駿東紀行 その後 2
100年前1909年10月26日伊藤博文が中国で暗殺され、その国葬の準備が日本で用意されている頃、明治42年11月初めに大阪朝日新聞によって日本醤油醸造㈱の不良醤油が報道され始めた。はじめは単に食品偽装の問題から株式市場の問題となり(東京では帝国商業銀行・大阪では北浜銀行)融資している銀行の問題となっていった。
サッカリンの問題から金融問題になったのは日露戦争後に戦費のため財政危機になった日本政府は砂糖消費を抑えるため、サッカリンという人工甘味料を禁止し、日本領土となった台湾に精糖業を振興し、砂糖輸入を抑止し外貨を節約することが目的であった。当時の外貨の浪費として一番槍玉に上がっていたのは砂糖の消費だった。
11月後半となると日本醤油醸造の経営問題となり、緊密な関係だった北浜銀行の岩下清周の名前が出てくる。そして翌年尼崎の工場から火災が出て日本醤油醸造が破綻した。鈴木藤三郎は債権者に全財産を提供し、質素に暮らした。明治32年に鈴木の手に入った、裾野市の農場は北浜銀行のものとなり、北浜銀行が破綻した後、刑事被告人だった岩下清周に友人が抵当流れとなった鈴木農場をプレゼントしたという。これが不二農園となり、その中の従業員のため小学校を作った。これが色々な経過を過ぎ、今の不二聖心女子高等学校となったという。
このような歴史を単独で見たら、食品偽装史、明治金融史とか学校史としか現れないだろう。その中を貫いてゆくのは福神漬とは不思議な感じがする。
100年前1909年10月26日伊藤博文が中国で暗殺され、その国葬の準備が日本で用意されている頃、明治42年11月初めに大阪朝日新聞によって日本醤油醸造㈱の不良醤油が報道され始めた。はじめは単に食品偽装の問題から株式市場の問題となり(東京では帝国商業銀行・大阪では北浜銀行)融資している銀行の問題となっていった。
サッカリンの問題から金融問題になったのは日露戦争後に戦費のため財政危機になった日本政府は砂糖消費を抑えるため、サッカリンという人工甘味料を禁止し、日本領土となった台湾に精糖業を振興し、砂糖輸入を抑止し外貨を節約することが目的であった。当時の外貨の浪費として一番槍玉に上がっていたのは砂糖の消費だった。
11月後半となると日本醤油醸造の経営問題となり、緊密な関係だった北浜銀行の岩下清周の名前が出てくる。そして翌年尼崎の工場から火災が出て日本醤油醸造が破綻した。鈴木藤三郎は債権者に全財産を提供し、質素に暮らした。明治32年に鈴木の手に入った、裾野市の農場は北浜銀行のものとなり、北浜銀行が破綻した後、刑事被告人だった岩下清周に友人が抵当流れとなった鈴木農場をプレゼントしたという。これが不二農園となり、その中の従業員のため小学校を作った。これが色々な経過を過ぎ、今の不二聖心女子高等学校となったという。
このような歴史を単独で見たら、食品偽装史、明治金融史とか学校史としか現れないだろう。その中を貫いてゆくのは福神漬とは不思議な感じがする。