都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
江戸時代の江戸の町では、不要なものはほとんどなかったそうです。どんなものでも誰かが再利用し、何らかの目的で使われた社会であったことが知られています。不用品で残るのは、塵芥(ちりあくた)のみだったといわれるほどだったとか・・・。
※塵・芥:ほこり・くずゴミ
もちろん、今ほどではないにしろ、江戸は大都市でした。物資が不足していたわけではないのですが、9割以上の物は再利用されていたそうです。
破れた服、壊れた諸道具は、修理屋へ持っていって直してもらい、再利用しました。
例えば傘などは、穴が開いても捨てずに別の傘の油紙を利用して張り直し、いらなくなった傘の油紙のほうは、鮮魚や漬物の包み紙として利用したそうです。
また、不用になった物はすべて売り払われました。例えば、服なら古着屋に、道具なら古道具屋に、といった具合です。もちろん、これらは誰かが購入し、再利用して物としての命を得ていたのです。
人々が捨てた紙ごみは、紙屑屋がきれいに拾い集めて、漉き直し再生紙として売られました。川に沈殿している金属類は、古金屋が川底をさらって引き上げ、ナベや釜に鋳直して販売されました。人間の糞尿も、農家が金品や野菜と引き換えに引き取っていきました。江戸時代は多くの人々が長屋にすんでいました。この長屋は共同便所があり、糞尿の収入は大家のものだったそうです。
こうして江戸の町に残るゴミは、生ごみと塵・芥ぐらいのものだったそうです。幕府は、江戸の町のゴミ最終処分場を明暦元年(1655年)に隅田川河口の永代浦に捨てるように触書を出したそうです。埋立地は、元禄9年(1696年)からは永代島新田・砂田新田(現・江東区)に移り新田造成をしたのです。
江戸時代に塵芥を捨てて造り出された土地は、約四十万坪あったと言われています。
江戸時代、日本を訪れた外国人は、江戸の町が他の大都市と比べ、町にゴミ一つない町であることに感嘆の声をもらしたといいます。
14世紀から18世紀にかけてのロンドン、パリをはじめとする都会では、排泄物を窓から道へ捨てるのがごく普通の処理法だったそうです。
物にあふれ、ゴミ問題に悩む現代人が見習うべきところは、たくさんありそうですね。
「もったいない」という日本語の原点がここにあるような気がします。
明日は、江戸の町のリサイクル・修理再生業者について、考えてみましょう。
したっけ。