピークであるバブル時には「日本の土地の一部の価格でアメリカ全土が買える。」と豪語するまでの増長ぶりを発揮し、再び国民の多くがおごり高ぶり、そして踊り狂ったが、その後1992年にあっけなく崩壊して現在まで低迷の時期を送っているが、これまた40年だ。
過去を分析、研究することを怠り、広く国民が事実を「知らなかったり、知ろうとしなかったり」、あるいは「忘れ去ろうとした」顛末が、二度にわたっての「奢る者久しからず。」状態なのである。
ここまで説明すれば40年説に信憑性を感じることだと思う。だから、バブルの崩壊から40年経った2032年頃の日本を想像すると、ある種の恐怖感が立ちこめてくる。しかも戦前~戦中の日本をリードしていた軍部の問題点は、現代日本をリードする官僚の、数々の問題点と酷似しているから尚更に恐ろしい。
次に起こることが戦争だとは限らないが、国家の破滅を二度と繰り返さないためにも「何があって、あの戦争になったのか?」をボクたちが理解しなくてはならないのだ。
今回は半藤さんの本を紹介したが、それは、たまたまボクにはシックリと来ただけであって、何もこれのみが正解というわけではない。だから、どんな著者が書いたものでも構わないから、とりあえず読み始めて欲しい。大切なのは知ろうとして、第一歩を踏み出すことだと思う。そうして何点か読み進んでいくうちに、歴史認識に関しての妥当な線が自分なりに何となく解って来ると思う。
■学問のすゝめ■
福沢諭吉の「学問のすゝめ」には、かの有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という一文が書かれている。この続きを知らない人が、この部分だけを見ると、人権についての言葉のように思うかも知れないが、実際は違う。
「人には生まれながら貴賎上下の差別ない。」「だが、見渡すと、賢い人、愚かな人、貧乏な人、金持ちの人、身分の高い人、低い人が居る。」「その違いは何だろうか?。」「それは賢人と愚人との別が、学ぶと学ばざるとによってできるからだ。」
だから、「人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」
と、まぁ、平たく言えば、そういうことである。
我々が「学問」を怠り、無知のままでい続けることを辞めて、「真実を求める心」を次世代に受け継いでゆかなては、やがて日本は世界の中の貧人や下人の国となる。終戦記念日を前にして、その思いは強くなるのであった。