都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
カステラというお菓子があるが、16世紀の天正年間(1573年~1592年)ごろにポルトガルから長崎に伝えられたとされています。では、「カステラ」は何故「カステラ」となったのか。
その1
オランダ人の持っていたお菓子を、長崎奉行の侍が何という物かと尋ねたところ、カステラと聞こえた。実はカステラの入っていた箱に描いてあるお城のことを聞かれたと勘違いして、オランダ人は「kasteel(カステーロ=城)」と答えたのが、「カステラ」になったという。
その2
カステラの語源は、ポルトガル語の「pao de Castelra(パオ・デ・カスティーリャ)」(カスティーリャ地方のパンの意味だそうです。パオ・デ・カスティーリャ地方とは、イベリア半島の中央部に位置する標高600~700mの高原だそうです。
当時、スペインはカスティーリャ王国が支配していたが、その「カスティーリャ」はラテン語で「城」を意味する「castellum」の複数形「castella」に由来するそうです。城塞(じょうさい)の多い地方という意味だそうです。
ポルトガル人から新しい菓子をいただいた日本人が「なんという菓子か」と尋ねたところ、ポルトガル人が「どこの国の菓子か」と聞き違えて「カステーラ」と答えたそうです。
ポルトガル人は「カスティーリャ」を「カステーラ」と発音していたので、それを日本人は菓子の名前だと思ったから、「カステラ」になったのだそうです。
その3
ポルトガル人が菓子をある日本人に皿にのせて差し出した。その菓子を食べ終えた時、日本人が「これは何か?」と、菓子がのっていた皿を指差した。
するとポルトガル人は、てっきり、皿に描かれている城の絵のことを指していると思い、城を意味する「castelo(キャステーロ)」と返答した。
それを聞いた日本人がその菓子が「カステラ」という名前だと思ってしまった。それで「カステラ」になったのだそうです。
諸説あるが、「城」を意味する「kasteel」、「castella」または、「castelo」が関係していることは間違いなさそうです。その2の説が有力だそうです。
一般的な説では16世紀の室町時代末期に、ポルトガルの宣教師によって長崎周辺に伝えられたとされています。当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものであり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いないことから、乳製品を生産、常用しない当時の日本にも残ることができたといわれています。
このカステラは江戸時代初期には全国に広がったが、特にカステラが長崎で盛んになったのは江戸幕府が鎖国により長崎しか外国との貿易ができなくなったことに関係しています。
長崎だけが外国から多くの砂糖を取り入れることができたことにより、長崎でカステラ作りが盛んになったのです。
したっけ。