都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
トキワヒメハギ(常盤姫萩) ヒメハギ科 ヒメハギ属
ポリガラ・カマエブクス
学名:Polygala chamaebuxus var. grandiflora(var. purpurea)
花期:4-7月
高さ:5-20cm
花弁数:蝶形
常緑低木
葉:茎は木質で匍匐(ほふく)し、分岐しながら上に伸びる。枝の下部につく葉は倒卵状、丈夫につくものは披針形~楕円形。長さは1~1.5cm。
花:マメ科の蝶形花に似ている。葉腋につき、側萼片は2枚、長さ1~1.5cmの花弁状、白~黄色、のちに橙赤~紫色へと変化するものもある。下萼片は黄色または橙色で稜があり、先端に房状の付属体がある。
基本種であるカマエブクスス種は高さ15~30cm程度の匍匐性小低木で、白または黄色の花が、葉腋に1~2個着きます。そして、花弁の先が赤色味を帯びることがあります。
本種は、その変種のグランディフローラで、花弁の先端が黄、翼弁が紫紅色で、たいへんに目立ち、そのコントラストが美しい種類です。トキワヒメハギ(常盤姫萩)の名で流通しています。
したっけ。
テキーラが生まれたのは、まったくの偶然がきっかけでした。
18世紀半ばスペインによるメキシコ統治時代、ハリスコ州の西方に位置するシエラマドレ山脈のメキシコ、テキーラ村に程近いアマチタリャで大きな山火事が起こりました。この山にはサボテンだけでなく、竜舌蘭(りゅうぜつらん:マゲイ)が繁茂していました。
焼け跡には黒焦げになった竜舌蘭(マゲイ)がたくさん転がっていました。あたり一面に漂う匂いに不思議に思った村人がその1つを押しつぶしてみると、中からチョコレート色の汁が滲み出してきました。舐めてみると上品な甘さがありました。竜舌蘭(マゲイ)の株が熱で砂糖に変わっていたのです。
原産国メキシコのイメージから、テキーラはサボテンで作られている酒だと誤解している人もいますが原料は竜舌蘭というアロエに似た彼岸花科常緑草です。メキシコでは竜舌蘭はアガベ(Agave)、またはマゲイ(Maguey)、メスカル(Mezcal)と呼ばれています。
その後スペイン人がこの汁を絞って発酵させ、蒸留し、無色の蒸留酒を造りました。こうして出来上がったのが、テキーラなのです。
それから蒸留工場は良質の竜舌蘭を求めてテキーラ村に集まりました。ということでここテキーラ村が本場となりました。
テキーラ(Tequila)の原料は、という植物の根茎。竜舌蘭は多種ありますが、その中でもメキシコ市の北西、ハリスコ州テキーラ村特産のアガベ・アスール・テキラーナ種Azul Tequilana)で造られた酒だけを「テキーラ(Tequila)」と呼ぶそうです。
それ以外の竜舌蘭で製造された酒はメスカルと呼ばれるそうです。
樽熟成させないホワイト・テキーラと、熟成させた淡黄色のゴールド・テキーラがあります。アルコール度数は40~50%。カクテルではホワイト・テキーラがよく使用される。
テキーラ(Tequila)の語源は原料であるアガベ・アスール・テキラーナ (Agave Azul Tequilana)の産地ハリスコ州の町サンティアゴ ・デ・テキーラ(Santiago de Tequila)の名前からきている。この町は単にテキーラと呼ばれるのが一般的だそうです。
したっけ。
オオツリバナ(大吊花) ニシキギ科 ニシキギ属
学名:Euonymus planipes
花期:晩春~初夏
本州、中部地方以北から北海道、南千島それに朝鮮半島、中国東北部に分布しています。山地帯から亜高山帯の沢沿いに生えます。葉は卵形から長楕円形で対生します。5月から6月ごろ、葉腋から長さ 7 ~ 15 センチの柄を出し、直径 8 ミリくらいの淡緑白色の花を 10 数個つり下げます。
蒴果は9月に熟し割れて紫紅色に吊り下がります。この実が赤い花が咲いたようにキレイなのです。語源はこの実を花に見立てたものではないのでしょうか?
花は、最後の写真をよーく見るとわかると思います。黄緑の花びらです。
したっけ。
ワインが日本に始めて持ち込まれたのは、いつごろなのでしょう。
天文18年(1549年)、スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に上陸し、キリスト教とともにヨーロッパの文化をもたらしました。これは、学校で習いましたね。
そのほかに、彼が持ってきたものは、時計や眼鏡、鏡、書籍、絵画、コーヒー茶碗などでしたが、その中にポルトガルのぶどう酒も混じっていました。これは大内義隆(おおうちよしたか)への献上品の記録からわかっているそうです。
大内義隆(おおうち・よしたか)1507~1551 周防・長門の戦国大名。周防国(すおうのくに)は、現在の山口県の東南半にあたる。長門国(ながとのくに)は、現在の山口県の西半分に当たる。
宣教師にとって、ぶどう酒は必需品でした。それは、ぶどう酒がキリスト教の象徴とされ、ミサ聖祭には欠かせないものだったからです。
このワインは、ポルトガル北部ポルト港から出荷されたワインでした。これをポルトガル語で「ヴィーニョ・ド・ポルト(vinho do Porto)」といい、英語では、「ポート・ワイン(Port Wine)」となります。
日本の酒税法上では甘味果実酒に分類されます。ポルト・ワインともいわれます。
ポート・ワインは、まだ糖分が残っている発酵途中にアルコール度数77度のブランデーを加えて酵母の働きを止めるのが特徴です。この製法によって独特の甘みとコクが生まれます。また、アルコール度数は20度前後と通常のワインの10~15度に対し5~10度程も高く、保存性が非常に優れている。このためポート・ワインは一度封を切っても通常のワインのように急激な風味の劣化、変化が起こることはなく、またタンニンの多少によらず長期保存が可能なのです。
ベースとなるワインはあちらこちらで作られていますが、最終的に熟成する地域が指定されていて、そこで最低3年間、樽の中で熟成されたものだけが、ポートもしくはポルトと呼ぶことができるのだそうです。長いものは樽の中で40~50年と熟成を経て、だんだん香りを芳醇にして味わいをまろやかにしていくそうです。
赤と白があり、赤は輝くルビー色で「ポルトガルの宝石」と称されているそうです。一般に、白は「食前酒(アペリティフ)」としておつまみなどと一緒に、赤は「食後酒」としてチョコレートや葉巻などと一緒に飲まれています。
ただし、ザビエルが持ってきたのは、この甘いポート・ワインだったのか、それとも甘くないテーブル・ワインだったのかは、わかっていないそうです。
したっけ。
世界で最初に空中を飛行したのは、ライト兄弟によるもので、1902年のことだそうです。飛行時間12秒、飛行距離36.6メートルを達成した。今から120年ほど前の話です。
その後第一次世界大戦(1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。)を経て、飛行機は急速に進歩を遂げました。
そして画期的な出来事を迎えます。アメリカの飛行士チャールズ・A・リンドバーグによる、初の単独大西洋無着陸飛行です。
アメリカの〒飛行会社のパイロットをしていたリンドバーグは、オルティーグ賞に挑戦することを夢見ていた。オルティーグ賞(-しょう、Orteig Prize)は、ニューヨーク市からパリまで、またはその逆のコース、6,000キロを無着陸で飛んだ最初の連合国側の飛行士に対して与えられる賞で、ニューヨークのホテル経営者レイモンド・オルティーグによって提供された。賞金は25,000ドルであった。多くの飛行士が名乗りを上げましたが、実際に挑んだのは一機だけであったといわれています。
当時の無着陸飛行の記録は5,000キロだったとはいえ、大西洋上を飛行するのですから、途中でリタイアすれば死が待っているという大冒険だったのです。
ライト兄弟から25年後、36.6メートルから6,000キロはあまりにも遠い距離だったのです。
1927年5月20日、リンドバーグは、「スピリット・オブ・セントルイス」に乗って、前夜は準備のため眠れぬままニューヨークをスタートしたといわれます。そして、不眠不休の33時間後に、「パリの灯」を見たのです。
「翼よ!あれが巴里の灯だ」として、1957年アメリカでジェームス・スチュアート主演により映画になった大冒険だったのです。映画では単独飛行ではなく、ハエが一匹同乗していたようです。
何故リンドバーグは、不眠不休の大冒険にたった一人で挑戦したのでしょうか。二人なら交代ができてより確実と思われるのですが・・・。
それは、できるだけ燃料の消耗を少なくするためだったのです。リンドバーグは当時危険の多かった単発機(プロペラ1機)を選んだのです。さらに、パラシュートも持たないほど軽量化に徹底したのです。
同時期に、この大冒険に挑もうとしていた他の飛行士たちは、大型の三発機(プロペラ3機)で飛行することを計画していました。しかし、リンドバーグには、そんな大型機を購入する資金などなかったのです。
パリに降り立ったリンドバーグを待ち受けていたのは「時代のヒーロー」と言う名声でした。無名の25歳の青年の名は、瞬く間に世界中に広がったのです。
フライトの後の歓迎会でのリンドバーグの挨拶はたった一言だったそうです。
「おしゃべりなオームは長く空を飛ぶことが出来ません」だったそうです。「翼よ!あれが巴里の灯だ」などという気障なせりふは喋らなかったということです。
彼は2年後に結婚し、その翌年に長男が生まれました。しかし、1932年にリンドバーグは思わぬ事件に巻き込まれてしまいます。
長男が誘拐され、2ヵ月後に死体で発見されたのです。これが、「リンドバーグ・ジュニア事件」といわれ、本人はもとよりアメリカ中に大きな衝撃を与えたのです。
これを機会に、幼児の誘拐は死刑という、「連邦誘拐処罰法」、通称「リンドバーグ法」が制定されたのです。
有名になった代償はあまりに大きなものだったのです。
したっけ。
ボケ(木瓜) 学名:Chaenomeles speciosa バラ科ナシ亜目ボケ属
花期:春
属名:Chaenomeles(カエノメレス)は、ギリシャ語の「chaino(開ける)+melon(リンゴ)」が語源。種名:speciosa(スペシオーサ)は、 美しい、華やかなという意味だそうです。
赤色・ピンク色・白色。直径2.5~3.5㎝。数個がかたまって咲く。
高さ2m。とげ状の小枝がある。
中国原産の園芸用花木で,年末から早春にかけてさく早ざきの品種が好まれ,よく栽培されている。日本原産のクサボケは,高さ1mの低木で、日あたりのよい山すそのしげみに野生している。ともにウリに似た実をつける。
7~8月に黄色に熟して香ります。果実酒にして疲労 回復、整腸に効果があるそうです。
何故、木瓜と書いてボケと読むのでしょう。瓜のような実がなる木ということから「木瓜(もっけ)」と読んでいたものが「もけ」、「ボケ」に変化したようです。
したっけ。
変若水(おちみず、をちみづ)と言う言葉があります。飲めば若返るといわれた水です。月の不死信仰に関わる霊薬の一つといわれています。人間の形態説明の一部としても形容される言葉です。
「月夜見の持てる変若水(をちみず)」
つく‐よみ【月夜見/月読み】
《月齢を数える意から》1 月の神。つきよみ。
大辞泉
ツクヨミ(ツキヨミ)は、日本神話の神である。
『記紀』においては、伊弉諾尊(伊邪那伎命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。月を神格化した、夜を統べる神であると考えられている。天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、素戔嗚尊(建速須佐之男命・たてはやすさのを)の兄神にあたる。
供若水(わかみずをそなう): 若水とは生気(吉方)の方の井戸よりくんだ水のこと。これを飲めば一年中の邪気を祓うという民間信仰があった。
そして、ある種の水を若返りの水として神聖視する信仰は、万葉集においては「変若水」や若返りを詠んだ歌に散見されており、単純な文学的表現とは考えにくいので、これらの歌表現の背景に「若水」信仰が存在したのではないかと考えられているようです。
日本神話における「月神(がつじん)」、「月夜見(つくよみ)」も変若水の信仰に関わりを持っており、『萬葉集』の中で「月夜見」は、若返りの霊水「をち水」を持つ者として登場します。
巻13の歌には、「天橋(文) 長雲鴨 高山(文) 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取來而 公奉而 越得之(旱)物」
>天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りてをち得てしかも(3245)
>天に上がる梯子も もっと長かったら良いのに。 あの高い山も一層高かったらなぁ。 そうすればそこに上り、月の神が持っている若変水(をちみず)を この手に取ってきて、君に奉り、若返りしてもらいたいのに・・・
反歌「天有哉月日如 吾思有 君之日異 老落惜文」
>天なるや 日月のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも(3246)
>天にある 月日のように 思える君 日過ぎ行きて 老い行くは ああ惜しや
という歌が見られ、年老いていく人を嘆いて、どうにかして天にいる「月夜見」が持つという「をち水」を取り、あなたに奉りたいと若返りの願望を詠んでいます。
万葉集中に「をち水」を詠んだ歌は幾つか見られ、いずれの歌にも年老いた者を若返らせる「をち水」を求める切実な心が詠み込まれているのです。
「アカリヤザガマの若水と死水」
「月と若返りの水」の結びつきは、ロシアの東洋学者ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ネフスキーが著した『月と不死』(東洋文庫)に採集された、沖縄の民族伝承にも語られています。
むかしはむかし、それは大昔の事でありました。この美しい宮古(島)に始めて人間が住むようになったときのことだそうです。
美しい心の持ち主であられた、お月様とお天道様は、人間をいつまでも変わらぬ美しさを保ち長寿の命を授けてあげようと、アカリヤザガマを節祭の夜にお呼びになられました。
お月様とお天道様はアカリヤザガマに2つの桶を渡し、こうおっしゃいました。
「この桶の1つには変若水(シジミズ)、もう一方の桶には死水(シニミズ)が入っています。この変若水を人間に浴びせて世が幾度変わっても生まれ替わるように長命を持たせなさい。そして蛇には肝心(きもごころ)がないので死水を浴びせなさい」
こうしてアカリヤザガマは重たい桶を2つ持って節祭の夜に島へ使者として旅立ちました。
アカリヤザガマは天から長い旅をして降りてきました。重たい桶を担ぎっぱなしだったので、とても疲れてしまい草むらに臥せて体を休めようと、担いできた桶を傍に置き、道端で小便をしていたところ、その隙に何処からともなく一匹の大蛇が現れました。
その大蛇は人間に浴びせるはずの変若水をジャブジャブ浴びてしまいました。アカリヤザガマは驚いて「いやはや、これはなんとしよう。まさか蛇の浴び残しを人間に浴びせるわけにもいかないし。・・・こうなったら、仕方が無いから死水の方を人間に浴びせよう」と泣き泣き死水を人間に浴びせてしまいました。
アカリヤザガマは気が重かったのですが、そのまま天まで昇り、ことの次第をお月様とお天道様に報告しました。
お月様とお天道様はたいそうお怒りになられ「長命や美しさを守ろうと思っていましたが、アカリヤザガマ!お前のために心づくしが台無しになってしまいました。お前の人間に対する罪は償いきれるものではない。人間のある限り、そして宮古(島)が青々としている限り、その桶を担いで永久に立っていなさい!」
こうして今でもなお、お月様の中に桶を担いで罪の償いをしているアカリヤザガマが見えるのだそうです。
それ以来、蛇は脱皮して生まれかわる不死の体を得た一方、人間は短命のうちに死ななければならない運命を背負ったということです。
月と太陽の慈悲がかえって人の死という悲劇の誕生となったが、神は人を哀れみ、少しでも若返りできるよう、その時から毎年、節祭の祭日に「若水」を送ることとなった。これが「若水」の行事の起こりであるとされています。
節祭(スツウプナカ):5月20日ころの「壬辰(みずのえたつ)」と「癸巳(みずのとみ)」の2日間にわたって行われる。豊年の感謝と豊穣を祈願する伝統祭祀である。祭場(シュニ)では、魚料理や神酒を供えて豊年を祈願する。古くから神々しい厳粛な祭りとして受け継がれてきた。
「月夜見の持てる変若水(をちみず)」、あなたも欲しいですか?
永遠に生き続ける勇気、あなたにありますか?
※「竹取物語」にも不死の薬が書かれています。下記を参照ください。
したっけ。