年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 33

2009年12月16日 | 福神漬
福神漬物語 33
上野・池の端酒悦さんのホームページから
『福神漬は十五代酒悦店主野田清右衛門によって発明されるのですが、彼は一風変わった人で明治4年に断髪令(ヘアースタイルの自由化)が出たにもかかわらず、77歳で没する迄ちょんまげをつけていました。又、一方では山岡鉄舟、五代目菊五郎などと交友のあった文化人でもありました。』これはどの様な意味があるのでしょうか。
明治の中頃まで東京の人達は文明開化に最も早く接していながら長い江戸幕府時代の生活に慣れていて新しい文明に接することが慣れない人がむしろ多かった。考えてみれば当たり前のことだが明治20年頃までは江戸時代に生まれた江戸っ子と維新後日本各地から上京してきた新しい時代の担当者となっていく人と明確に区分できていた。東京人となった江戸っ子は御一新とも呼んでいた。なじめない政権と文明開化という現実に対応できない人の20年でもあった。そして明治新政権の恩恵を受けない人たちが下谷つまり上野浅草方面に居住していた。
特に明治15年頃からの大蔵卿松方正義が行ったデフレ政策によって経済が不況になり、かなり生活に苦労したようである。そんな時代が福神漬創生の背景にあるとは調べている間に気がついた。漬物なんかは文献にもなく後で事実が残るだけで、残れば良い方で一時的なものは消えていってカスだけ言い伝えとして残っていく。
コメント
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