年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 24

2009年12月01日 | 福神漬
京都醤油史蹟 序 及び3巻より
明治2年よりあった醤油税(登録・免許・醸造税)が明治8年6月20日廃止となった。その後富国強兵のための財源として明治18年より営業税・醤油税が制定される。明治21年営業税と造石税となり、明治29年営業税を削除する。
明治18年5月から自家用醤油に課税する。醤油営業するものにあらずして自家用に製造するもの同居の家族・雇い人一人一ヵ年一斗5升の割合を超えてはならない。自家用醤油の規定は貧しい人が醤油を買えない人を守るためであったが実際は貧しい人ほど醤油を購入していて金持ちが自家醸造していた。醤油税を徴収する効率が悪く、大正14年廃止となった。

 醤油沿革史 田中直太郎著
 明治14年から17年にかけて京都における醤油の価格は下げていて上醤油一升当り7銭5厘から9銭。下醤油は3銭5厘から4銭だった。このころ日本全国の醤油は地域内の流通から汽船・鉄道を利用した醤油が出回り始めた。また明治8年の醤油税の廃止で出回る量が増えた。

醤油から世界を見る 田中則雄 142頁
明治維新時の関東の醤油事情
① 江戸における武士の減少で需要が減った。
② 蒸気船の発達で、品質の良い関西の酒が関東に安定して入荷し、関東の地回りの酒造業を圧倒していった。関東の酒造業者は醤油醸造に転換するものがあり、醤油がだぶついていった。明治8年醤油税廃止以後は価格も低下したと思われる。
③ このような醤油状況時に東京醤油会社がキッコーマンを中心として設立し、海外にだぶついた醤油を輸出しようと努力したが中国産の安い醤油にたちゆかなかった。明治22年解散となる。後にこの時の努力が実を結び海外に醤油輸出の道が開かれる。

日本醤油醸造事件(明治末期)の後の日本の醤油業界
醤油は輸送の便が悪い時代は船運を利用して運搬していた。従って鉄道輸送が普及する前の時代は日本各地に地場の醤油業者があって、古い商慣習で取引していた。
醤油業者数
大正初めの日本には醤油醸造を業とするもの1万3千軒あり、更に農村部では個人醸造があった。今では日本で醤油醸造をする業者はキッコーマンを筆頭として1500業者余となってしまった。

日本醤油醸造の事件は100年たって既に忘れ去られている。醤油業界の歴史にはほんの何行かの記事があるだけである。しかし日露戦争以後の不景気時に株式市場・金融市場には多大の影響を与えた。そしてその関係者の中で後に失地挽回した人が歴史に残った。

 福神漬に関してはJAS規格制定時にサッカリン使用が認められなかったのはこの様な経緯があったためである。しかし醤油JAS規格にはサッカリンが入っている。サッカリン使用の安価な漬物が日本の食文化である漬物の地位を下げるものとして考えていたためである。
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