年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 27

2009年12月04日 | 福神漬
缶詰編
参考品としての陸軍糧秣廠出品は大正9年製のラッカードした物としない物を見るに前者は少し黒味を加えており、また後者は少し著しく褐色しており、また著しく缶が腐食しており缶臭が強かった。
 従来、陸軍糧秣廠で造った福神漬は(近頃作っていない)の製品1000貫に対する主原料の割合は、漬大根178貫、漬カブ178貫、漬ナス140貫、干し大根140貫、漬なた豆39貫、漬紫蘇25貫で一缶120匁の固形分は90匁、さし汁30匁であり、その分析成分は次の通り。
水分 63.076%
灰分 12.010%
食塩 9.289%
窒素 0.978%
酸度 0.720%
純蛋白 1.349%
繊維 1.640%
糖分 2.40%
乾燥物 36.924%
参考 1貫は1000匁(もんめ)、すなわち3.75キロ
一缶固形分120匁の福神漬は全体の目方は500Gぐらいであったと思われる。
漬とは塩漬の原料と思われる。
缶詰時報より
上澤屋本店談
福神漬製造の動機
 このたびの福神漬の研究会にて弊店製造の福神漬が優秀品であると推奨を賜り誠に思いがけなく喜んでおります。
 2・3年前まである有名な製造家の福神漬を販売しておりましたが、ある夏顧客から沢庵漬の臭いがあるといって缶のフタを切ったまま返品されましたので、その品を売ることを止め真の優良品を販売する目的で福神漬の製造を始めました。
 しかし,良い物を造るにしても、飛び離れて高価の物は販売困難であるのでとにかく沢山という事でなく、少なくとも良い物を造るという考えで始めました。つまり、野菜は出始めの極若いものでそして生産地の確かなものを材料として、福神漬を製造することにしております。
 なお、缶詰(福神漬の)というものを一部の人はどれも皆悪いものと決めておりますし、また実際劣悪品の多いことから毎月この缶詰研究会で真面目な優良品を広く一般社会に推奨していただければ製造者は価格より品質に重きを置くようになれば、斯業のために結構な事と存じます。

不況が続いた平成の今でもこの考えが十分通用する。第一次大戦後の不況で不良漬物が出回っていたと思われる。
陸軍糧秣廠 丸本彰造氏の談を読んでいるとどうも一時は日本陸軍では福神漬の缶詰を造っていたようである。広島にある広島市郷土資料館は旧陸軍糧秣支廠(りょうまつししょう)は缶詰工場でした。日清戦争の時、民間調達の缶詰に石が入るなどの不良品が多く軍直轄の製造工場を建設する事になったが『日本缶詰史』によると石が入っていたということは全くの誤報であったということである。
 陸軍は日清戦争時には福神漬は納入されていると言うがはっきりと文献に出てくるのは日露戦争時である。海軍では日清戦争時はパン食のためか漬物は少ない。海軍は日清戦争後『海軍糧食条例』と『海軍経理規定』を改正し、それまでのパン食3回から1回となり、米麦食2回となった。(海軍おもしろ事典・高森直史著)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする