またもや、台風の接近で釣りどころではない週末を過ごしていた。相変わらず実釣レポートはできないままだ…。
■気分転換からスタート■
今から20年ほど昔、ボクのグレ釣りは既に初級段階を抜け出して中級の領域に入ってはいたものの、技術的に伸び悩み、頭打ち状態でメンタル面でも萎え気味だった。もっとも、今考えてみると、通う場所が悪かっただけのように思うが、釣っても釣っても同じサイズばかりで自己記録の更新はならず、やや少々食傷気味になっていた。
丁度その頃、ブラック・バス釣りのブームがあった。グレ釣りからの気分転換と物珍しさもあって、この釣りを覚えてやろうと、そのブームの波に乗ってみることにしたのだ。
今では考えられないことだろうが、その頃はまさに「バス・バブル」と呼ばれる状態であり、エバーグリーンや、メガバスの竿やルアーは釣具店に入荷次第売り切れのことが多く、稀少?なタックル入荷の情報が流れると、釣具店には開店前から人が並ぶほどの盛況振りだった。しかもそれらは、その後何年もデフレが続く日本の経済状況下では想像もできないほどの、強気の定価販売だった。
勿論、その頃のボクも、釣具店で気になるルアーを見つければ、次回にいつ入荷になるかも知れないので、まとめ買いをしていたし、釣具店に予約を入れてまで手に入れることもあった。そして、気付けば手元にルアーの山ができており、それらは捨てられないまま、今も大小3個のタックルボックスの中に眠っている。
そして、当時はブランクスと呼ばれる何も装着されていない竿を手に入れ、それにガイドやリールシートを装着して半オリジナル・ロッドを自作したり、型枠に鉛を流し込んでラバー・ジグも自作するほどまでに凝っていた。
更にはそれらが高じて、ついには妻との新婚旅行でアメリカのミズーリ州にある全米最大の釣具店であるところのBass Pro Shopsに立ち寄るまでの入れ込みようになっていた。
今でこそ、フロリダ・バスの遺伝子を継ぐ個体が成長したお陰で60cmオーバーが時折仕留められているそうだが、当時はそんなサイズはごく希であり、一般的な釣り師の間では50cm台後半が最大目標とされていた。そんな中でボクが仕留めた最大サイズは56cmで、釣った場所は、当時は大型狙いの有名ポイントであった、近江八幡の、伊崎不動手前のワンドだった。それ以下の50cmオーバーであれば琵琶湖の名鉄沖、小野の浮き魚礁周辺、池原ダムなどで、かなりの数を釣っている。
■ブラック・バスの釣り味■
だが、5年程真剣に取り組んだ後はフェードアウトするかのように興味が薄れ、いつしか全くバスロッドを手にすることがなくなってしまった。
飽きたのには理由があった。ボクにとって好敵手の条件は、例えば大型のグレやヒラマサのように普通では「どうにもならないヤツ」が、自分が研究や経験を積んで能力を最大に発揮することで、「どうにかなるかも知れない」と思わせてくれることが大切なのだ。つまりは、ブラックバスの場合、ボクにはその部分が希薄に感じてしまうようになったからだ。
ご存じのように、バスロッドは2.1m(7フィート)以下が大半で、そのうえ、ルアーを投げたり動かしたりするための調子が殆どで、魚を獲る為の調子ではない。そんな竿を使っていても、細い場合はスピニングタックルであれば、1~1.2号(4~5ポンド)でも「ボートから狙う」という有利さも手伝って、大型が充分に獲れてしまうのだ。勿論、ヘビーカバーと呼ばれる障害物周りを狙う場合はそれなりの太さは必要だが、それは「そこに居る」のを引っこ抜くためであって、そこに逃げ込んで糸を切られるからではない。(もちろん100%のパターンではないけれど…。)
そして、この魚にはシーズナル・パターンというのが存在するが、これも飽きる原因になった。
魚は「何のために生きるのか?」と問われれば、「種を永続させるため」と答えるのが適当だと思うが、メスは産卵し、オスはそこに放精するために生きている。エサを取ることを始め、何もかもが子孫繁栄のために行われている。
この産卵&放精行動を出発点と捉え、自身や先人のデータを研究することで、そこから先の動きがある程度読めるようになり、季節ごとに付き場が判ってくるようになる。これはどんな魚でも同様であるのだが、海の魚の場合は最も沖を流れる黒潮や対馬暖流といった地球単位での潮流の他、豊後水道や紀伊水道といった水道の流れ、湾内を流れる湾流、そして満ち引きによる潮流の変化が複雑に作用し合う結果、人間にはとうてい計算し切れない状況になってしまうのだ。しかしこれが、ブラック・バスが主に生息する緩やかな流れはあるが、止水域と呼ばれるところでは作用する要素が減って計算がかなりし易くなる。
つまり、季節ごとの付き場が判ってしまい、それが読めるようになると、極論を言えば、毎年同じ時期に同じ場所で、同じパターンで釣れてしまうことが多いのだ。また、ブルーギルのようなエサ取り的存在も居るには居るが、困る程には存在せず、つつかれることがあっても、使うハリが大きいことが多いため、結果的に掛かるのはバスになることが殆どだ。そのあたりのイージーさを如実に感じ取ってしまうと、勝手な解釈だが、「やり尽くし感」を感じてしまい、ボクが飽きるのは早かった。
ただし、ここまではボクのような一般釣り師レベルでの話であることをことわっておく。もしこれがプロを始めとするトーナメントの釣りになると、話は変わる。誰もが考えつくパターンでポイントを選定すると、皆が一斉に同じポイントへと集中することになるからだ。そのため、”他人の読み”をハズした行動も採らなければならず、そうなると、選択しなければならない範囲も広がってくる。だからこそ、この魚のトーナメントが盛んに行われているのだろうが、他人と競い合って狙うことでこの魚の価値は上がるのだと思う。
残念ながら?、ボクのブラックバス釣りは、トーナメントに参加することなく、一般釣り人のままで終わってしまった。よって、この魚の釣り味を正確に評価することは難しいが、一応10段階の6としておこう。
■ブームの盛衰■
ブラック・バス釣りが一時ブームにもなった背景をボクはこう考えている。
「主人公である釣り人が竿というお供を連れてボートに乗って旅に出る。」そして「その季節や天候などに合わせたポイントに向かい、アイテムであるルアーやワームを駆使してブラック・バスをゲットする。」
つまりはこの一連の流れに、ロールプレイングゲーム的要素があったから、ゲーム世代にウケたのだと思う。
だが、ブームは数年で去ってしまった。これは、極端なことを言うと、一種類のルアーに対してそれを投入し、動かすための専用竿が必要になり、効率を求めれば岸から釣るよりもボートから狙う方が有利になるから、それを所有する、もしくはレンタルするコストと操船免許を取得する経費、そして釣り場に向かうための車とそれに入れる燃料費を含めると、かなり経費を負担せねばならず、それがデフレ続きだった時流には受け入れられないことが大きかったのだと思う。
また、ブーム後半になると資源量が減って「チョっとバス釣りでも始めようか?」という初心者には、なかなか釣れにくくなってしまったことの影響も大きかった。更には害魚としての扱いを受け、琵琶湖のように「釣った外来魚はリリースが禁止とされ、釣り人に(結果的にだが)殺処分を求める」とした条例が成立した地域もあって、その施行に際しての混乱が大きかったこともブームの火消しに作用したのだと思う。
元々そこに居なかった魚が繁殖したことは、放流した側に責任があるので、条例の成立自体は仕方のないことだと思うが、「この条例の効果が果たしてあったのかどうか?」については、毎日新聞の2013年5/30版「http://mainichi.jp/area/shiga/news/20130530ddlk25010464000c.html」を参照して欲しい。もっとも、この紙面を見る限り、条例成立前の反対側にまわっていた釣り人側が立てていた予想が、ある程度当たっていたかのように思えるのは皮肉な結果だが…。
■ブラック・バスの食い味■
もしも、一般的にブラック・バスを食する習慣があったのならば、漁業資源としての活用もできて、この魚の運命も変わっていたのだと思うが、釣った経験のある側から言わせてもらうと、釣り上げてすぐに感じるほどに強い、淡水魚独特の「青臭く、かつ泥臭い」ような臭いは食欲をそそるものではなく、食う気は全く起こらなかった。ブラック・バスの身を使い、フィレ・オ・フィッシュのように仕上げたバス・バーガーも一時は各所で紹介されていたが、半ば無理矢理の感もあるし、臭みを消す下処理が大変で、普及には至らなかったようだ。そのため、食い味が評価外になるのは当然だ。
■ブラック・バスの総合評価■
引き味そのものは魚全般の中で比較すると、強烈という程ではなく、動きも鈍重に思えるが、反面、水面からジャンプしたりと派手な動きもあって、ある程度楽しめるし、淡水魚の中では引きが強い部類に入ることは確かだ。また、トップウォーター・プラグという表層を狙うルアーを使って、水面に飛び出す個体を狙ったり、ラバージグを使って中層の食い上げアタリをとったり、アシの中にスピナーベイトをブチ込んだり、深場で深層を潜るクランクベイトを引いたりと、季節や魚の状態に合わせていろんな釣法で釣り上げた思い出を辿ってみると、今でも魅力を感じる部分もあるが、如何せん普通に食えないことには総合評価の付けようがないから、記さずにおく。
所有していたアルミボートを売却して以降は、この釣りに合わせて取得した船舶操縦免許も更新のみで、全くのペーパー操縦士状態になっているうえ、上述しているようにルアー類もタックボックス内に眠っている状態だ。「再チャレンジを」と、時たま考えることもあるが、「完全フカセ釣り」、「たて釣り」、「渓流釣り」と、季節ごとに各種の釣りがスケジュールを埋めてしまうので、時間が全くとれないままに今日に至っているのが現状だ。
嗚呼、山のようにある各種のルアーは、このままタックルボックスの肥やしになってしまうのだろうか…。
■気分転換からスタート■
今から20年ほど昔、ボクのグレ釣りは既に初級段階を抜け出して中級の領域に入ってはいたものの、技術的に伸び悩み、頭打ち状態でメンタル面でも萎え気味だった。もっとも、今考えてみると、通う場所が悪かっただけのように思うが、釣っても釣っても同じサイズばかりで自己記録の更新はならず、やや少々食傷気味になっていた。
丁度その頃、ブラック・バス釣りのブームがあった。グレ釣りからの気分転換と物珍しさもあって、この釣りを覚えてやろうと、そのブームの波に乗ってみることにしたのだ。
今では考えられないことだろうが、その頃はまさに「バス・バブル」と呼ばれる状態であり、エバーグリーンや、メガバスの竿やルアーは釣具店に入荷次第売り切れのことが多く、稀少?なタックル入荷の情報が流れると、釣具店には開店前から人が並ぶほどの盛況振りだった。しかもそれらは、その後何年もデフレが続く日本の経済状況下では想像もできないほどの、強気の定価販売だった。
勿論、その頃のボクも、釣具店で気になるルアーを見つければ、次回にいつ入荷になるかも知れないので、まとめ買いをしていたし、釣具店に予約を入れてまで手に入れることもあった。そして、気付けば手元にルアーの山ができており、それらは捨てられないまま、今も大小3個のタックルボックスの中に眠っている。
●タックルボックスの一つ●
そして、当時はブランクスと呼ばれる何も装着されていない竿を手に入れ、それにガイドやリールシートを装着して半オリジナル・ロッドを自作したり、型枠に鉛を流し込んでラバー・ジグも自作するほどまでに凝っていた。
更にはそれらが高じて、ついには妻との新婚旅行でアメリカのミズーリ州にある全米最大の釣具店であるところのBass Pro Shopsに立ち寄るまでの入れ込みようになっていた。
今でこそ、フロリダ・バスの遺伝子を継ぐ個体が成長したお陰で60cmオーバーが時折仕留められているそうだが、当時はそんなサイズはごく希であり、一般的な釣り師の間では50cm台後半が最大目標とされていた。そんな中でボクが仕留めた最大サイズは56cmで、釣った場所は、当時は大型狙いの有名ポイントであった、近江八幡の、伊崎不動手前のワンドだった。それ以下の50cmオーバーであれば琵琶湖の名鉄沖、小野の浮き魚礁周辺、池原ダムなどで、かなりの数を釣っている。
■ブラック・バスの釣り味■
だが、5年程真剣に取り組んだ後はフェードアウトするかのように興味が薄れ、いつしか全くバスロッドを手にすることがなくなってしまった。
飽きたのには理由があった。ボクにとって好敵手の条件は、例えば大型のグレやヒラマサのように普通では「どうにもならないヤツ」が、自分が研究や経験を積んで能力を最大に発揮することで、「どうにかなるかも知れない」と思わせてくれることが大切なのだ。つまりは、ブラックバスの場合、ボクにはその部分が希薄に感じてしまうようになったからだ。
ご存じのように、バスロッドは2.1m(7フィート)以下が大半で、そのうえ、ルアーを投げたり動かしたりするための調子が殆どで、魚を獲る為の調子ではない。そんな竿を使っていても、細い場合はスピニングタックルであれば、1~1.2号(4~5ポンド)でも「ボートから狙う」という有利さも手伝って、大型が充分に獲れてしまうのだ。勿論、ヘビーカバーと呼ばれる障害物周りを狙う場合はそれなりの太さは必要だが、それは「そこに居る」のを引っこ抜くためであって、そこに逃げ込んで糸を切られるからではない。(もちろん100%のパターンではないけれど…。)
そして、この魚にはシーズナル・パターンというのが存在するが、これも飽きる原因になった。
魚は「何のために生きるのか?」と問われれば、「種を永続させるため」と答えるのが適当だと思うが、メスは産卵し、オスはそこに放精するために生きている。エサを取ることを始め、何もかもが子孫繁栄のために行われている。
この産卵&放精行動を出発点と捉え、自身や先人のデータを研究することで、そこから先の動きがある程度読めるようになり、季節ごとに付き場が判ってくるようになる。これはどんな魚でも同様であるのだが、海の魚の場合は最も沖を流れる黒潮や対馬暖流といった地球単位での潮流の他、豊後水道や紀伊水道といった水道の流れ、湾内を流れる湾流、そして満ち引きによる潮流の変化が複雑に作用し合う結果、人間にはとうてい計算し切れない状況になってしまうのだ。しかしこれが、ブラック・バスが主に生息する緩やかな流れはあるが、止水域と呼ばれるところでは作用する要素が減って計算がかなりし易くなる。
つまり、季節ごとの付き場が判ってしまい、それが読めるようになると、極論を言えば、毎年同じ時期に同じ場所で、同じパターンで釣れてしまうことが多いのだ。また、ブルーギルのようなエサ取り的存在も居るには居るが、困る程には存在せず、つつかれることがあっても、使うハリが大きいことが多いため、結果的に掛かるのはバスになることが殆どだ。そのあたりのイージーさを如実に感じ取ってしまうと、勝手な解釈だが、「やり尽くし感」を感じてしまい、ボクが飽きるのは早かった。
ただし、ここまではボクのような一般釣り師レベルでの話であることをことわっておく。もしこれがプロを始めとするトーナメントの釣りになると、話は変わる。誰もが考えつくパターンでポイントを選定すると、皆が一斉に同じポイントへと集中することになるからだ。そのため、”他人の読み”をハズした行動も採らなければならず、そうなると、選択しなければならない範囲も広がってくる。だからこそ、この魚のトーナメントが盛んに行われているのだろうが、他人と競い合って狙うことでこの魚の価値は上がるのだと思う。
●一財産あるのだが…●
残念ながら?、ボクのブラックバス釣りは、トーナメントに参加することなく、一般釣り人のままで終わってしまった。よって、この魚の釣り味を正確に評価することは難しいが、一応10段階の6としておこう。
■ブームの盛衰■
ブラック・バス釣りが一時ブームにもなった背景をボクはこう考えている。
「主人公である釣り人が竿というお供を連れてボートに乗って旅に出る。」そして「その季節や天候などに合わせたポイントに向かい、アイテムであるルアーやワームを駆使してブラック・バスをゲットする。」
つまりはこの一連の流れに、ロールプレイングゲーム的要素があったから、ゲーム世代にウケたのだと思う。
だが、ブームは数年で去ってしまった。これは、極端なことを言うと、一種類のルアーに対してそれを投入し、動かすための専用竿が必要になり、効率を求めれば岸から釣るよりもボートから狙う方が有利になるから、それを所有する、もしくはレンタルするコストと操船免許を取得する経費、そして釣り場に向かうための車とそれに入れる燃料費を含めると、かなり経費を負担せねばならず、それがデフレ続きだった時流には受け入れられないことが大きかったのだと思う。
また、ブーム後半になると資源量が減って「チョっとバス釣りでも始めようか?」という初心者には、なかなか釣れにくくなってしまったことの影響も大きかった。更には害魚としての扱いを受け、琵琶湖のように「釣った外来魚はリリースが禁止とされ、釣り人に(結果的にだが)殺処分を求める」とした条例が成立した地域もあって、その施行に際しての混乱が大きかったこともブームの火消しに作用したのだと思う。
元々そこに居なかった魚が繁殖したことは、放流した側に責任があるので、条例の成立自体は仕方のないことだと思うが、「この条例の効果が果たしてあったのかどうか?」については、毎日新聞の2013年5/30版「http://mainichi.jp/area/shiga/news/20130530ddlk25010464000c.html」を参照して欲しい。もっとも、この紙面を見る限り、条例成立前の反対側にまわっていた釣り人側が立てていた予想が、ある程度当たっていたかのように思えるのは皮肉な結果だが…。
■ブラック・バスの食い味■
もしも、一般的にブラック・バスを食する習慣があったのならば、漁業資源としての活用もできて、この魚の運命も変わっていたのだと思うが、釣った経験のある側から言わせてもらうと、釣り上げてすぐに感じるほどに強い、淡水魚独特の「青臭く、かつ泥臭い」ような臭いは食欲をそそるものではなく、食う気は全く起こらなかった。ブラック・バスの身を使い、フィレ・オ・フィッシュのように仕上げたバス・バーガーも一時は各所で紹介されていたが、半ば無理矢理の感もあるし、臭みを消す下処理が大変で、普及には至らなかったようだ。そのため、食い味が評価外になるのは当然だ。
■ブラック・バスの総合評価■
引き味そのものは魚全般の中で比較すると、強烈という程ではなく、動きも鈍重に思えるが、反面、水面からジャンプしたりと派手な動きもあって、ある程度楽しめるし、淡水魚の中では引きが強い部類に入ることは確かだ。また、トップウォーター・プラグという表層を狙うルアーを使って、水面に飛び出す個体を狙ったり、ラバージグを使って中層の食い上げアタリをとったり、アシの中にスピナーベイトをブチ込んだり、深場で深層を潜るクランクベイトを引いたりと、季節や魚の状態に合わせていろんな釣法で釣り上げた思い出を辿ってみると、今でも魅力を感じる部分もあるが、如何せん普通に食えないことには総合評価の付けようがないから、記さずにおく。
所有していたアルミボートを売却して以降は、この釣りに合わせて取得した船舶操縦免許も更新のみで、全くのペーパー操縦士状態になっているうえ、上述しているようにルアー類もタックボックス内に眠っている状態だ。「再チャレンジを」と、時たま考えることもあるが、「完全フカセ釣り」、「たて釣り」、「渓流釣り」と、季節ごとに各種の釣りがスケジュールを埋めてしまうので、時間が全くとれないままに今日に至っているのが現状だ。
嗚呼、山のようにある各種のルアーは、このままタックルボックスの肥やしになってしまうのだろうか…。
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