都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「和蝋燭」は櫨(はぜ)」の木の果実からとれる「木蝋(もくろう)」を「藺草(いぐさ)」と「和紙」からなる「芯」に塗り重ねて成形されています。純粋に植物性です。漆(うるし)など他の素材もあったそうですが、経済性からほぼ消滅したようです。
「木蝋」は櫨の実の外殻を冷暗所で乾燥し、蒸してから絞り蝋を取り出すそうです。
「洋蝋燭」は元来、溶けた蜜蝋(みつろう)に芯を何度もつけて作られていたが、現在では主に「石油パラフィン」と「ステアリン酸の蝋」を、芯を入れた型に流し込んで成形されています。
「和蝋燭」はススが出ます。ただ出た煤(すす)が植物性なので「洋蝋燭(パラフィン)」のような付着性がないそうです。サラサラした煤だそうです。
お寺などで20年、30年して仏像の洗浄をしたときに金箔を傷めていないので修復代が安く上がるそうです。又出たスススが虫食いの予防になるという説もあって国宝級の仏像などにもよいといわれています。
おそらく和蝋燭を語る時に一番よく説明されるのがこれでしょう。炎を見つめていると心が和みます。
それは、芯が蝋を吸い上げる時に風がなくても揺らぐからです。それがお仏壇であれば「仏様が喜んでいらっしゃる」と云う表現をするそうです。
お茶席や料亭であれば「情緒豊かななあかり」という事になるのでしょうか・・・。
ゆらぎ【揺らぎ】
1 ゆらぐこと。動揺すること。「自信の―」
2 ある量の平均値は巨視的には一定であっても、微視的には平均値と小さなずれがあること。また、そのずれ。気体分子の熱運動、光の散乱、ブラウン運動などにみられる。
大辞泉
これを「1/fゆらぎ」といいます。自然界におきる「ゆらぎ」の中で普遍的な現象ということが分かっています。
1/fゆらぎ (エフぶんのいちゆらぎ) とは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。ピンクノイズとも呼ばれ、自然現象においてしばしば見ることができる。具体例として人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、目の動き方、木漏れ日、物性的には金属の抵抗、ネットワーク情報流、蛍の光り方などが例として挙げられる。
ウィキペディア
打ち寄せる波の音、小川のせせらぎ、風の吹き方、木漏れ日、太陽光、蛍の光など自然界の「ゆらぎ」は例外なくこの「1/fゆらぎ」の特性を有するといわれます。
また、蝋燭の炎の揺れや電車の揺れなど人間がつくった「人工物のゆらぎ」も、計測してみると「1/fゆらぎ」であると判明したそうです。
更に重要なのは、自然の生き物である人間の脳波のリラックス時に優勢になるα波や、眼球の動き、心臓の鼓動も「1/fゆらぎ」を有しているということがわかってきたそうです。
そのため現在では、人間は「1/fゆらぎ」の中に身をおくと、自然と心地よくなるということがわかってきました。「1/fゆらぎ」が人体に心地よい理由と推測されるようになっています
「和蝋燭」の火は時には、静かに燃え、時には瞬きしているかの如く揺れるのが特徴だそうです。
先ず、蝋燭の燃焼は芯が融解した蝋を吸い上げ、それが、燃えます。融解した蝋が吸い上がった時は、蝋の供給が最大のため炎は大きくなり揺れるのです。
しばらくすると、その蝋は燃焼によって無くなります。芯は燃える物がなくなりますから、一段下がります。この蝋が燃えて燃える物がなくなった時、炎は小さく一番安定します。これが繰り返されて蝋燭の燃焼は成立しています。これが、「揺らぎ」なのです。
「和蝋燭」は火力が強いので多少の風で消えないといわれます。屋外の使用にも適しているそうです。
「和蝋燭」の芯は和紙の上に藺草の灯心草を巻きつけたものや和紙だけの紙芯を使います。これは木蝋(もくろう)の粘りが強いためそれを吸い上げる為にはこのような芯を使う必要があったということです。
したっけ。
「どっこいしょ!」という言葉には、「人はいつからオバサンになるのか?」という重大な問題の答えが秘められています。
「立つときはともかく、座るときにどっこいしょというようになったら、もうオバサンかも・・・」と思っている女性は多いかもしれません。
この「どっこいしょ!」、の語源は以外にも「何処へ(どこへ)」という掛け声だといいます。
この「どこへ」はもともと感動詞で、相手の発言や行動をさえぎる時に使う言葉です。
昔、勝負事などで、相手の気勢をそらすために、「何処へ行くんだ。そうは行かさないぞ。」というような意味をこめて「何処へ」と声をかけたそうです。
「なんの!」や「どうして!」などと同じように思わず力が入る言葉だったのです。江戸時代には歌舞伎にもよく出てきたそうです。
「どこへ!」が「どっこい!」となり、さらに「どっこいしょ!」と転訛したといわれています。相撲で「どすこい!」と言うのも、この「どこへ」が語源のようです。
この「どっこいしょ!」が、いつの間にか自分への励ましの言葉に代わって言ったのです。
またこんな説もあります。日本は、古くから山には神様や祖先の霊がいるとする山岳信仰がありました。その信仰の対象として山に登る風習がありました。その際、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながらのぼっていたのです。
六根とは、仏教の世界で「目」・「鼻」・「耳」・「舌」・「身」・「意(心)」のことをいい、これらは世間とふれあう部分のため、穢れを清めるために「六根清浄」と唱えたのです。「ろっこんしょうじょう」が「どっこいしょ」と聞こえたのではないかという説です。
どちらにしても、不思議でならないのは、子どもは「どっこいしょ!」とは言いません。しかし、大人になると自然に「どっこいしょ!」が口をつきます。
あなたが初めて「どっこいしょ!」といったのは、幾つのときでしょうか?
したっけ。
さて、今回あなたの与えられた使命は・・・。下記に、「都」「国内」「家」「といった場所をはじめ、いろいろな人物(庶民や貴族、召使等)を意味する超難読熟語を十六組集めてみた。この中に三つだけ「美女」を意味する熟語が含まれている。それを探して欲しい。間違って「牢屋」を選んでも、当局は一切関知しない。健闘を祈る。
① 九衢
③ 黔首
④ 巫覡
⑤ 翠黛
⑥ 華胄
⑦ 扈従
⑧ 冢宰
⑨ 囹圄
⑩ 瓠犀
⑪ 瓊戸
⑫ 傾城
⑬ 臧獲
⑭ 巨擘
⑮ 釐婦
⑯ 臥榻
① きゅう‐く[キウ:]【九衢】-日本国語大辞典
〔名〕都市の各方に通ずる街路。都大路。転じて、都。
② しょう‐しょう【蕭牆】大辞泉
君臣の会見する所に設けた囲い。転じて、内輪(うちわ)。一族。また、国内。 「禍既に―の中より出て」〈太平記・九〉
しょうしょう‐の‐うれえ【蕭牆の患え】
《「韓非子」用人から》一家の内部に起こるもめごと。うちわもめ。蕭牆の禍(わざわい)。
③ けん‐しゅ【黔首】大辞泉
《「黔」は黒い色。古代中国で、一般民衆は何もかぶらず、黒い髪のままでいたところから》人民。庶民。 「賢王、聖主の普(あまね)き御恵を黎元(れいげん)―までに及ぼし給ふこと」〈十訓抄・一〉
④ ふ‐げき【巫覡】大辞泉
神に仕えて、祈祷や神おろしをする人。「巫」は女性、「覡」は男性にいう。巫者。 「―卜相(ぼくそう)の徒の前に首(こうべ)を俯せんよりは」〈露伴・運命〉
⑤ すい‐たい【翠黛】大辞泉
1 青っぽい色のまゆずみ。また、美人のまゆ。2 緑にかすんで見える山の色。
《補足》「翠」は「かわせみ」、「みどり」という意味ですが、「みどりの黒髪」が美しい髪の形容詞であるように、「髪」や「眉」を表す文字と結びついて「美しい」「美人」の意味を表します。
⑥ か‐ちゅう【華胄】大辞泉
《「胄」は血筋の意》貴い家柄。名門。貴族。
⑦ こ‐しょう【扈従】大辞泉
[名](スル)貴人に付き従うこと。また、その人。こじゅう。 「殿上人や上達部(かんだちめ)がなお相当に―していて」〈谷崎・少将滋幹の母〉
⑧ ちょう‐さい【冢宰】大辞泉
中国、周の六卿(りくけい)の一。天官の長で、天子を補佐して百官を統率した。宰相。
⑨ れい‐ぎょ【囹圄/囹圉】大辞泉
囚人を捕らえて閉じこめておく所。牢屋(ろうや)。獄舎。れいご。
⑩ こ‐さい【瓠犀】大辞泉
ひさご(ひょうたん、夕顔)の種(たね)。美人の歯並びのよい白い歯をたとえていう語。
⑪ けい‐こ【瓊戸】-日本国語大辞典
〔名〕玉で飾った美しい戸。転じて、美しい家。立派な家。
⑫ けい‐せい【傾▽城/契情】大辞泉
《「漢書」外戚伝の「北方に佳人有り。…一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」から。その美しさに夢中になって城を傾ける意》
1 絶世の美女。傾国。
2 遊女。近世では特に太夫・天神など上級の遊女をさす。
◆「契情」は当て字。
⑬ ぞう‐かく[ザウクヮク]【臧獲】-日本国語大辞典
〔名〕(「臧」はしもべ、「獲」ははした女)男のめしつかいと女のめしつかい。また、人をいやしめていう語。(ぬひ)。
⑭ きょ‐はく【巨擘】大辞泉
1 おやゆび。2 同類の中で特にすぐれた人。また、指導的立場にある人。巨頭。
⑮ りふ【釐婦】大辞泉
夫に先立たれた妻。やもめ。後家。寡婦(かふ)。
⑯ が‐とう【臥榻】大辞泉
寝台。ねどこ。 「和気香風(かきこうふう)の中(うち)に―を据えて」〈二葉亭・浮雲〉
超難読熟語、美人を見つけられた諸君おめでとう。次はもっと不可能な指令を与えることにする・・・。
したっけ。
今年の冬は、「冬将軍」が大暴れです。北海道岩見沢市では197cmという記録的な大雪で臨時休校になりました。冬将軍とは「冬の厳しい寒さ」を擬人化した表現です。
1812年フランス皇帝ナポレオンの率いる軍隊がモスクワに突入した際、厳しい寒さと積雪に悩まされて撤退を余儀なくされたことをイギリスの記者が「general frost(厳寒将軍)」と表現したことが語源だそうです。
ロシアの人たちも厳しい寒さを「冬将軍」と呼ぶのでしょうか。
呼びません。そのかわりに「マロース」という言葉があるそうです。
マロースとは雪の毛皮をはおり、氷の靴を履いた、白ヒゲの老人だそうです。見るからに冷たそうな人ですね。
ロシアではこの老人が厳しい寒さを運んでくると信じられていたようです。
「マロースじいさん (ロシア民間伝承)」
マロースじいさんは、厳寒おじさんとも呼ばれ、ロシアのクリスマスに欠かせない、サンタクロースのような存在だそうです。
ジェド・マロース(Дед мороз、マロース爺さん:マロースとはロシア語で「吹雪」「寒波 」という意味)、それが、妖精伝説と結びつき、擬人化されていったといわれています。
その「マロースじいさん」は、生きているもの総てを凍りつかせてしまう恐ろしい力の持ち主でした。
ところが、ある日出会った娘の優しさにふれて、その娘を凍りつかせる代わりに、金銀などの財宝や、美しいドレスを与えました。
これがサンタクロースの贈物と結びつき、ロシアの子供たちに広く親しまれる「マロースじいさん」となっていったようです。
このマロースじいさんロシアでは1月7 日に来るそうです。
農民達は春の作物が寒害にあわないことを祈って、お供え物をするそうです。
日本における冬将軍は、北極気団(シベリア寒気団)のことをさします。冬になると周期的に南下して、日本海側に強い降雪をもたらします。
したっけ。
お庭のことやお料理のことを楽しく紹介してくれる”haruさん“のブログ「趣味の歳時記見上げればほころぶ蝋梅~咲き始めぇ~v(^0^)/」で、「蝋梅」という言葉を初めて知り調べてみました。蝋梅で蝋燭は出来るのかという素朴な疑問がわきましたので・・・。
「蝋梅」は名前に「梅」がついている ためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木(2~4m)で有毒植物だそうです。中国原産で、日本には江戸初期に渡来したといわれています。
幹は、地ぎわから分枝して株状になる。早春のまだ寒さの厳しい頃(1~2月頃)、他の花に先立って、蜜蝋に似た黄色のかわいい花を、葉の出る前の枝に多数つけるそうです。
この植物は、英名で、"Winter sweet"と呼ばれていて、寒い冬に、甘くて芳しい香りを一面に漂わせることに因んで、名づけられたのだそうです。
和名「ロウバイ」は、中国名「蝋梅」の音読みであるが、「蝋梅」という名は、花の色や光沢が蜜蝋を連想させ、花が蝋細工を思わせることに由来するといわれているそうです。また、「臘月(ろうげつ:陰暦の12月)」に、梅に似た香りの花をつけることから、このように呼ばれるようになったという説もあるそうです。
そこで、お題の「蝋燭」ですが、日本の蝋燭は、「奈良時代」に仏教伝来とともに中国から渡ってきたといわれています。
奈良の大安寺に残る天平十九年(747年)に作成された重要文化財「大安寺伽藍縁起流記資材帳(だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)」によれば722年、元正天皇から蝋燭を賜ったと記されているそうです。
この時の「蝋燭」は「蜜蝋」であるとされ、蜂の巣からとれる蜜蝋は唐から輸入された貴重品であったそうです。
唐使船が廃止されると蜜蝋の輸入が途絶え、松脂(まつやに)を使った蝋燭が登場します。
まつやに‐ろうそく【松脂蝋燭】
昔、笹(ささ)の葉に松脂を包んで棒状にし、蝋燭の代わりにしたもの。
大辞泉
室町時代後期になると、櫨(はぜ)の実を原料とした「和蝋燭」が登場し、その製法は今に伝わっています。
櫨の実から搾り取った木蝋を加熱して熔かしたものを、和紙およびイグサから作った芯(灯心)の周りに手でかけ、乾燥させて・・・を繰り返して作る。完成した蝋燭は、断面が年輪状になる。ハゼの蝋のみで作った蝋燭が最も高級とされる。和蝋燭は、1375年頃の太平記に記述があるそうです。和蝋燭の炎は黄色い温かみのある色だそうです。
明治時代になるとヨーロッパからパラフィンを使用した洋蝋燭の製法が伝わり、これ以降、ローソクは一般家庭の中にも広く普及するようになりました。
蝋燭の原料として使われる蝋(ワックス)は、パラフィン蝋、蜜蝋(みつろう)、櫨蝋(はぜろう)、米糠蝋(こめぬかろう)などがあります。パラフィン蝋は石油ワックスで、重油から分離精製されます。蜜蝋は動物系ワックスで、蜜蜂の巣から採取されます。櫨蝋は植物系ワックスで、櫨の実を蒸して粉砕圧縮して採取されます。米糠蝋は米糠からできるものでライスワックスともいわれます。
ということで、「蝋梅」は蝋燭の原料にはなっていません。蝋梅の「蝋」は「蝋細工」で作られたような花からついた名前で、蝋燭は出来ないようです。
花や蕾から抽出した油は「蝋梅油」といい、抗菌作用・皮膚再生作用があり火傷の手当てに使われるそうです。 中国では、水虫の薬として軟膏の原料に使われているそうです。
したっけ。
都月満夫
その電話が鳴ったのは、七月の暑い日。水曜日の午後だった。
「部長、一番にお電話です。」
「誰から…?」
「井上様とおっしゃる女性ですが…。」
…、井上?覚えがなかった。
私は、介護用住宅の建設や改築、介護用品の販売、リースを行う会社の経理を担当している。仕事の性質上、知らない人物からの電話はほとんどない。
小さな会社なので、人事も私の仕事だ。しかし、今は、社員募集も行っていない。
「はい、坂野です。失礼ですが、どちらの井上様でしょうか?」
「あらっ、ごめんなさい。井上といってもわかりませんよね。伊藤です。伊藤慶子…。S高校のときの同級生だった…。坂野裕一さんですよね…。」
「はい。そうです…。」
…、すぐに思い出した。伊藤慶子、クラス一の美人だった。頭がよくて、清楚で、いかにも女学生らしい、百合の花のような生徒だった。目立つこともない、ジャガイモの花みたいな私は、会話をした記憶さえなかった。
「伊藤慶子さん。お久しぶりです。…で、どうなさいました。」
私の記憶は、ズームレンズのピントが合うように、三十年の歳月を駆け戻り、制服姿の彼女の顔を鮮明に映し出した。
「どうなさいました…だなんて、そんな言い方なさらないで…。同級生なのですから。」
おとなしかった彼女のイメージとは違い、濃艶な女の雰囲気に、私は圧倒された。しかし、卒業以来、一度も会ったことのない同級生が、一体何の用なのだ。
「…で、どうして、私がここにいることが分かったのですか?」
私も何人かは同級生の付き合いはあるが、彼女との接点のある人物は思い当たらない。
「先日、月刊情報誌の『チャオ』を拝見しました。今、急成長の介護事業の特集記事として、そちらの記事が載っていて…。」
そういえば、取材を受けた。もう発刊されて、会社にも届いていたはずだ。私は、まだ読んではいなかった。
「お名前が載っていて、もしかしたらと思って…。ヤッパリそうだったのね。」
「ああ、そうでしたか…。なんか、伊藤さんが私に電話をくれるなんて、思いもよりませんでした。よく覚えていてくれましたね。なんだか、恥ずかしいな…。」
私はどう答えていいものか困っていた。私の思考は、遠心力を失った独楽のように、不安定に回っていた。
慌てていた。クラス一の美人に憧れがなかったとはいえない。特に目立つこともない平凡な生徒であった私は、遠くから彼女を見ていた。今、その人から電話がきている。
「覚えているわよ。優しくて、いつもニコニコしていらした…。」
「あ、それはどうも…。ありがとうございます。」
彼女が私を覚えていてくれただけで、ドキリとした。急に血管が脈打つ音が鼓膜に響きだした。男子生徒の憧れの的だった人からの電話に、明らかに動揺している自分がいる。
「そちらの会社で、ほら、廃業したホテルを買い取って、高齢者介護施設を開業するって…。それで坂野君が準備室長だと載っていたわ。随分ご活躍なのね。」
「いえ、そんなことは…。来春以降の開業を目途に改築をしているところです。私はスタッフが決まるまでの仮の役職ですから…。」
そうか、介護施設に用があるのか…。
「仮といっても、大変なのでしょう?」
「ええ、それはそれなりに…。何しろ初めてなものですから…。」
「それじゃあ、ヤッパリ無理ですわね…」
…、なんだか思わせぶりな口調である。
「えっ、何が…、ですか?」
「いえね。一度お会いしたいなと思いまして…。」
…、なんだ。どういうことなのだ。私の中で、虹色のシャボン玉が膨らんだ。
「ええっ…、私と…、ですか?」
「そうよっ。お写真を拝見したら、全然変わってなくて、若々しくていらして…。懐かしくなってしまいましたの。変ですか?」
「いやあ…、変ということではありませんが…。」
「坂野君とは、あまりお話しする機会はありませんでしたが、私は、いい方だなと思っていましたのよ。」
…。何てことだ。今、彼女は私のことを、いい方だと思っていたと言った。私は何というか、恋愛には縁がなく、家内とも見合い結婚である。ああ…、そんなことは関係ない。どうしたらいいのだ。
シャボン玉はどんどん膨れ上がり、虹色がグルグルと回り始めた。
「クラス会でも開くのですか?」
「あら、それもいいわね。でも、今回は坂野君に会いたいのよ…。」
「えっ、私に…。私と二人きりですか?」
…二人きり。何てことを聞いているのだ。
「ええ、そうよ。いけない。子どもじゃないのですから、二人きりだって、いいじゃありませんか…。」
「いえ、いけなくはありませんが…。」
「じゃあいいのね。」
「あ、ハイ…。」
「それじゃあ、坂野君の都合のいい日に、お電話くださるかしら…。」
「ええ、それはかまいませんが…。何のご用でしょうか?」
最初の疑問を、やっと聞くことが出来た。
「あら、同級生が顔を見たくなった。…ではいけません?」
「いえ、あ、ハイ…。」
彼女は自分の携帯の番号を言って、電話を切った。最後に意味ありげな含み笑いが聞こえたような気がした。
電話を置くと、女性社員たちが私の顔を見て笑っている。
「なんだ、君たち…。」
一人が答えた。
「部長。昔の彼女さんですか?汗びっしょりですよ。」
「馬鹿なことを言うな。私にはそんな人はいない。」
それを聞いた彼女たちは、そんなことは知っているわよと言わんばかりに、肩を震わせてクスクスと笑った。
何をムキになっているのだ。そうだと受け流せばいいものを…。
気がつくと、エアコンのきいた事務所で、脇腹を汗が流れていた。
※
「あなた、どうなさったの?今日の夕食、美味しくなかったですか?」
妻の多美子が、食器を片付け、キッチンへ向かいながら言った。
「いや…、美味しかったよ。」
「そう…。それならいいの。結婚以来、何も言ってくれないのは、今日が初めてよ。」
「ああ…、そうか、ゴメン。」
「いえ、いいのよ。何かあったのかと思って、ちょっと心配だったから…。」
私が多美子と結婚して、もう、十八年になろうとしている。
私は多美子を好きだったわけではない。嫌いだったわけでもない。親戚の知り合いを紹介され、見合いをした相手だった。多美子は小さな会社の事務員で、私より二つ年上だった。
見合いをしてから、二、三度食事をした。多美子も、私同様どこといって際立ったところはなく、おとなしい女だった。
別に断る理由もなく、相手も気に入ってくれたので、そのまま結婚した。
恋という字の上部は「絲と言」からなり、もつれた糸にけじめをつけようとしても、容易に分けられないことだそうだ。その下に心を加えたのが「戀」という字で、心がさまざまに乱れて、思い切りがつかないことを表しているという。
私は、そんな複雑な思いなど経験せずに、結婚してしまった。
それでも、結婚とは不思議なもので、面識のなかった男女が引き合わされ、同居を始めた。そのことに、何の疑問も持たずに、現在まで過ごしてきた。
息子もでき、人並みの親としても、夫としても何の不満もなく、生きてきた。
「あなた…。やっぱり今日、何かあったのですか?いつもと違うみたい。」
多美子がキッチンから戻って話しかけた。
私は、伊藤慶子からの電話のことを考えていた。だからといって、普段と違うとは思ってもいなかった。
「いや…、何もないけど…。」
「それならいいの…。あんまり喋らないから、心配事でもあるのかと思って…。」
何故、電話のことを話さなかったのか。ただの同級生からの電話だったのに…。
彼女が何のつもりで投じたかわからない小石が、胸の中で波紋を広げた。ざわめく風の中で、今も細波が立っている。
「あなた、満夫も来年からは大学生になるのよ。大丈夫かしら…。」
早いもので、息子も来年は、大学に入る歳になった。
「大丈夫って何が…?」
私は夕刊を読みながら聞いた。
「景気よ。景気がなかなかよくならなくて大変だって時期に、春の大震災でしょ。満夫が卒業する頃は、景気がよくなっているかしらね。」
「そうだな…。せっかく景気が上向きのときの震災だからな…。」
「良くなって貰わなくては、困るわよね。」
「そうだな…。」
私の頭の中は、景気や大震災を考える隙間はなかった。伊藤慶子、彼女を何処に呼び出せばいいのかで埋め尽くされていた。
誰かを交えて会うのなら気楽だが、二人でとなると、どうしていいのやら、思いもつかない。友人に相談するわけにもいかない。
こちらの都合のよい日を連絡して、そちらで場所を指定してくれと言うわけにもいかないだろう。
女性との付き合いが、多美子との結婚前の食事だけという、ないに等しい経験では、どうしていいかわからない。野暮なオヤジには難題であった。
会いたいというからには、やはり、食事に誘わなくてはならないのだろうか?
喫茶店で、お茶でもいいものだろうか?
夕食に誘って、酒でも…、ってことになったらどうすればいいんだ。
バーのカウンターで、ほろ酔いの慶子の顔が浮かぶ。それも、高校生の慶子である。その後の顔は知らないのだから仕方がない。
いや、いかん、いかん。夕食は…、夜は問題がある。
しかし、まさか昼飯にラーメン屋ってわけにもいかないだろう。
まさに、心がさまざまに乱れて思い切りがつかない状態とは、このことだろうか…。
※
土曜日の午前十一時半。私は市内のHホテルのラウンジでコーヒーを飲んでいた。
伊藤慶子から電話があった次の日、このホテルで昼食を…、と電話をした。あれこれ考えたすえに出した結論である。
ホテルでランチとは、我ながらいいアイディアだと悦に入っていた。
この二日間、仕事にも身が入らなかった。緊張していた。落ち着かなかった。
私は自信がなかった。いいアイディアだと思いながらも、これでいいのかと不安であった。彼女のような美人だと、男性に誘われた経験も多いことだろう。
こんなところに、私を誘うの…。などと思われてはいないだろうか…。
今日は土曜日だが出勤日だった。十一時には用事があると、会社を出た。十五分でホテルに着いた。もう、水を三杯も飲んでいる。
今朝、家を出がけに、多美子に言われた。
「あら、そのネクタイ、初めて締めてくれたわね。買ってあげたときは、派手だといって締めてくれなかったのに…。どうしたのかしら、女性とでもお会いになるの?」
「馬鹿なことをいうな。」
「冗談ですよ…。似合っているわよ。」
あの時は、ドキリとした。今さら、彼女のことは言い出せない。本当に冗談だったのだろうか?女の勘は鋭いと言うから、見透かされているのではないのか?
なんだか、後ろめたい気がした。
愛という字の下半部は原型のままだが、その上部は「旡」のひどく変形したものだそうだ。旡とは、人間が腹をいっぱいにつまらせて、後ろにのけぞった姿だという。胸いっぱいの切なさ、それを愛というのだそうだ。それは心の姿だから、心の字をそえ、また切なさに足を引きずり、歩みも滞りがちとなるので、足ずりの形「夂」を添えたという。
私は今、多美子に対して、愛という胸いっぱいの切なさを感じていた。
多美子は、私の心の動揺を見抜き心配し、普段と違う行動に何かを感じ取った。
私は、何気なく過ごしてきた満ち足りた日常に胡坐をかき、それを当たり前だと思って生きてきた。十八年の歳月は、前が見えないほどに、私の心を満たしていたのだ。
何故、今日のことを多美子に告げなかったのだ…。靄のかかった胸の中で、後悔という名の花火が打ち上がる。シャッターを降ろすように、火の粉が燃え落ち、心を閉じた。
ラウンジに掛けられた、大きな時計が、コチッコチッと時を刻む。その音は、私の鼓動と共鳴し、耳の奥で反響する。秒針はスローモーションのように動いている。
コーヒーはとっくに冷たくなっている。震災以来、控えられているとはいえ、冷房の効いた場所で、私は汗ばんでいる。冷めたコーヒーを口に含んだ。飲み込むときに、ゴクリとやけに大きな音がした。
時計の針は、五分で十二時になろうとしている。入口付近を見つめる私の目は、落ち着きのない犬のようにキョロキョロしていた。
自動ドアが開き、女性が入ってきた。華やかではあるが、決して下品ではない、落ち着いた服装の女性だ。
私はすぐに、伊藤慶子だと思った。高校時代と変わらぬ美しさであった。
彼女も私を見つけ、近寄ってくる。私は、立ち上がった。
「井上でございます。お久しぶりです。本日はお忙しいところを、お時間をいただき、ありがとうございます。」
彼女が挨拶を終えると、背後から若い女性があらわれた。
「娘でございます。来春、福祉系の大学を卒業いたします。」
そういうことだったのか…。こんなことなら、野暮な私にだってすぐに理解ができる。
あの日以来、グルグル回っていたシャボン玉がはじけた。私は体中の力を失い、ヘナヘナと倒れるように椅子に座り込んだ。
勘違いもはなはだしい。笑いがこみ上げてきた。声を出して笑った。
カラカラと重いシャッターを持ち上げた向こうに、眩しい多美子の顔があった。
私は、多美子を食事に誘いたいと思った。今すぐ、迎えにいきたいと思った。
井上母娘が、引きつった笑顔で、私を見おろしていることには、気づかなかった。
「どんど焼き」とは「小正月(こしょうがつ:1月15日)」に行われる行事です。正月の「松飾り」・「注連縄(しめなわ)」・「書き初め」などを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。
田んぼや空き地に、「長い竹(おんべ)」や「木」、「藁(わら)」、「茅(かや)」、「杉の葉」などで作った「やぐらや小屋(どんどや)」を組み、「正月飾り」、「書き初め」で飾り付けをしたのちそれを燃やし、残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼いて食べるというのが一般的だそうです。
北海道では、そのような伝統的なことは行わず、神社の境内で「松飾り」・「注連縄(しめなわ)」などを焼いています。
「どんど焼き」の火にあたり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるといわれ、無病息災・五穀豊穣(むびょうそくさい・ごこくほうじょう)を祈る民間伝承行事です。
旧暦では、1年の最初の満月にあたる1月15日が「正月」だったそうです。1月1日を「大正月」、1月15日を「小正月」(陰暦の14日の夜から16日までを言う場合も)ともいわれたそうです。
「成人の日」が15日でなくなった時から、「どんど焼き」の日程も15日前後の土日に実施されるところも多くなったそうです。ハッピーマンデーの弊害がこんなところにも出ています。
「どんど焼き」の語源については、火が燃えるのを「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃(はや)し立てたことから、その囃し言葉が転訛したとか、どんどん燃える様子からとかいわれています。
「どんど焼き」の別称として「左義長(さぎちょう)」という呼び名がありますが、これが「どんど焼き」の起源とも関わっているといわれています。
「左義長(三毬杖)」は、正月十五日、平安時代の宮中で、「清涼殿」の東庭で青竹を束ねて立て「毬杖(ぎっちょう)」三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師(おんみょうじ)が謡いはやしながらこれを焼いたという行事です。
ぎっ‐ちょう【毬杖/毬打】
昔、正月に木の毬(まり)を打って遊ぶのに用いた、長い柄のついた槌(つち)。また、その遊戯。ぎちょう。《季 新年》
大辞泉
火は穢れを浄め、新しい命を生み出します。竹の爆ぜる音は災いを退け、高く上る煙に乗って正月の歳神様が天に帰ります。「どんど焼き」は、祓い清めという役割と、正月に 浮かれた人々を現実世界に戻すという役割をもった行事なのです。
この火にあたると若返るとか、この火で焼いた団子を食べると病気をしない・虫歯にならないとかいわれています。
また、燃やした書初(かきぞめ)の紙が高く舞い上がると習字が上達し、学問もできるようになるともいわれています。
したっけ。
昨年末の、「年末を何故年の瀬というのか」について考えるの★おまけ★で「暦(こよみ)」の語源は「かよみ」だと書きました。
たしかに、日にちの呼び方は、「ついたち」、「ふつか」、「みっか」、「よっか」、「いつか」、「むいか」、「なのか」、「ようか」、「ここのか」、「とうか」、「じゅういちにち」、じゅうににち」・・・と続きます。
11日から31日までの間で、20日だけが、「にじゅうにち」ではなく「はつか」と呼ばれているのは何故でしょう。
昔は11日以降も大和言葉(訓読み)で言い表していました。それは10日(とおか)、20日(はつか)、30日(みそか)に余りをつけて、そのあとに改めてついたち、ふつか、みっか…と続けていたそうです。
11日(とおかあまりついたち)、12日(とおかあまりふつか)、13日(とおかあまりみっか)…
同様に、21日(はつかあまりついたち)、22日(はつかあまりふつか)、23日(はつかあまりみっか)…。
しかしこれでは「余り」に長すぎたのでしょう。中国から音読みが伝わると、11日以降の呼び名は音読みに変わってしまいました。
ところが20日(はつか)は短かったため、そのまま残ったのです。30日(みそか)も大晦日という言葉の中に残っています。
1年で最後の大きな30日(旧暦では1か月は29日か30日)という意味です。
ここまでで、気がついた方もいると思います。「ついたち」だけが「か(日)」を用いていないのです。
しかも、平安時代や奈良時代までは「ついたち」ではなく、「ひとひ」と呼ばれていたそうです。
しかし、「一日」は「いちにち」とも読めるので紛らわしいので「朔日」と書き「ついたち」と呼ぶようになったそうです。
「ついたち」の語源は「つきたち(月立ち)」の音変化と考えられています。
この場合の「立ち」は「現れる」という意味です。陰暦では月の満ち欠けで月日を数えていましたから、隠れていた月が現れる日ということです。
では、「朔」の意味は何か。「屰」は「大」をさかさにした形だそうです。「逆」はさかさの方向に進むことです。「屰」+「月」で、月が一周してもとの位置に戻ったということで「ついたち」ということなのです。
つい‐たち【一日/朔日/朔】
《「つきた(月立)ち」の音変化》1 月の第1日。いちじつ。いちにち。2陰暦で、月の初めごろの日々。上旬。初旬。 「十二月(しはす)の―五日と定めたるほどは」〈落窪・二〉
大辞泉
昨日の「いたち」の話は、あくまでも「お話」ですから、間違えないでください。
★ おまけ★
「ひとつ」、「ふたつ」、「みっつ」、「よっつ」、「いつつ」、「むっつ」、「ななつ」、「やっつ」、「ここのつ」、「とお」。子どもの頃、お風呂で数えましたね。しかし、「十」だけ「つ」がついていません。なので「十」と書いて「つなし」、「つない」という苗字があるそうです。
しかし、何故「十」だけ「つ」がついていないのでしょう。それは「いつつ」で「つ」をふたつ使ってしまったからです。
お後がよろしいようで・・・。
したっけ。
十二支が決まった由来については、幾つかの話があるようですが、どれも、大体同じものだと思います。皆さんも、ご存知だとは思いますが、お付き合いください。
昔々、ある年の暮れのことでした。神様が動物たちを集めて言ったそうです。
「元日に新年の挨拶に来るが良い。そしたらその中の、1番から12番までを順に、その動物の年と決めることにする。」
動物たちは、来年は自分の年にしたいものだと元日の来るのを、今か今かと待っていました。
ところが猫は神様の所へ行く日を忘れてしまったのです。正月といっても三が日、小正月もある。はて・・・、いつだっただろう。猫は考えましたが思い出せません。そこで、仲の良い鼠の所へ聞きに行きました。
鼠は自分が1番になりたいので猫に嘘を教えました。
「それは、二日の朝に決まっているでチュウ。元日には人様の家を訪ねるなと昔から言うではないチュか・・・。」
「そうか、そうだニャン。二日の朝だ。」猫は鼠に礼を言って帰りました。
大晦日のことです。鼠が牛のところを覗きに行くと、牛はぶつぶつ言いながら旅支度をしていました。
「自分はのろまだから、モウ今夜のうちに出かけるとしよう。」
鼠はしめたとばかり牛の背中に飛び乗りました。そうとは知らぬ牛は暗い夜道をのろのろと神様の御殿へと登って行きました。
門の前に着くと、まだ誰も着ていません。
「モウ、これで自分が1番に決まったようなものだ。」牛はよだれを垂らしながら元旦を、今か今かと待っていました。やがて里の方で、一番鶏が時を告げると門は静かに開きました。
牛が、「よっこらしょ」と門をくぐろうとすると、背中にいた鼠がぴょんと飛び降りて、ちょろちょろと門をくぐって神様のところへ行きました。
「神様、あけましておめでとうございまチュウ。鼠が新年のご挨拶に参りました。」
1番だと思った牛は2番になり、千里の道を駆けてきた虎が3番になりました。
続いて、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪が入ったところで、門は閉められました。
これで、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥という十二支が決まったのだそうです。
鼠にだまされた猫は、教わったとおり2日の朝早く神様の門を叩きました。
「呼んだのは昨日だ。お前は今まで、寝ていたのか。寝ぼけていないで、顔でも洗ってきなさい。」
神様にそう言われた猫はすごすごと帰っていきました。
それからというもの猫は、毎日顔を洗うようになって、嘘の日を教えた鼠が憎らしくて、鼠の姿を見つけると追いかけ回すようになったのだそうです。
こうして猫は十二支の仲間に入れなかったのです。
もう一匹、十二支の仲間に入れなかったのはイタチです。
神様の所へ毎日行って「神様、自分ところへはその集会のお知らせが来ませんでした。それでは不公平です。もう一回やり直して下さい。」
これには神様も困ってしまいました。
「イタチよ、一つ相談だが、一年に12日だけ、お前さんの日にしてやるがどうじゃ。」
「神様、1年にたった12日だけじゃつまりませんが、でも我慢します。」
「いいか、イタチよ。毎月の最初の日を、お前の日として、“ついたち”とする。だがこれは内緒だぞ。」
イタチは「つ・いたち、つ・いたち」と何回か繰り返していたが「神様、”つ”が気になりますが、でも無いよりはいいので我慢します。」
それから、月の初めの日を「ついたち」と呼ぶようになり、この日がイタチの日なのです。
この十二支の話が人々の間に広まって、時間や日を間違えて来て仲間に入れなかった人のことを「あの人は猫年うまれだ。」と言うようになったそうです。
鶏が猿と犬の間に入ったのは仲の悪い両者を仲裁するためだったそうです。
したっけ。
皆さんは、「十二支」と聞くと、「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)」とすぐに思い浮かぶと思います。
しかし、これがそもそも間違いだそうです。「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)・・・」という読み方は、十二支以外ではしません。
本来は、「子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅつ)、亥(がい)」であり、何故お馴染みの動物を当てはめたのかは、わからないそうです。
さてこの「十二支」ですが、起源ははっきりとはわからないそうですが、古く中国の殷代の遺跡から発掘された甲骨にすでに使われていたそうです。
西暦でいうと紀元前1500年くらいの話です。当時日本は弥生時代でまだ国という概念は出来上がっていません。
金印で有名な「奴国」が中国に使者を送ったのが、西暦57年ですから気が遠くなりそうな大昔のことです。
この頃の「十二支」は、「年月日」、「方位」、「角度」など、「時間」と「方向」についてのほとんど全部に使われていたといわれています。つまり、数字の代わりではないかと考えられます。
西洋にも「宮」、「獣帯」という考え方があって、ウシ、カニ、シシ、サソリ、ヤギ、サカナなどが各宮の名前になっていたそうです。獣帯(黄道帯)にはネコ、イヌ、ヘビ、カブト虫、ロバ、シシ、ヤギ、ワシ、タカ、サル、ワニなどが登場してくるそうです。
星座などにも残っています。
サイン (占星術)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サイン(英語 sign)またはアストロロジカル・サイン(astrological sign)は、西洋占星術などのホロスコープを用いる占星術において、獣帯を黄経で12等分したそれぞれの領域。獣帯(zodiac)とは、天球上の黄道を中心とした、惑星(太陽・月などを含む)が運行する帯状の領域である。サインは古くは宮(きゅう)と呼ばれていた。12のサインを合わせて十二宮や黄道十二宮と言う。
これらの起源は、同じだと考えられているようなのですが、それが東洋なのか西洋なのかはわからないのだそうです。
世界の十二支
国 |
十二支の動物 |
日本 |
鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪 |
中国 |
鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪 |
台湾 |
鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪 |
韓国 |
鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪 |
チベット |
鼠・牛・虎・猫・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚 |
タイ |
鼠・牛・虎・猫・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚 |
ベトナム |
鼠・水牛・虎・猫・龍・蛇・馬・山羊・猿・鶏・犬・豚 |
ロシア |
鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪 |
モンゴル |
鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪 |
鼠・牛・豹・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪 | |
ベラルーシ |
鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚 |
鼠・牛・虎・猫・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚 |
この表を見ても起源が同じであることは容易に推測できます。みな、大体同じですから・・・。
これだけ使われていながら、起源がわからないことに驚きです。
★ おまけ★
よく勘違いするのは、「十二支」と「干支」。「干支」は「十二支」と「十干」を組み合わせたもので60種の組み合わせがあります。それで、もとの干支に戻ることを「還暦」といいます。
したっけ。