三遊亭円朝 天保10年(1839)~明治33年(1900) 62歳
台東区の下谷神社は寛政10年(西暦1798年)に江戸で初めて有料で落語がでた寄席の発祥地であった。円朝は幕末に湯島天神下で生まれ、青年期まで居住地は池之端の周囲の地域に生活していた。湯島天神下は芸人の人達が多く住んでいたところで差別を受けていた地域でもある。
谷中の山岡鉄舟と交流が有名で他の福神漬の交友関係の中心ともなる人だが肝心の『酒悦』との関係が資料の無いためあまり知られていない。現在の『酒悦』が鈴本演芸場の隣にあるのは歴史の皮肉でもある。
円朝の落語『七福神詣で』は明治30年代の豪商・金持ちをめぐる話だが円朝の貴紳士交友振りが知られる。福神漬は明治20年代では当時としては高価な漬物で販売するにはかなりの努力を要していて、様々の店主の努力の結果として広まったのだがその過程は今でも不明で想像推測でしかない。
明治東京畸人伝 森まゆみ著から
円朝は湯島切通下に生まれ、親は池之端茅町にあった『山口』という寺子屋に円朝を通わせた。この学校は明治になって樋口一葉が通った学校となったといわれている。12歳の頃池之端仲町の商人のところに奉公に出たが性に合わなかった出戻った。また安政の頃は池之端七軒町に住んでいて浅草の高座に通ったと言う。
七福神詣 三遊亭円朝作 要約
明治31年1月1日上野広小路でばったりと
甲「新年おめでとうございます」
乙「おめでとう、君はこれからどこへ」
甲「これから七福神詣でに行くんだ」
乙「古いね、七福神詣といえば谷中だけど、あいにく道が悪いよ」
甲「そんなところには行かないよ。まあ飯でも食べながら七福回りをするよ」
乙「七福回りといって、一体君は何処を回るのだ」
甲「僕の七福回りは豪商紳士の所を回るのさ」
乙「へー何処を回るの」
甲「まず一番に大黒詣でで今の豪商紳士では渋沢栄一君だろう」
乙「なるほど,頬のふくれていることなど大黒天の相があります、それに深川の本宅はみな米倉で囲まれてますか」
甲「それだけではないよ、明治世界で福も運もあるから開運出世大黒天さ」
乙「子分が多数あるのは小槌で、兜町の本宅に行くと子宝の多いこと」
甲「第一国立銀行で大黒の縁は十分にあります」
乙「さてエビスはどこだ」
甲「それならエビスは馬越恭平君さ」
乙「へエー、どういう訳」
甲「エビスビールの社長で、エビスの神が神武天皇へ戦争の時に食料や酒を差し上げる御用を務めたのがエビス神であるからさ」
乙「なるほど、寿老人は」
甲「安田善次郎君さ、茶席でおつな頭巾をかぶって、庭を杖などをついて歩いている所などまるで寿老人」
乙「して福禄寿は」
甲「はて、品川の益田孝君さ、一夜に頭が三尺伸びたというがたちまち福も禄も益田君と人の頭になるとは実に見事です」
乙「だが福禄寿には白鹿がそばにいなければならないが」
甲「時折話しか(咄家)を呼んでます」
乙「なるほど、こんどはむずかしいぜ、毘沙門は」
甲「はて、岩崎弥乃助君です。なんといても日本銀行総裁というのだから金の利ばかりもどのくらいあがるかたいそうなことです。」
乙「そこで布袋さんは」
甲「いまは大倉喜八郎君さ」
乙「どういうところで」
甲「はて、布袋和尚に縁があるのは住居は皆寺です、あれほどになるまで危ういことも度々あったとさ、大袋を広げるように人を大勢呼ぶのが好きなのさ」
乙「時に困るのは弁天でしょう」
甲「富貴楼のお倉さんかね、宅は横浜の弁天通りと羽衣町に近いし」
乙「しかし、紳士ほどの金満家にしても弁天も男に見立てたいさ」
と言っていると、うしろのふすまが開いて。
浅田「僕が弁天です」
甲「おや、あなたは浅田正文君ではありませんか、しかしあなたがどうして」
浅田「はて、僕は池之端に住んでいるからさ」
三遊亭円朝全集4巻より
池之端と酒悦の福神漬と日本郵船専務浅田正文の住まいは落語の「落ち」になるくらい知れていたのだろうか。
台東区の下谷神社は寛政10年(西暦1798年)に江戸で初めて有料で落語がでた寄席の発祥地であった。円朝は幕末に湯島天神下で生まれ、青年期まで居住地は池之端の周囲の地域に生活していた。湯島天神下は芸人の人達が多く住んでいたところで差別を受けていた地域でもある。
谷中の山岡鉄舟と交流が有名で他の福神漬の交友関係の中心ともなる人だが肝心の『酒悦』との関係が資料の無いためあまり知られていない。現在の『酒悦』が鈴本演芸場の隣にあるのは歴史の皮肉でもある。
円朝の落語『七福神詣で』は明治30年代の豪商・金持ちをめぐる話だが円朝の貴紳士交友振りが知られる。福神漬は明治20年代では当時としては高価な漬物で販売するにはかなりの努力を要していて、様々の店主の努力の結果として広まったのだがその過程は今でも不明で想像推測でしかない。
明治東京畸人伝 森まゆみ著から
円朝は湯島切通下に生まれ、親は池之端茅町にあった『山口』という寺子屋に円朝を通わせた。この学校は明治になって樋口一葉が通った学校となったといわれている。12歳の頃池之端仲町の商人のところに奉公に出たが性に合わなかった出戻った。また安政の頃は池之端七軒町に住んでいて浅草の高座に通ったと言う。
七福神詣 三遊亭円朝作 要約
明治31年1月1日上野広小路でばったりと
甲「新年おめでとうございます」
乙「おめでとう、君はこれからどこへ」
甲「これから七福神詣でに行くんだ」
乙「古いね、七福神詣といえば谷中だけど、あいにく道が悪いよ」
甲「そんなところには行かないよ。まあ飯でも食べながら七福回りをするよ」
乙「七福回りといって、一体君は何処を回るのだ」
甲「僕の七福回りは豪商紳士の所を回るのさ」
乙「へー何処を回るの」
甲「まず一番に大黒詣でで今の豪商紳士では渋沢栄一君だろう」
乙「なるほど,頬のふくれていることなど大黒天の相があります、それに深川の本宅はみな米倉で囲まれてますか」
甲「それだけではないよ、明治世界で福も運もあるから開運出世大黒天さ」
乙「子分が多数あるのは小槌で、兜町の本宅に行くと子宝の多いこと」
甲「第一国立銀行で大黒の縁は十分にあります」
乙「さてエビスはどこだ」
甲「それならエビスは馬越恭平君さ」
乙「へエー、どういう訳」
甲「エビスビールの社長で、エビスの神が神武天皇へ戦争の時に食料や酒を差し上げる御用を務めたのがエビス神であるからさ」
乙「なるほど、寿老人は」
甲「安田善次郎君さ、茶席でおつな頭巾をかぶって、庭を杖などをついて歩いている所などまるで寿老人」
乙「して福禄寿は」
甲「はて、品川の益田孝君さ、一夜に頭が三尺伸びたというがたちまち福も禄も益田君と人の頭になるとは実に見事です」
乙「だが福禄寿には白鹿がそばにいなければならないが」
甲「時折話しか(咄家)を呼んでます」
乙「なるほど、こんどはむずかしいぜ、毘沙門は」
甲「はて、岩崎弥乃助君です。なんといても日本銀行総裁というのだから金の利ばかりもどのくらいあがるかたいそうなことです。」
乙「そこで布袋さんは」
甲「いまは大倉喜八郎君さ」
乙「どういうところで」
甲「はて、布袋和尚に縁があるのは住居は皆寺です、あれほどになるまで危ういことも度々あったとさ、大袋を広げるように人を大勢呼ぶのが好きなのさ」
乙「時に困るのは弁天でしょう」
甲「富貴楼のお倉さんかね、宅は横浜の弁天通りと羽衣町に近いし」
乙「しかし、紳士ほどの金満家にしても弁天も男に見立てたいさ」
と言っていると、うしろのふすまが開いて。
浅田「僕が弁天です」
甲「おや、あなたは浅田正文君ではありませんか、しかしあなたがどうして」
浅田「はて、僕は池之端に住んでいるからさ」
三遊亭円朝全集4巻より
池之端と酒悦の福神漬と日本郵船専務浅田正文の住まいは落語の「落ち」になるくらい知れていたのだろうか。