駿東紀行 3
裾野市鈴木図書館で司書の人と裾野市の話をしながら、江原素六の史料が揃っている沼津市明治資料館にむかう。丁度12月から特別展「沼津兵学校のすべて」を開催していた。
大正2年9月に鈴木藤三郎が亡くなったとき、森町で彼の資金で作られた周智農林学校において葬儀が行われた。大日本報徳社長岡田良平、貴族院議員江原素六が葬儀に参加している。素六はわざわざ静岡県周智郡森町での葬儀に東京より参加している。何か行かねばならない事情があったのだろうか?しかし沼津明治資料館には具体的な資料がなく二人が並んで写っている写真しかなかった。ただ江原素六が明治33年麻布中学を創立する際に静岡県の人達からかなりの寄付金が集まったという。
素六と藤三郎の接点は何処にあったのだろうか。明治32年鈴木は裾野市桃園に報徳思想を実践する農場を開いている。ほぼ同時期に江原は地元の人達のため、愛鷹山山麓の払い下げの許可を得ている。明治39年鈴木は周智農林学校を創立している。何か江原から得るものがあったのだろうか。
結局沼津では調査の進展はみられず、大正二年十月『斯民』を読むしかないだろうか。報徳思想とカトリックの関係が不二農園から気になる。結構明治幕臣のキリスト教は今の信者の考えととずいぶん異なる。
士族授産事業は旧幕臣幹部の明治に入って最も関心のあることの一つだった。軍隊用の製靴業とか牧畜、北海道開拓、海外移民など旧来の農民と衝突しない産業の育成を考えていた。明治に入って創られた福神漬の発展の背景にこのような複雑な事情が隠れている
裾野市鈴木図書館で司書の人と裾野市の話をしながら、江原素六の史料が揃っている沼津市明治資料館にむかう。丁度12月から特別展「沼津兵学校のすべて」を開催していた。
大正2年9月に鈴木藤三郎が亡くなったとき、森町で彼の資金で作られた周智農林学校において葬儀が行われた。大日本報徳社長岡田良平、貴族院議員江原素六が葬儀に参加している。素六はわざわざ静岡県周智郡森町での葬儀に東京より参加している。何か行かねばならない事情があったのだろうか?しかし沼津明治資料館には具体的な資料がなく二人が並んで写っている写真しかなかった。ただ江原素六が明治33年麻布中学を創立する際に静岡県の人達からかなりの寄付金が集まったという。
素六と藤三郎の接点は何処にあったのだろうか。明治32年鈴木は裾野市桃園に報徳思想を実践する農場を開いている。ほぼ同時期に江原は地元の人達のため、愛鷹山山麓の払い下げの許可を得ている。明治39年鈴木は周智農林学校を創立している。何か江原から得るものがあったのだろうか。
結局沼津では調査の進展はみられず、大正二年十月『斯民』を読むしかないだろうか。報徳思想とカトリックの関係が不二農園から気になる。結構明治幕臣のキリスト教は今の信者の考えととずいぶん異なる。
士族授産事業は旧幕臣幹部の明治に入って最も関心のあることの一つだった。軍隊用の製靴業とか牧畜、北海道開拓、海外移民など旧来の農民と衝突しない産業の育成を考えていた。明治に入って創られた福神漬の発展の背景にこのような複雑な事情が隠れている