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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「桜の花が散った夜」

「江戸時代のリサイクルシステム」について考える―1―

2011-05-07 09:35:09 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 江戸時代の江戸の町では、不要なものはほとんどなかったそうです。どんなものでも誰かが再利用し、何らかの目的で使われた社会であったことが知られています。不用品で残るのは、塵芥(ちりあくた)のみだったといわれるほどだったとか・・・。

※塵・芥:ほこり・くずゴミ

もちろん、今ほどではないにしろ、江戸は大都市でした。物資が不足していたわけではないのですが、9割以上の物は再利用されていたそうです。

破れた服、壊れた諸道具は、修理屋へ持っていって直してもらい、再利用しました。

例えば傘などは、穴が開いても捨てずに別の傘の油紙を利用して張り直し、いらなくなった傘の油紙のほうは、鮮魚や漬物の包み紙として利用したそうです。

 また、不用になった物はすべて売り払われました。例えば、服なら古着屋に、道具なら古道具屋に、といった具合です。もちろん、これらは誰かが購入し、再利用して物としての命を得ていたのです。

 人々が捨てた紙ごみは、紙屑屋がきれいに拾い集めて、漉き直し再生紙として売られました。川に沈殿している金属類は、古金屋が川底をさらって引き上げ、ナベや釜に鋳直して販売されました。人間の糞尿も、農家が金品や野菜と引き換えに引き取っていきました。江戸時代は多くの人々が長屋にすんでいました。この長屋は共同便所があり、糞尿の収入は大家のものだったそうです。

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 こうして江戸の町に残るゴミは、生ごみと塵・芥ぐらいのものだったそうです。幕府は、江戸の町のゴミ最終処分場を明暦元年(1655年)に隅田川河口の永代浦に捨てるように触書を出したそうです。埋立地は、元禄9年(1696年)からは永代島新田・砂田新田(現・江東区)に移り新田造成をしたのです。

 江戸時代に塵芥を捨てて造り出された土地は、約四十万坪あったと言われています。

江戸時代、日本を訪れた外国人は、江戸の町が他の大都市と比べ、町にゴミ一つない町であることに感嘆の声をもらしたといいます。

14世紀から18世紀にかけてのロンドン、パリをはじめとする都会では、排泄物を窓から道へ捨てるのがごく普通の処理法だったそうです。

物にあふれ、ゴミ問題に悩む現代人が見習うべきところは、たくさんありそうですね。

 「もったいない」という日本語の原点がここにあるような気がします。

 明日は、江戸の町のリサイクル・修理再生業者について、考えてみましょう。

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したっけ。

コメント (10)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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