都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
ワインが日本に始めて持ち込まれたのは、いつごろなのでしょう。
天文18年(1549年)、スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に上陸し、キリスト教とともにヨーロッパの文化をもたらしました。これは、学校で習いましたね。
そのほかに、彼が持ってきたものは、時計や眼鏡、鏡、書籍、絵画、コーヒー茶碗などでしたが、その中にポルトガルのぶどう酒も混じっていました。これは大内義隆(おおうちよしたか)への献上品の記録からわかっているそうです。
大内義隆(おおうち・よしたか)1507~1551 周防・長門の戦国大名。周防国(すおうのくに)は、現在の山口県の東南半にあたる。長門国(ながとのくに)は、現在の山口県の西半分に当たる。
宣教師にとって、ぶどう酒は必需品でした。それは、ぶどう酒がキリスト教の象徴とされ、ミサ聖祭には欠かせないものだったからです。
このワインは、ポルトガル北部ポルト港から出荷されたワインでした。これをポルトガル語で「ヴィーニョ・ド・ポルト(vinho do Porto)」といい、英語では、「ポート・ワイン(Port Wine)」となります。
日本の酒税法上では甘味果実酒に分類されます。ポルト・ワインともいわれます。
ポート・ワインは、まだ糖分が残っている発酵途中にアルコール度数77度のブランデーを加えて酵母の働きを止めるのが特徴です。この製法によって独特の甘みとコクが生まれます。また、アルコール度数は20度前後と通常のワインの10~15度に対し5~10度程も高く、保存性が非常に優れている。このためポート・ワインは一度封を切っても通常のワインのように急激な風味の劣化、変化が起こることはなく、またタンニンの多少によらず長期保存が可能なのです。
ベースとなるワインはあちらこちらで作られていますが、最終的に熟成する地域が指定されていて、そこで最低3年間、樽の中で熟成されたものだけが、ポートもしくはポルトと呼ぶことができるのだそうです。長いものは樽の中で40~50年と熟成を経て、だんだん香りを芳醇にして味わいをまろやかにしていくそうです。
赤と白があり、赤は輝くルビー色で「ポルトガルの宝石」と称されているそうです。一般に、白は「食前酒(アペリティフ)」としておつまみなどと一緒に、赤は「食後酒」としてチョコレートや葉巻などと一緒に飲まれています。
ただし、ザビエルが持ってきたのは、この甘いポート・ワインだったのか、それとも甘くないテーブル・ワインだったのかは、わかっていないそうです。
したっけ。